怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

12月12日千種公園テニスコート

2015-12-15 07:06:44 | テニス
金曜日の明け方は低気圧の通過で嵐のようでした。朝起きたらベランダや外階段がビショビショなのでびっくり。植木鉢が飛んでいかなくてよかった。
それでも有難いことに土曜日は風もなくいい天気
この日は千種公園。ハードコートなので不評なのですが空いていたから仕方ないでしょ。でもヤッターマンは欠席、OBさんも仕事で欠席の連絡、果たして4人集まるのか…
西高蔵8時50分の地下鉄に乗って今池へ。ここからは30年近く前に東市民病院に行くために毎日通った道。地下鉄の出口を出た風景がいきなり変わってコンビニができたり店の名前が変わったりしています。水道道緑道の桜の木が太くなっていたので一層風格が出てきました。いつの間にか原病院が千種病院という名前に変わっています。ちょっとした私の「アルト・ハイゼルベルヒ」(よくわからない人は太宰治の小説を読んでください)です。
千種公園に入ると今更ながら初めて知ったのですが、ここは昔千種工廠だったのですごい空襲を受けていたので空襲を受けた塀が残してあり記録の碑が立っていました。

テニスコートのほうへ回り込んでいくと立派なソテツがあります。実はこのソテツ、昔の東市民病院の伝染病院の玄関にあったもの。病棟の新築工事の際に土木事務所に頼んで移植したものです。

今でも元気に育っています。がんばれ~こんなこと知っているのももう私くらいになったかもしれません。
さてコートに着くとはげ親父、森の熊さん、タケちゃんマン、1059さんが乱打をやっていました。私で5人になります。まずはメンバーは集まったみたいです。準備体操をして私も乱打に入れてもらいます。風もなくて動くと汗をかき暑い。小春日和のいい天気でしたが、太陽が低いので南向きの時はまぶしい。
一休みしたらじゃんけんして試合です。
私は5番だったので一休みしてから、はげ親父と組んで森の熊さん、タケちゃんマン組と対戦。ところがチャンスボールでの私のボレーミスが重なって取れるはずのゲームを落としてしまい1:3の負け。チャンスボールをミスしてラッキーと言われると胸にグサリときます。平常心でポシティブに行かなくては。
次は気分を切り替えて森の熊さんと組んで1059さん・はげ親父組と対戦。ここは太陽も味方につけて森の熊さんの踏ん張りにつられて頑張ったので4:0の完勝。久しぶりの完封勝ち!それにしても病み上がりのはずなのに森の熊さんはまだまだ若さあるテニスをします。
ここで遅れて山の神さんが登場。タイア交換の予約がしてあったので遅れたけど車で来たとか
それではさっそく練習してもらい試合に。1059さんと組んでタケちゃんマン、山の神と対戦したのですが、山の神さんはステディなテニスでこちらがミスを重ねて1ゲームを取るのがやっと。まだまだだね…
続けて1059さんと組んで森の熊さん、はげ親父組と対戦。ここは粘って粘って何とか2:2の引き分けに持ち込むことができました。
この時点で11時30分になったのですが、タケちゃんマンは早々と肘のアイシングをしています。
最後の試合は森の熊さんと組んで1059、山の神組と対戦。一進一退の展開でもつれたのですがこれまた何とか2:2の引き分けに。
ハードコートなので結構膝に来て足に乳酸がたまってきた感じで終了。疲れた~
この日のビールは飲むのが私とはげ親父、タケちゃんマンの3人だけなので350缶が2本に5百缶2本でした。
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なまかじりの私的落語家ランキング

