6月11日(土)曇
2時半過ぎに地下鉄を降りて新宿中央公園につく。人の流れについていった広場で集会?が続いていた。隅にビニール袋を敷いて腰を下ろしデモの始まるのを待つ。女子高校生と思われるグループの歌声が聞こえてくる。
都庁の裏の淀橋浄水場跡が公園になっていることは知っていたが思っていたより樹木も豊かで広大だ。巨大な都庁の二つのビルが目前に聳えている。こんなところで集会?をするとは夢にも思わなかった。集会といってもステージがあるわけではなく参加者の多くには何をやっているのか良くはわからない。
3時過ぎからデモが始まった。気づいたら僕は第二梯団の先頭部にいた。警察がデモ隊を勝手に分断して長い列を作らせないのだ。隣には赤ちゃんを背負った若い女性が2才位の男の子の手を引いて歩いている。家族の自然なふるまいが僕にはとても心地よい。
格別のリーダーもいないせいか、見ず知らずの人々がほとんど無言で歩くだけである。たまに「原発反対」「子どもを守れ」などと声を挙げる老夫婦がいるくらいのものである。
警察車両から流れる指揮官の甲高い声とおびただしい数の警察官の壁がデモ隊を威圧する。前線の指揮をしている警察官に抗議をしてみた。意外にも「申し訳ございません」「市民の表現の自由を威圧する結果になってしまった」という返事が帰ってきた。
赤ちゃん連れの女性をはじめとして原発の放出する放射能に危機を感じる人たちが市民として静かに抗議の意思を示している。初めてデモに参加したと思われる若い人が多い。こういう事態に直面して警察当局の目論見が狂ったのだろう。「お巡りさんも非番の時はデモに加わってください」という声も聞こえてくる。
警察官になった同じ年頃の元生徒たちのことを思い出しながら、警備のあり方を考え直してねと言ったら、「わかりました」と言う返事が笑顔と共に帰ってきた。
交通量の多い新宿の繁華街を行くのだから仕方がないのかもしれないが歩くよりは立ち止まっている時間の方がはるかに長い。目的地の東口広場についたのは6時くらいか。3時間もかかった。
デモの最中に安哲さんがやってきて声をかけてくれた。45年前、(伊豆)大島高校での旧先輩同僚。デモ終了後、誘われるままに寿司屋へ。
デモのなかに僕を見つけて嬉しかったと言ってくださった。?10年ぶりに意見交換をした。私たちは未曾有の危機のただ中にいる。年はとっても市民の一人としてどう生きたら良いのか、話は尽きない。帰宅はちょうど零時ころ。日頃の鍛(きたえ)のせいか、それほどの疲れはない。
●6・11反原発デモhttp://www.youtube.com/watch?v=qx4D4VJHJJo&NR=1
こういう元気のいい人たちと僕たちは切り離されていたことがわかる。