怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

池田清彦「SDGsの大噓」

2023-03-04 18:14:04 | 
このところテレビを見ていてもSGDsという言葉をよく聞き、企業経営者などもバッジをつけている人が多い。
直訳すれば「持続可能な開発目標」
国連サミットで17の目標が設定されています。
具体的には
1.貧困をなくそう
2.飢餓をゼロに
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに
5・ジェンダー平等を実現しよう
6.安全な水とトイレを世界中に
7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに
8.働き甲斐も経済成長も
9.産業と技術革新の基盤を作ろう
10.人や国の不平等感をなくそう
11. 住みつづけられるまちづくりを
12. つくる責任 つかう責任
13.気候変動に具体的対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさを守ろう
16.平和と公正をすべての人に
17.パートナーシップで目標を達成しよう
どれも異論をはさむ余地がないもっともな17項目。
でも具体的に考えると実現が難しいものもあって、相互に対立する場合もある。実現できないおとぎ話はウソと池田先生は断言している。

今の風潮ではSDGsはウソと言うことは四面楚歌となりそうですが、そこは怖いものなしのリバタリアンで忖度のない発言をしています。もっとも出演しているテレビなどではいろいろ話しても実際の放送ではカットされていることが多いそうです。
17の項目のうちでも、14.海の豊かさを守ろうと15.陸の豊かさを守ろうは、飢餓をゼロにしようとはトレードオフの関係になる。飢餓をなくすためには、食糧の増産が必要であるので、さらに開墾して農地を増やすしかないし、漁獲量を増やしていかないといけない。開墾して農地を増やせば生物多様性は失われていくし、漁獲量を増やせば海の豊かさは失われていく。
さらに言えば地球人口は増え続けていて近い将来100億人を超える予想だが、増え続ける人口を養うことが出来るようにするためには、膨大なエネルギー供給も必要でありクリーンエネルギーだけに頼ることはできない。今の農業も漁業も昔と比べると格段に生産性は高いのだが、それを支えているのはトラクター、コンバインなどの農業機械であり、大型漁船であり魚群探知機などなのだが、それを動かすには当然ながらエネルギーを消費する。クリーンエネルギーだけで賄うのはできるのか。太陽光発電は家の屋根につけている分にはいいのだが、耕作放棄地に大規模に作るのは下の土地を日の当たらない死んだ土地にしてしまい陸の豊かさとは相いれない。風力発電も環境影響についてはいろいろ言われている。
実はこの項目の中に「地球人口をこれ以上増やさない」と言う項目はないのだが、飢餓をなくして、かつ生物多様性を守り陸と海の豊かさを守るには、これ以上人口を増やしていえばどうしても無理があるのだが、そこはアンタッチャブル。
池田先生曰く「人口抑制」は欧米諸国が主導権を持っているグローバル資本主義にとっては受け入れがたく、そこから目をそらすためにSDGsのようなきれいごとを並べて八方ふさがりの状況をごまかしている。このSDGsで並べられている美しいスローガンは、地球環境やよりよい未来のためにほとんど役に立たない虚構で、グローバル資本主義によって恩恵を受けている欧米諸国が一人勝ちするようなルールを世界に押し付けるためのプロバガンダ、こうはっきり言いにくいことを言うとなかなかテレビで生放送ではしゃべられないかな。
まあ、池田先生は地球温暖化論自体についても懐疑的で、地球の気候変動をCО2だけに還元して予測するのは間違っていると言っている。気候変動は不確実性の世界で、過去から見ると太陽の黒点とか火山活動などいろいろな要因が重なって大きく動ている。CО2だけで論ずることはあまりにも単純化しすぎというのは説得力があります。
ちなみにCО2濃度は白亜紀にはもっと高かったそうで、そのため植物の生育が早く繁茂したからこそ恐竜が闊歩するだけの食糧が確保できたそうです。
とは言っても建前と言えども17項目あると自分で出来そうなことだけでもちょこっとやってみてSDGsに貢献できていると自己満足できるし、免罪符になっている。企業にとっても出来そうなことをいいとこどりして社会的にアピールできるのは、好都合なのでしょう。スローガン的にはできることからまず一歩。でもそれが本当に地球環境にやさしく、人類の未来に役に立つのか。あまりにも建前としての正論すぎて、ちょっとうさん臭くなるのは否めないような気がします。
ところでグローバル資本主義なり増殖する資本が環境問題を悪化させていて、そこと対峙しなければ問題は解決しないと言うのは、斎藤幸平の「人新世の資本論」でも主張されている。

斎藤幸平はマルキストで池田清彦はリバタリアン。全く異なる思想信条なのに同じようなことを考えている。「人新世の資本論」についてはいずれレビューしようかと思っていますが、一度読んだだけではとても考えをきちんとまとめられずにいます。もう一度読んでから考えをまとめられたら思っていますけど、どうなることやら。
コメント
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