【「帝国奈良博物館誕生の頃」テーマにサンデートーク】
「帝国奈良博物館誕生の頃―人・建築・景観」をテーマに17日、奈良国立博物館サンデートークが開かれた。講師は同館学芸部資料室長の宮崎幹子さん。帝国奈良博物館本館(現なら仏像館、写真)は〝宮廷建築家〟として名を馳せた片山東熊(1854~1917年)の設計で、約120年前の1894年(明治27年)に竣工、翌年開館した。明治時代を代表する欧風建築として国の重要文化財に指定されているが、完成当時には「奈良公園の景観にそぐわない」として景観論争に発展したという。
片山は山口県萩市出身で、国の工部省が明治初期に設置した高等工業技術教育機関「工部大学校」(後に東京帝国大学と合併)の第1期生。上野博物館や鹿鳴館などを設計した英国の建築家ジョサイア・コンドルらお雇い外国人教師から、19世紀のヨーロッパ建築について学んだ。同期に東京駅丸の内駅舎や日銀本店を設計した辰野金吾(1854~1919年)がいる。
片山が設計した帝国奈良博物館はパリのオペラ座と同じネオ・バロック建築。正面入り口の左右に2本1対のコリント式柱がそびえ、上部を華麗な装飾で彩る。「壁面の厚さが約90cmもある重厚なレンガ造りで、その耐震性能は今の基準も満たしており補強の必要もない」。竣工3年前に内陸型地震としては国内最大規模の濃尾地震があった。そのため堅牢な造りを大きな目標に掲げていたという。屋根を一段高くした越屋根(こしやね)からの採光方式を導入したのも特徴の1つ。壁面構造による耐震化のため窓が少ないのをカバーする狙いがあった。
宮崎さんはこの帝国奈良博物館には3つの歴史的な意味があると指摘する。①日本建築家が残した現存する最初期の建築作品②奈良県で建設された最初の本格的な西洋建築③現存する最初期の博物館建築――の3点だ。①については奈良より前に片山自身が設計した日本赤十字社中央病院病棟(愛知県犬山市の明治村に移築)などがあり、③も片山の設計と伝わる神宮農業館などがあるため「最古」ではなく「最初期」というわけだが、「近代建築史の中で極めて重要な建物であることは変わらない」。
帝国奈良博物館は建設中から多くの見物客が詰め掛けたが、「西洋建築は奈良公園に似合わない」と不評だったという。「その反動から、その後完成した旧奈良県庁舎や奈良県物産陳列所は近代和風建築となった」。旧県庁舎は県の嘱託建築家・長野宇平治の設計。県物産陳列所(上の写真㊧)は県技師・関野貞の設計で重要文化財に指定されており、現在、奈良国立博物館の仏教美術資料研究センターになっている。片山は帝国奈良博物館に続いて帝国京都博物館(現京都国立博物館、上の写真㊨)や東宮御所(赤坂離宮迎賓館)なども手掛けた。