先週の金曜日の午後、大村市竹松遺跡の発掘現場の一画にて、作業員を集めての説明があった。
竪穴式(たてあなしき)住居跡が出土したという事で、作業員がその区域を取り囲むような形で、調査員Mさんからの説明があった。
言われてみれば土の色が周りと違って黒っぽい。
その竪穴式(たてあなしき)住居の建物跡とおぼしき区域の中には、土器の破片も何点か見えているし、木製の鋤(スキ)の先端部に付いていたという錆びた鉄も見えている。
竪穴式というからには柱を立てた跡があるはずだが、そのような痕跡は私の目では捉える事が出来ない。
調査員の方には、長年の経験により、そのような痕跡が判るらしい。
建物跡の大きさからして、作業小屋のような性質の建物ではないだろうかという、調査員Mさんの現状における見解だった。
掘立て柱建物の跡は既に別の区域で出土している。
それの方は、柱の跡とおぼしき円形の、土の色が黒い範囲が規則性を持って配置されているので、すんなりと受け入れる事が出来る。
その掘立て柱建物の柱跡とおぼしき穴の配列位置は、方眼北の方向に対して、およそ13度の傾きを有している。
方眼北というのは、私たちの作業現場で、直交するように20メートルピッチで打設されている、頭が赤色のプラスチック杭を結ぶ線上の、南北方向を結ぶ線の方向の事を示す。
方眼北は、座標北ともいう。
ある地点において、その地点を通り極北方向に向う地球上の線の事を子午線というが、公共座標系の座標原点を通る子午線と平行になるように設定している平面直角座標における南北の線の北方向の事を方眼北もしくは座標北という。
日本の公共座標系は、現在19の原点を持つ座標系に区分されていて、ガウス・クリューゲル等角投影(横軸等角円筒図法)という地図投影法が適用されており、それぞれの座標系における距離の投影誤差が、1万分の1以内に収まるような座標系の区割りになっている。
角度の相互関係が、地図上でも現地でも同じとなるような等角性を有した地図投影法である。
現在の、国土地理院が発行している2万5千分の1地形図などの地図投影法は、ユニバーサル横メルカトル図法(略してUTM図法)と呼ばれるものだが、ガウス・クリューゲル等角投影における地球上の区域の設定の仕方を、そのエリアにおける距離の投影誤差が、中央経線上で1万分の4になるようにしてあるという違いだけで、地図投影法(図法)は横軸等角円筒図法である。
私たちが発掘作業をさせてもらっている大村市竹松遺跡の現場は、公共座標系で言えば、第Ⅰ(だいいち)系の中の第2象限の区域に存在している。
縦軸をX軸とし、横軸をY軸とする測量座標系で言えば、大村市竹松遺跡の発掘現場は、座標系の原点よりも東側(右側)で、かつ南側(下側)の区域に存在していることになる。
座標値で表現すれば、発掘区域の中央付近で、X座標値がマイナス4860メートル、Y座標値がプラス41620メートルになっている。
座標系の中の象限の決め方も、数学座標と測量座標とでは異なる。
数学座標では第1象限を基準にして左回りに第2、第3、第4象限というふうに呼ぶが、測量座標では、第1象限を基準にして右回りに第2、第3、第4象限と呼ぶ。
要するに、北方向を上側、東方向を右側として表現する平面図上において、座標系の原点に対して右上方向の区画を第1象限と呼ぶ事は数学座標でも測量座標でも同じであるが、数学座標の第2象限は測量座標では第4象限と呼び、数学座標の第4象限は測量座標では第2象限と呼ぶ。
第3象限は、数学座標でも測量座標でも同じ区画の場所を指し、座標系原点の左下側の区画をいう。
ガウス・クリューゲル等角投影(図法)は、横軸等角円筒投影(図法)であり、、ガウスさんとクリューゲルさんという別々の人が、ほぼ同じ時期に考案した地図投影図法であるという事からそのような呼び方になったという事。
このブログの別の所で書いたが、学問や技術の分野では、別々の場所で同時発生的に同じような考え方や技術が存在していたのではないかという私見の背景になる一つの事例でもある。
磁針(羅針盤)が北を指し示す方向を磁北というが、磁北は極北の方向を指し示してはいない。