2015-12-13 18:05:02 | Weblog
「赤メダカ」つながりで、あまり詳しくはないのですがわたくしのごくごく個人的な落語家のランキングを書いてみます。
前にも書いたように立川談志はその言行にちょっとアレルギーを感じてテレビではあまりじっくりやったのを見ていなかったこともあり、死後「芝浜」を見るまでは高く評価していませんでした。落語の理論では一家言あるにしても理屈が優っている感じでした。
うろ覚えながらテレビで話しているのを聞いた記憶があるのですが、その談志が真打昇進を志ん朝に先を越された時、談志が志ん朝に文句を言ったら志ん朝は「私には真打に相応しい実力がある」と言ったとか。落語の質は違うのだが不本意ながら談志も志ん朝の実力を認めていてその時の口調は身の程知らずとかとんでもない奴だというニュアンスではなくしょうがないなぁという感じだったと思います。
それでも私の落語家の評価としては理屈抜きに
第1位は桂枝雀
第2位桂米朝
と関西優位。枝雀、米朝の指定コンビの落語を同時代に聞けたのは幸せだったと思っています。
第3位古今亭志ん朝
東京ではやっぱりこの人しかいません。
第4位立川談志
ビデオでしたが「芝浜」は魂をごつんとつかまれて鳥肌立つものでした。「芝浜」という話はよく知っているし何回もいろいろな人のを聞いているのに、この感動をもたらす力は談春が魅せられた通りです。
第5位春風亭小朝
昨年高座を見たところです。現役世代ではぴか一、と言っても私は志の輔や談春の落語を聞いたこともないし、ごくごく狭い範囲でのぴか一ですけどね。
非常に狭い範囲の知見での勝手なランキングなのでどうしてもテレビラジオにたくさん出てた方が上位になっています。
勝手なランキングなので異論も多いと思いますが、みんな自分なりのランキングをぜひコメントしてください。
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「赤めだか」立川談春

2015-12-12 17:00:50 | 
立川談春というと今や独演会のチケットが売り出すと瞬時に蒸発するという人気、実力ともに兼ね備えた落語家。談志をして俺よりうまいと言わしめた落語をできる落語家。
加えて「下町ロケット」では、経理部長として鼻の穴を広げて社長を補佐し、佃製作所を支える役を熱演している。まあ、ルーズベルトゲームでの悪役社長も憎々しくてよかったけどね。
この本は「談春のセイシュン」として雑誌連載されていたものを改題して単行本にしたものですが、いや面白かったですね。

談春が17歳で高校を中退して立川談志に弟子入りしてから二つ目、真打になるまでのエッセイというか自伝なのですが、語られていることはすべて談志との絡みです。その意味では自伝ではなく弟子から見た談志です。
ちなみに「赤めだか」というのは談志が飼っていた金魚がいくら餌をやってもちっとも大きくならないので赤めだかと呼んでいたことから。当時の弟子たちの姿を彷彿とさせますが、それでも立派な金魚になっていくのです。
それにしても師匠の談志のやること言うことの無茶苦茶さはまさに破天荒。談志は「修業とは矛盾に耐えること」と言っていたが、月並みだけど本当によほどの覚悟がないとやってられない。いざ弟子入りすると現実に耐えきれずに辞める奴も多い。談春は弟子に厳しいと言われているそうだが自分が体験したことに比べたらまだまだと思っているのではないだろうか。少なくとも談志のような理不尽というか常識で判断できない考え方の人に仕えた身としては厳し胃などというレベルが違い何でもないのだろう。
だが、読んでいると感ずるのですが談志には弟子たちへの愛情がある。それが素直に出てこないのですが、ちゃんと弟子にはわかる。だからこそ続いたんだろうな…弟子は談志に惚れ抜き、談志も自分のところに来た弟子は(素直には絶対言わないけれども)愛情をもって育てようとしているのがわかる人にはわかる。
同世代の落語家では志ん朝というこれまた名人がいたのですが談春は最初志ん朝に弟子入りしようと思っていたのが、ある時談志の「芝浜」を聞いて衝撃を受け談志に弟子入りすることにしたとか。正直わたしも志ん朝の落語の方が上品で色気もあって好きだったのですが、談志が亡くなった時テレビで「芝浜」のビデオを見た時には衝撃を受けました。物議を醸す物言いと行動で目立ちたいだけと思い、それまであまりきちんと落語を聞いたことがなかったのですが、凄かったですね、談志の世界に引き込まれてしまいました。
「落語は人間の業の肯定だ」と常々言っていたのですが、この本の中にそこかしこに出てくる落語に対する考え方は芸のためにわが身を削って精進して突き詰めていったことから出てきたものでしょう。弟子たちにそれが理解できるのには時間と経験が必要なんでしょうけど。
それにしても談春も相当ハチャメチャです。中学生時代から競艇場に通いつめ、競艇選手になりたかったけど身長オーバーであきらめざるを得なかったとか。この本には書いていないけど今まで競艇につぎ込んだお金は軽く億を超えるとか。それでも二つ目になる時に一か八かで競艇で儲けて羽織を買おうとしたけどなかなか買えない。戦うことさえできなかったのだ。博奕の才能とはいくら儲けたかではなくて、いくら買えたかだと言うのだが、それでは博奕の才能はなかったということだよね。でも今でも競艇通いはやめていないんだろうな。
前座時代からの兄弟弟子たちとの関係も興味深い。同期としては談秋というまじめだけど要領が悪くてパニックになる人がいたのですが、結局辞めてしまいます。談秋との別れのシーンは泣けてきます。
兄弟子には志の輔がいるのですが、大学を出て仕事を辞めて弟子入りしただけあって立川流の二つ目になる基準(古典落語の持ちネタ50席、鳴り物ひととおり、歌舞音曲を理解している)を2年弱でクリアーし才気煥発、談志も一目置いていたのでしょう。同じく大学卒で弟弟子ながら歳は上で女房持ちの志らくとの関係は微妙。二つ目には同時に昇進しているのですが、真打には志らくが追い越しています。その時の葛藤というか談志の対応を含めて人間の業というのは深いものですね。でもその時に救われたのは、さだまさしの「長所をのばすことだけ考えろ」というアドバイス。なんとなくさだまさしと談春ってうまく結びつかないのだけど人の縁とはいろいろですね。
談春が真打に挑戦する時に出てくる米朝師匠、小さん師匠、そして談志、みんな談春の芸を認めているからこそなんでしょうけど気さくで親切で芸に真剣に取り組んでいる素敵な人たちです。ここで明らかにされる小さんと談志の関係というか二人のそれぞれの思いには胸を打たれます。これは直接双方と掛け合った談春しかかけなかったのでしょうけど、お互いに立場があって素直にはなれないけど心の中では深く思っているんです。
いや~チケットは取れそうもないけど一度生で聞いてみたいものです。名古屋でも中電ホールでやっているんですよね。
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12月6日若宮大通り公園テニスコートの後は「紫禁城」

