く~にゃん雑記帳

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<京都・金閣寺> 北側の「安民沢」は鎌倉期の西園寺北山殿時代の遊水池!

2013年01月12日 | 考古・歴史

【帝塚山大公開講座「金閣寺成る」で鈴木久男京都産業大教授】

 京都の観光名所として人気が高い世界遺産、金閣寺(鹿苑寺)。室町幕府3代将軍足利義満が鎌倉時代に権勢を誇った西園寺家の別荘跡に山荘を造営したのが始まりといわれる。遺構からその成立過程をたどる市民公開講座が12日、奈良市の帝塚山大学で開かれ、鈴木久男京都産業大学文学部教授が「金閣寺成る」の演題で講演した。

  

 金閣寺境内ではこれまでに金閣(舎利殿)の北東側を中心に発掘調査が行われてきた(地図で黒く塗られた部分)。西園寺公経がここに山荘「北山殿」を造ったのは1224年。その大胆な庭園の意匠には藤原定家も驚嘆し、「名月記」の中で高さが45尺(13m余)もある滝について「比類がない」と激賞した。境内の中には鎌倉時代の遺構の痕跡が多く残る。

 金閣の北側にある池の「安民沢(あんみんたく)」からも鎌倉期の遺物が大量に出土している。「北側には谷があり、谷の入り口に土手を築いて遊水池として造ったのだろう」。境内北東の不動堂も本尊を安置した石室の壁面に「貞和二年」(1346年)や「文和二年」(1353年)など鎌倉~南北朝の年号が刻まれており、「これも西園寺家の遺産に間違いない」。「名月記」に登場する滝はこの不動堂の北側にあったとみられる。

   

(㊧は義満の没後、解体に使われたとみられる「修羅」、㊨は1904年に解体修理される前の金閣)

 西園寺北山殿は約150年続くが、鎌倉幕府が倒れ西園寺家も没落すると、代わって足利義満が譲り受け、1397年新しく北山殿を造営する。義満の時代には「北山文化」が花開いた。だが1408年に義満が没すると4代義持はその解体に着手する。解体されたものは南禅寺や建仁寺などに移転された。境内からは解体の際に使われたとみられる運搬道具の「修羅」大小2本が出土している。解体には反対の声も強く、結局、金閣と護摩堂、法水院は解体を免れ、1420年、義満の法号にちなんで北山殿から鹿苑寺に改められた。

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2013年01月12日 | 絵暦

 

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