【鹿谷勲氏「日常生活の中で受け継がれてきた〝庶民の声明〟」】
奈良市南部公民館で16日、「六斎念仏」をテーマにした「信仰と文化講座」が開かれた。鉦や太鼓に合わせて「南無阿弥陀仏」を唱える六斎念仏。奈良県内では長い歴史の中で多くが消えてなくなったが、一部地域では今なお連綿と続く。この日は奈良県立民俗博物館の鹿谷勲学芸課長の講演に続き、地元奈良市の「八島の六斎念仏」が特別公開された。
鹿谷氏によると、五條市の西福寺に残る六斎念仏供養塔には室町時代中期の「延徳2年」(1490年)の紀年銘がある。しかも、その板碑には約70人のお坊さんや男女の名前が刻まれているという。「今の六斎講は集落単位で、在家の男性で構成されているのが一般的だが、昔は男女を問わず、もっと大きなグループとして営まれていたようだ」。
六斎の「斎」は神仏に仕えるため身を慎むこと。精進潔斎すべき6日間(8、14、15、23、29、30日)を六斎日と呼んだ。平安時代後期の良忍上人が唱えた「融通念仏」がこの六斎と結び付いて六斎念仏が生まれたという。「自らの極楽往生を願うとともに同じ共同体の成員の菩提を弔うもので、日常の生活の中で〝庶民の声明〟として受け継がれてきた。様々な念仏芸能の原点といえる」。
六斎念仏を大別すると鉦だけを使う「鉦念仏」と、鉦とともに太鼓も用いる「太鼓念仏」がある。県内に残る六斎念仏のうち、御所市東佐味と安堵町東安堵は鉦念仏、奈良市八島には鉦念仏と太鼓念仏の両方の曲目が伝わる。この3カ所の六斎念仏はいずれも県無形民俗文化財に指定されている。八島で現在も使われている鉦の中には「寛永18年」(1641年)の刻銘を有するものも。江戸初期から500年近い歴史の〝生き証人〟だ。
この日の特別公開では八島鉦講の講員12人によって、今日まで伝わる6曲のうち鉦念仏の「ハクマイ」と「バンド」、太鼓念仏の「念仏行者」の3曲が披露された。声明の「音頭」に当たる先導役「ドウシンマイ」に続いて「ヒラ」が念仏を唱和する。背後には涅槃図。室町時代の作ではないかという。様々な抑揚がついた素朴な念仏の調べとリズミカルな鉦・太鼓の響きに、受講者も心地よさそうに聴き入っていた。