2015-12-09 07:19:15 | テニス
テニスを終えて歩いていつもの「紫禁城」へ。12時前なのに結構混んでいます。
OBさんは生ビールを、我々はコートでビールを飲んできたので焼酎の一升瓶をキープすることに。
それでは「黒霧島」を。
タケちゃんマンが嬉しそうにグラスに焼酎を注ぎますが、イマイチ量が一定になりません。

お湯割りにしますが、お湯が来るのを待ちきれずに私は水割りに。それでは乾杯~
つまみは、青菜炒めを2人前。

これは結構油っぽいので、次は浅利の様蒸しを。

今の季節にしては浅利が大きいのですが、冷凍?殻付きで冷凍はあるのかな?
定番の餃子も2人前。出てくるとすぐに食べてしまうので、写真を取る時には残っているのは1個だけ。

料理人が変わったのかちょっと味が変わりました。
エビチリももらいます。この日のランチメニューはエビチリなのでか、出てくるのが早い。

焼酎はどんどんお替りして生ビールも追加。
ふわふわ明太たまごを頼むと、負けじとトマトと卵炒めを頼む輩が出てくる。トマトは苦手なのに…


さらにげその鉄板焼きを頼むのですが、これには凶悪な唐辛子が点在しているので慎重によけながら食べないと。

さすがに一升瓶を飲みきることはできずに半分ぐらい飲んで、お勘定に。
一人3千円でおつりは基金に入れておきました。
帰りはJRで金山まで行きふらふらと歩きつつイオンでトイレ休憩しつつ無事帰宅できました。
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12月6日若宮大通り公園テニスコート

2015-12-07 20:57:48 | テニス
夜実家で夕食を食べて飲みすぎたせいなのか、夜中に足を攣ってしまった。寝返りを打ちかけた時にピリッと来てこれはやばいとふくらはぎを寝ぼけ眼でマッサージしたのですが如何ともしがたく攣る。朝起きても足に痛みが残ってしまいました。
それでも曇っていても雨が降る様子はなく、おもむろに家を出て8時54分のバスに乗って若宮大通り公園テニスコートへ。
9時10分には着いたのですがちょうどはげ親父と一緒になりました。
コートにはほぼ1か月以上ご無沙汰の森の熊さんが元気に乱打をしていました。元気でよかった、よかった。ほかにヤッターマン、OBさん、タケちゃんマン、1059さんといて、この日は7人のほぼオールスター集結
早速乱打に入れてもらいますが、どうも足の痛みは残り、曇っていて陽がさしていないせいかどうもボールが見えにくい。これは実力なんでしょうが当たり損ねばかりになってしまいます。なんだかな~
まあ、乱打をしばらくやって一休み。例によってビールをゴクリ。
公園の周りは銀杏がきれいに色づいています。