現在の日本においては、磁北は極北よりも西側を示しており、この事を「磁針偏差」といい、地域によって少しずつ異なる。
磁気偏差ともいい、真北(座標北方向)と磁北とのなす角度をいう。
日本では大阪で真北に対して磁北が西に(西偏という)6度50分、神戸で7度、京都で7度10分など地域で異なり、北に上がるほど大きくなり、北海道では9~10度となっている。
また時間とともにも変化しており、17世紀中ごろは東偏8度ぐらいに達しており、徐々に変化し、19世紀初めに西偏となり、現在でも西偏が進んでいる。
要するに磁石の針が示す北方向は、地球の北極点の方向を示しているのでは無く、地域によってもその偏角の角度は異なり、年代によっても変化しているものであるという認識を持っておいた方が良い。
陰陽道(おんみょうどう)などで吉凶の方角などを占うらしいが、陰陽師(おんみょうじ)と呼ばれる特殊な能力を持つと言われている人たちは、その根拠とする方角はどのようにして知りえていたのか興味深い。
鏡や磁針、水晶玉などを、陰陽道の七つ道具として持ち歩いていたのかもしれない。
などと空想すれば、建物を建てる際の建物の向きも、その時々の磁針方位によって決めていたのかもしれないなどと空想は膨らんで行く。
いにしえの遺構の出土によって、様々な事柄の関連を想像する事が出来る。
本日の現実。
諫早市飯盛町結の浜での釣果は、コノシロの子が26匹、カワハギの子が23匹。
使った餌代370円。
要した時間は、午前11時頃から午後3時半頃まで。
午後5時には、恩義ある知人Mさんが、事務所の整理のために、私が関わらせてもらった測量成果の報告書や図面を持って訪れた。
私たち人類は、進化の過程で魚だったという話が印象的だった。
だから、塩と水が不可欠なのだと。
熱中症対策にも水分と塩分が必要なのは、その事に起因するのかななどと勝手に連想してしまった。
色々と興味深い話をされるMさんとの会話の時間は、またたく間に過ぎてしまう。
2時間半が過ぎていた。
良い休日だった。
豊田一喜
竪穴式(たてあなしき)住居跡が出土したという事で、作業員がその区域を取り囲むような形で、調査員Mさんからの説明があった。
言われてみれば土の色が周りと違って黒っぽい。
その竪穴式(たてあなしき)住居の建物跡とおぼしき区域の中には、土器の破片も何点か見えているし、木製の鋤(スキ)の先端部に付いていたという錆びた鉄も見えている。
竪穴式というからには柱を立てた跡があるはずだが、そのような痕跡は私の目では捉える事が出来ない。
調査員の方には、長年の経験により、そのような痕跡が判るらしい。
建物跡の大きさからして、作業小屋のような性質の建物ではないだろうかという、調査員Mさんの現状における見解だった。
掘立て柱建物の跡は既に別の区域で出土している。
それの方は、柱の跡とおぼしき円形の、土の色が黒い範囲が規則性を持って配置されているので、すんなりと受け入れる事が出来る。
その掘立て柱建物の柱跡とおぼしき穴の配列位置は、方眼北の方向に対して、およそ13度の傾きを有している。
方眼北というのは、私たちの作業現場で、直交するように20メートルピッチで打設されている、頭が赤色のプラスチック杭を結ぶ線上の、南北方向を結ぶ線の方向の事を示す。
方眼北は、座標北ともいう。
ある地点において、その地点を通り極北方向に向う地球上の線の事を子午線というが、公共座標系の座標原点を通る子午線と平行になるように設定している平面直角座標における南北の線の北方向の事を方眼北もしくは座標北という。
日本の公共座標系は、現在19の原点を持つ座標系に区分されていて、ガウス・クリューゲル等角投影(横軸等角円筒図法)という地図投影法が適用されており、それぞれの座標系における距離の投影誤差が、1万分の1以内に収まるような座標系の区割りになっている。
角度の相互関係が、地図上でも現地でも同じとなるような等角性を有した地図投影法である。
