怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「経済学の宇宙」岩井克人

2016-08-18 07:07:29 | 
確か今年のゴールデンウイークの前だったと思うのですが、「マーケットアナライズ」という番組でゴールデンウイークに読む本を推薦するコーナーがあって、岡崎良介がこの本を推薦していました。岡崎良介と言えば知る人ぞ知るマーケットアナリスト。どちらかと言えば日々鉄火場なようなマーケットの中で生きている人と思っていたので意外な推薦本ということで記憶にありました。
岩井克人の本は読んだことはなくどちらかと言えば異端な経済学者でしょう。まあ、ハードカバーで500ページ近い本ですので連休中に腰を据えて読むのにはいいかもしれません。

連休を過ぎましたが、予約していたらやっと借りることができたので大部の本ですが挑戦してみました。
日経新聞の編集委員の前田裕之を聞き手として、岩井の研究生活を振り返っていきます。
宇野孝蔵の「経済学」を読んで経済学部を志望したのですが、いつの間にかというか根岸隆の「近代経済学」の講義に感銘を受け「近経」に。小宮隆太郎のゼミに入り、それからはとんとん拍子にアメリカへ留学し、次々と論文を発表して経済成長理論で注目を集めるようになります。本人曰く早すぎた頂点です。
それにしてもここで出てくるいろいろな学者の名前と理論の要約を読んでいると一応経済学を理解できないながらもまじめに勉強していた学部の学生時代に戻った気分です。
近経の小宮隆太郎や舘龍一郎の本は必読教科書(国家公務員上級の経済学はここから出題されるという噂だった)だったし、サムエルソンやドーマー、フィッシャーそしてソローなどなど、本でしか知らない学者の人間性とか息遣いまで読み取れます。
残念ながら東大系ですので、私が直接教えていただいた飯田經夫とか平田清明、水田洋、小池和夫(一度だけで登場)などの方々は出てきません。一橋系の都留重人とか宮崎義一とか伊東光晴の名前も出てきません。学者の世界もなかなか垣根が高いか。
ところで早すぎる頂点に立ってからは、主流派の新古典派総合経済学に飽き足らずケインズの研究に突き進み、「不均衡動学」として結実します。
ここから岩井は資本主義経済の不安定性を「不均衡動学」に、シュンペーターを導きの糸に産業資本主義の解明による「資本主義論」、そして問題意識の赴くままに「貨幣論」、「法人論」「信任論」「言語・法・貨幣論」へと思考を進めていきます。
それぞれの議論は大変面白いのですが、いかんせん還暦過ぎたボケボケの脳細胞では半分も理解ができません。
でも現在の状況に切り込んでいく非常に現代的なテーマもあり、岡崎良介が推薦した理由がわかるような気がします。分からないなりに興味があった論を順に記してみます。
当時(今も)アメリカを席巻していたフリードマンや合理的期待仮設のルーカスなどは徹底した「均衡理論」です。しかし、(詳しい説明は読んでもらうとして)資本主義は貨幣経済であることによって本質的に不均衡で、資本主義がこれまである程度の安定性を保ってきたのは、貨幣賃金の硬直性や資本移動の規制、さらには中央銀行や財政当局の景気変動抑圧的なマクロ政策によるものであると。資本主義経済においては効率と安定性とは二律背反の関係にあるのです。市場万能で規制緩和こそ効率と安定をもたらすという議論の対極です。当然ながらこういう論はレーガンとサッチャーの時代のアメリカでは受け入れられません。
利潤は何から生まれるかというと「差異」からというのが基本原理。これは商売をやってみれば分かります。ところで産業革命以後の産業資本主義では労働生産性と実質賃金率との差異が存在することによって利潤が生じます。産業資本主義の現実をみてマルクスは労働価値説を考えたのですが、利潤の源泉となったその「差異」は産業革命による工場システムの発明と農村に滞留する過剰人口の存在という二つの歴史的要因がマクロ的に作り出した「差異」です。マルクスの資本主義論は「発展途上国」における資本主義論に過ぎなく資本主義の一般理論ではないと。そういえば革命がおこったのは遅れてきたロシアであり帝国主義に食い荒らされていた中国であった…この議論を70年ごろにやっていたら総攻撃を受けたでしょう。でも案外宇野派の議論とは整合的なのかも。農村の過剰人口が枯渇した先進国では、その「差異」を発展途上国に求めていったのです。
ではポスト産業資本主義では利潤を確保するためにどこに「差異」を求めるのか?
他の企業より効率的な技術、他の企業より魅力的な製品、他の企業が参入しない市場、他の企業とは異なった経営組織、すなわち「革新(イノベーション)」を追求せざるを得ないのです。
ここから岩井は日本に帰ってきて貨幣論に取り組みます。
貨幣とは何か。岩井は理論的には「貨幣商品説」も「貨幣法制説」も誤りで「貨幣とは貨幣として使われているから貨幣である」と自己循環法で定義している。ここでマルクスの価値形態論を読み直しているのですが、そこでは単純な価値形態→全般的価値形態→一般的価値形態→貨幣形態という価値形態の理論的な発展形態を歴史がたどっていくとしています。ここらあたりはマルクス経済学を学ぶと一度は通るのですが資本論の記述がわざとのようにわかりにくくしてあるのか難解で、さっぱり理解不能になっていく部分です。ただうろ覚えとしてマルクスが先験的に「金」を貨幣としているのですが、何か違和感を感じた記憶です。金は当然ながら金鉱山から生産されるものである以上、ここで労働価値説が崩壊してしまいます。貨幣として流通している金の量は太古からのすべての金の生産量の総和ですが、その総和の価値を日々の金生産のために投入される労働量で説明していることになります(ストックの価値をフローの生産費で説明!)。因果関係は逆で貨幣として流通する金全体の価値が、金鉱における生産費用の上限を規定しているのです。
