【文化財防火ゼミナールで花山院宮司】
文化財防火週間中の27日、奈良市の春日大社・感謝共生の館で「文化財防火ゼミナール」(奈良市消防局主催)があった。会場となった春日大社は768年の創建から1200年以上になるが、火災に遭ったのは室町(南北朝)時代の1度だけ。「信仰における文化財の継承」のタイトルで講演した花山院弘匡宮司は「これも御神徳と先人の高い防火意識のおかげ。春日ほど多くの国宝や重文などの文化財を持つ神社は他にないだけに、これからも防火に努め文化財を守っていきたい」と話していた。
春日大社の日々の出来事を記した「社務日誌」によると、火災が起きたのは永徳2年(1382年)1月23日深夜。ご神饌を作る竃殿(へついどの)の残り火から出火、東側の清浄門に燃え移り、さらに本殿や宝蔵なども全焼した。類焼を免れたのは着到殿だけ。本殿内にあったものは東の山中に運び出したが、宝蔵内の収蔵品は焼失し金銀が無残に積み重なっていたという。
春日大社の建築物の多くは桧皮(ひわだ)葺きだが、この火災後、竃殿とその周辺の建物は万一に備え瓦葺きにした。回廊内には御手洗川が流れる。手を入れて身を清めると同時に防火の役割も担う。「こうしたところに先人の知恵が生かされている。神様の下ではいつも清浄でなければならないため、整理整頓も常に心がけてきた」(花山院宮司)。
春日大社には石燈籠が2000基、釣り燈籠が1000基、合わせて約3000基もの燈籠がある。そのうち9割は先祖の冥福や無病息災、家内安全などを願って庶民から寄進された。昔は寄進時に油料も納められ、その油がある限り毎夜ともされたという。これだけ多くの燈籠がありながら、燈籠が原因で大きな火災を一度も起こさなかったのはまさに奇跡ともいえるだろう。
「最初は燈籠の近くに〝寝ずの番〟を置き、燈籠が増えてくると〝火の番の禰宜(ねぎ)〟、さらに〝6人の火の番役〟を置いた。火を出さなかったのは防火への徹底した高い意識があってこそ。文化財は一度燃えたら終わり。これからも1000年、1500年と高い防火意識で守っていかなければならない」(花山院宮司)。春日大社の宝物殿には国宝重文520点を含む3000点を収蔵、その中には蒔絵筝、金地螺鈿毛抜形太刀など優美な国宝も多く〝平安の正倉院〟とまで形容されている。