現在の、国土地理院が発行している2万5千分の1地形図などの地図投影法は、ユニバーサル横メルカトル図法(略してUTM図法)と呼ばれるものだが、ガウス・クリューゲル等角投影における地球上の区域の設定の仕方を、そのエリアにおける距離の投影誤差が、中央経線上で1万分の4になるようにしてあるという違いだけで、地図投影法(図法)は横軸等角円筒図法である。
私たちが発掘作業をさせてもらっている大村市竹松遺跡の現場は、公共座標系で言えば、第Ⅰ(だいいち)系の中の第2象限の区域に存在している。
縦軸をX軸とし、横軸をY軸とする測量座標系で言えば、大村市竹松遺跡の発掘現場は、座標系の原点よりも東側(右側)で、かつ南側(下側)の区域に存在していることになる。
座標値で表現すれば、発掘区域の中央付近で、X座標値がマイナス4860メートル、Y座標値がプラス41620メートルになっている。
座標系の中の象限の決め方も、数学座標と測量座標とでは異なる。
数学座標では第1象限を基準にして左回りに第2、第3、第4象限というふうに呼ぶが、測量座標では、第1象限を基準にして右回りに第2、第3、第4象限と呼ぶ。
要するに、北方向を上側、東方向を右側として表現する平面図上において、座標系の原点に対して右上方向の区画を第1象限と呼ぶ事は数学座標でも測量座標でも同じであるが、数学座標の第2象限は測量座標では第4象限と呼び、数学座標の第4象限は測量座標では第2象限と呼ぶ。
第3象限は、数学座標でも測量座標でも同じ区画の場所を指し、座標系原点の左下側の区画をいう。
ガウス・クリューゲル等角投影(図法)は、横軸等角円筒投影(図法)であり、、ガウスさんとクリューゲルさんという別々の人が、ほぼ同じ時期に考案した地図投影図法であるという事からそのような呼び方になったという事。
このブログの別の所で書いたが、学問や技術の分野では、別々の場所で同時発生的に同じような考え方や技術が存在していたのではないかという私見の背景になる一つの事例でもある。
磁針(羅針盤)が北を指し示す方向を磁北というが、磁北は極北の方向を指し示してはいない。
現在の日本においては、磁北は極北よりも西側を示しており、この事を「磁針偏差」といい、地域によって少しずつ異なる。
磁気偏差ともいい、真北(座標北方向)と磁北とのなす角度をいう。
日本では大阪で真北に対して磁北が西に(西偏という)6度50分、神戸で7度、京都で7度10分など地域で異なり、北に上がるほど大きくなり、北海道では9~10度となっている。
また時間とともにも変化しており、17世紀中ごろは東偏8度ぐらいに達しており、徐々に変化し、19世紀初めに西偏となり、現在でも西偏が進んでいる。
要するに磁石の針が示す北方向は、地球の北極点の方向を示しているのでは無く、地域によってもその偏角の角度は異なり、年代によっても変化しているものであるという認識を持っておいた方が良い。
陰陽道(おんみょうどう)などで吉凶の方角などを占うらしいが、陰陽師(おんみょうじ)と呼ばれる特殊な能力を持つと言われている人たちは、その根拠とする方角はどのようにして知りえていたのか興味深い。
鏡や磁針、水晶玉などを、陰陽道の七つ道具として持ち歩いていたのかもしれない。
などと空想すれば、建物を建てる際の建物の向きも、その時々の磁針方位によって決めていたのかもしれないなどと空想は膨らんで行く。
いにしえの遺構の出土によって、様々な事柄の関連を想像する事が出来る。
本日の現実。
諫早市飯盛町結の浜での釣果は、コノシロの子が26匹、カワハギの子が23匹。
使った餌代370円。
要した時間は、午前11時頃から午後3時半頃まで。
午後5時には、恩義ある知人Mさんが、事務所の整理のために、私が関わらせてもらった測量成果の報告書や図面を持って訪れた。
私たち人類は、進化の過程で魚だったという話が印象的だった。
だから、塩と水が不可欠なのだと。
熱中症対策にも水分と塩分が必要なのは、その事に起因するのかななどと勝手に連想してしまった。
色々と興味深い話をされるMさんとの会話の時間は、またたく間に過ぎてしまう。
2時間半が過ぎていた。
良い休日だった。
豊田一喜