歩道には銀杏がゴロゴロ、踏まないようにしないと。
それではじゃんけんして試合に始めます。
最初はOBさんと組んで森の熊さん、タケちゃんマン組と対戦。この試合は最初いいところなく2ゲームを落としたのですがここから何とか踏ん張り2:2に持ち込みました。
この後の試合はタケちゃんマンと組んでヤッターマン、1059組と対戦したのですが、この試合は全ゲームがラブゲームという淡々というか一方的なゲームばかりで早々に1:3で終了。
いつもながら休憩中はビールを飲んで、と言ってもOBさん、1059さん、森の熊さんは飲まないので4人で缶ビールを8本飲みました。

この後の試合ははげ親父と組んで1059、OBさん組と対戦。この試合は29年生まれコンビが頑張って3:1で勝利。やっぱり1回ぐらいは勝たないとね。
この日は7人いるので休みなく試合を続けます。次は森の熊さんと組んでOBさん、はげ親父組と対戦。病み上がりとは思えないタフな動きで森の熊さんが頑張り何とか2:2に持ち込みました。
最後の試合は1059さんと組んでOBさん、森の熊さん組と対戦でしたが1ゲーム取るのがやっとの1:3の負け。森の熊さんの動きについていけませんでした。
ここで11時30分になり、もういいか。コート整備をして終了します。
森の熊さんはまだ本調子でないのかこのまま帰ります。1059さんも所用があるとかでここでさようなら。
いつもの紫禁城に行く途中で小屋がけしているおじさんに缶ビールの空き缶を要りませんかというと嬉しそうにありがとう。そう感謝されるようなことでもないのですけどね。まあ、ありがとう言われるように、言うように。
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「物語の役割」小川洋子

2015-12-05 08:19:58 | 
3部構成になっていますが、小川洋子が3回にわたって物語について講演した記録を基にしたものです。
小川洋子が小説を創作していく様子ともの心ついてから影響を受けてきた数々の本についてよく分かります。

「博士の愛した数式」を書くきっかけはなんとテレビで藤原正彦(新田次郎と藤原ていの息子であの「国家の品格」というベストセラーを書いた数学者)がハミルトンという数学者の悲恋を語ったのを見たことからとか。数学には知識も縁もなかったのに数学者に興味を持ち、数学者を主人公にした小説を考える。
数学者と適当な距離を保ちつつ、尊敬の念を育めるような関係の観察者として家政婦さん、これで主要な登場人物が決まります。
そして「友愛数」;一方の約数の和が、他方の約数の和になるというペアの数。最初にピタゴラスが発見したペアの数は220と284です。そして物語では220は家政婦さんの誕生日2月20日に、284は数学者が論文を書いて賞をもらった時の記念品の腕時計に刻まれている番号になります。
こうやって場面、場面が浮かび上がっていく中で自然と物語が出来上がっていく。創作者であるはずの小川洋子より前に博士や家政婦やルート君がいて、自分より前にすでに完全数や友愛数がある。そういうものがすべてある者の姿を一生懸命追いかけていって、振り返った時に、自分の足跡が小説になっているという感じ。
小説というのは言葉で書いてあるのに、言葉にできない感動を与えなければいけない矛盾に満ちた困難な仕事だけに謙虚に書き続けているのでしょう。
第2部では短編小説集「まぶた」の中にある「リンデンバウム通りの双子」という小説の創作過程をより具体的に話しています。
小説のタネとの出会いは論理的に起こる現象ではなくて、突然前触れもなく、しかも非常に静かにやってくる瞬間なので、静かに待つしかない。この小説も「ヨーロッパの家」という写真集を見ていて、その中の年老いた兄弟の写真を目にとめてかすかな予感を感じたとか。それとは無関係に友人とおしゃべりをした時のエピソードが結びついて勝手な妄想なのですが頭の中に映像が浮かんできた。映像が浮かんでくることが小説になるというサイン。言葉が浮かんでくることが始まりではなく、言葉は常に後から遅れてやってくる感触なのだそうです。
浮かんできた2つの無関係なものに橋をかけるのは自分なりの想像力なのですが、ふたつのものをつないで自分だけの一つの王国を作り上げていくのです。ストーリーも最初から決まっているものではなくて橋をかけた段階で自然に浮かび上がってきたもの、小説が書ける予感がした時にはストーリーは一字も思い浮かんでいない。ストーリーは作家が考えるものではなくて、実はすでにあって、それを逃さないようにキャッチするのが作家の役目。
う~ん、そういうキャッチができるのはやっぱり稀有な才能なんでしょうけどね。
第3部では小川洋子の幼い時からの読書遍歴が披露されますが、小学校1年にしてボタンとボタンホールの物語を自分で作り自分を救っています。それはさておき小学生の時に夢中になったのは「ファーブル昆虫記」とか。これは私も小学5年か6年の時に夢中になって読んだ記憶があります。「トムは真夜中の庭で」という物語は知りませんでした。でもこれってジブリのアニメの原作になっているのでは?
そして「アンネの日記」。いろいろな場所で触れていますが、隠れ家という殻に閉じ込められた特別な才能を持った少女の濃密な2年間の記録。
民族も言葉も年代も性別も違う人間がどこかで出会ったとき、同じ本で育っていれば共通の思いを分かち合うことができるかもしれません。
新書版で120ページほどの本ですが小川洋子の愛読者は必読本でしょう。でもこの本、小川洋子の小説でもエッセイでもないので並んでいる棚は小説と遠く離れた棚で小説の理論のようなところでした。図書館ではなかなか見つけにくいですね。
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「神話の心理学」河合隼雄