それはさておき、貨幣とは、だれもがそれを未来永劫にわたって受け入れてくれるという「予想の無限の連鎖」によってその価値が支えられているに過ぎない。恐慌において、人々が商品よりも貨幣を欲しているということは、具体的なものの有用性よりも「予想の無限の連鎖」の存続を信頼しているから。資本主義の真の危機とはその「予想の無限の連鎖」が崩壊してしまうこと=「ハイパーインフレーション」です。資本主義の長期的な安定を保つためには貨幣価値の信任を保つことが不可欠であり、中央銀行の伝統的な使命の重要性を改めて認識するものです。この議論は現在の金融政策の評価に鋭い批判になっています。
時代は日本がバブル経済に突入していくのですが、日本経済を分析する中で日本企業が資本主義と矛盾しているのではないということから、ここからの関心は「法人論」へ。
法人とは「本来はヒトではないのに、法律上ヒトとして扱われるモノ」なのですが、ローマの昔から大論争があり、大まかには「法人名目説」と「法人実在説」の二つの立場があります。しかし会社という制度には本来会社を純粋にモノにするという法人名目説的な仕組みと、会社を純粋にヒトとする法人実在説的仕組みが、ともに仕組まれていたのです。ただ、アメリカやイギリスの資本主義は、活発な企業買収を通じて、法人名目説を現実化し、株価の最大化を経営目標とする傾斜システムを作り上げてきました。1990年代以降の英米経済の輝かしい成功によって会社システムは新古典派的な株価最大化モデルと言う「標準モデル」に収斂しつつある。日本でも盛んにRОE重視だとか言われている。
しかし、ポスト産業資本主義における企業は、利潤の源泉が機械製工場から、ヒトの能力や知識に大きく移行しつつあります。お金でヒトは買えないし、創造性は支配できない。お金が支配力を失っていくのです。金融革命などというのは先進資本主義国の中でお金の確実な投資先を失ったことの結果です。これからは会社の中で、従業員や技術者や経営者が自ら率先して差異性を生み出し続けていくことのできるような人的組織を育成していくことが必要になってきます。会社システムの中軸的な形態が法人実在説=組織自律的会社へと変化していく傾向があると。
この議論は会社統治論に発展していきます。
今は「コーポレートガバナンス」ということがよく言われていますが、岩井は「会社統治」という言葉を使います。会社統治とは法人化された2階建ての「会社」の問題であって法人化されていない単なる「企業」の問題ではない。企業では必要な資産はオーナー個人の資産であり、オーナー自身が経営に携わり、仮に経営者を雇う場合は代理契約を結ぶものです。すなわちオーナーと経営者との関係は「契約関係」なのです。
しかし、この契約理論=エージェンシー理論を会社統治に応用すると混乱が生じます。そして今のアメリカの主流理論はこのエージェンシー理論を応用したものになっています。ここから経営者へのアメとムチとしてストックオプション制度や企業買収の奨励が出てきます。しかし岩井はこれを企業の経営者と会社の経営者を混同した理論的誤謬と言います。
会社は法人であり、現実に経営を行う生身の経営者が不可欠であり、企業のオーナーの代理人とは違い、株主の代理人でもない。
では会社の経営者とはいったい何者なのか?
会社と「信任関係」にある人間というのが答えです。
契約関係というのは原則的には対等な人間同士の関係です。信任関係とは、医師が患者に対して患者の利益になる治療を忠実に行うように、信任預託者に対して「忠実義務」を負うことによって維持されています。企業統治には「倫理」性が求められているというのです。今はエージェンシー理論によって経営者に「忠実義務」ではなく「自己契約」する自由を与え、お手盛りで報酬額が決められ、経営者報酬の急膨張を引き起こしています。
話はこれからどんどん拡散していき、カントからアリストテレスまで行きついていきます。もはや私のスカスカ頭にはついていけない領域なので、興味が出てきた人は是非この本を読んでください。でもここまでで4000字を超えていて、このブログ、本の紹介は理屈ぽすぎてスルーという人が多いみたいなので、ここまで読んだ人もあまりいないかもしれませんね。
500ページ余りのハードカバーですが、難しいところは適当に飛ばして我慢して読むと現在のグローバルリズム、主流派経済学に対する強烈な理論的反論になっているのがわかると思います。だからこそ岡崎良介がゴールデンウイークに読む本で勧めたことに違和感があるのですが、市場の後ろにある世界史的流れも知る必要があるということでしょうか。ゴールデンウイークではなく盆休みにやっと読めたのですが、知的刺激に満ちた久しぶりに学生時代の感覚が戻ったような本でした。

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