2015-12-03 07:20:52 | 
現代人は気づかなくなってしまったけれど、こころの奥深くに魂があり、人間の行動の深いところで魂の影響を受けている。
その魂のありようを見るのには、世界各国の神話を読み解くことによってヒントを得ることができるはずとこの本では、日本の神話はもとより、ギリシャ神話、北欧神話、アメリカ先住民の神話、そして神話とは言えないかもしれないが旧約聖書などを渉猟している。自分でもわからない自分を動かしているのは何か、自分という存在は何か、死の現実とは、親子の関係性とは、男と女の関係性とはなどなど人間の存在の根源的なことを神話に出てくる物語を読み解きながら読む人の心に感じさせようとしている。

有名なオイディプスの神話をどう読むのか、イザナキ・イザナミの誕生・生い立ち・別れをどう解釈するのか、ギリシャ神話に出てくるゼウスの奔放な振る舞いに見る神の気ままさは何なんだろう、答えが出ぬままに人間の心の奥底にあるものが表現されているように思える。
ところでこの本で一番気になったのが「トリックスター」についての記述。
トリックスターとは強いて日本語に訳すと「いたずら者」とか「ペテン師」となるのだろうけど、世界中の神話のみならず昔話、伝説で大活躍をする創造者であり破壊者であるキャラクター。
ユングによればトリックスターは人間の初期の未発達な意識段階の反映と述べているが、人間の意識ができあがってくるとき、それは現代の人間の意識のような主体性や統合性を備えたものになる以前は、断片的、刹那的、衝動的だったりする反映なのだろう。思春期の時は成人の意識の出来上がる前の段階なので、トリックスター的心理が働くのは当然で
誰でも思春期の時になぜあんなことをしたかわからないと言わざるを得ないこと(万引きをするとか、何かを壊すとか途方もない嘘をつくとか)を衝動に駆られてしてしまうものです。成人してからはほとんど忘れてしまうのですが、自分の心の中に住むトリックスターをうまく活躍させる人もいればトリックスターに自分が乗っ取られてしまいほとんど病気の状態なる人もいる。
トリックスターの行為は世の中をかき回しはするがあまりプラスの効果はない。しかし本人がどこまで意識しているかは判明しないとしても隠していた誰かの悪行が露わになり結果的にプラス面が出ることもある。
日本神話のトリックスターと言えばスサノオなのだが、そこでは「侵入者」であり「破壊者」であるけれど「英雄」でもあるというように多面性がある。日本昔話で言えば「吉四六」の話がトリックスターの自在性両義性をよくあらわしている。
どうしてトリックスターについてこうまで気になったかというと、最近の政治家はトリックスターがもてはやされているのではないかと思うから。世の中を引っ掻き回して、ではどういう効果があったかというと定かではない。でもある種の既得権益という悪行は露わになったのかもしれない。
豊かになったけど何処となく閉塞感を感じ生きづらい気がしている現代人は無意識の中でトリックスターを待望しているのだろうか。トリックスターの行為を生かすも殺すも、それを周囲の人がどのように受け止めるかということなのでしょうが、そろそろトリックスターであることに気が付いてもいい頃です。
神話の中で物語られていることは荒唐無稽なのですが、心の奥底の真実を伝えていて、人間が成長し生き難い世を生きてゆくうえで大きなヒントになっている。トリックスターだけについて書きましたが、もちろんそれだけではなくて、いつもの河合先生の話ですがいろいろな生きるヒントをもらいます。
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