く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<北大路魯山人> 創作活動の原点は「書」 躍動感と生命力にあふれた書8点!

2013年01月23日 | 美術

【「毎日現代書 関西代表作家展」に特別陳列】

 陶芸、篆刻、絵画、漆芸、木工、料理など様々な分野で類まれな才能を発揮した北大路魯山人(1883~1959年)。その芸術活動の出発点は書家としてだった。京都の上賀茂神社の社家に生まれた魯山人は10代半ばで当時流行していた「一字書き」の名手として名を上げ、21歳の時には隷書「千字文」で日本美術展覧会の1等賞を受賞した。22日まで大阪市の近鉄百貨店阿倍野店で開かれていた「第28回毎日現代書 関西代表作家展」に、その魯山人の書が特別陳列されていた。

 

 展示作は横書きの「閑林」「娯泉石」「識法者懼」「山河走處」「玄遠」「獨歩青天」(写真)と縦書きの掛け軸「白馬入蘆花」「聴雪」の計8点。その両端には魯山人が焼いた花瓶「天上呉須花入」と「備前旅枕花入」が飾られていた。これらの作品の出展は「何必館(かひつかん)京都現代美術館」の協力による。何必館は日本画の村上華岳、洋画の山口薫、そして魯山人の作品の収集・展示で知られる。

 

 魯山人は書聖といわれた中国の王義之や顔真卿の書に学び、良寛に傾倒した。展示作品は自由闊達な美意識を映すように、やや荒々しく躍動感と生命力にあふれていた。筆を取ると一気に書き上げたのだろう。良寛に心酔していた魯山人の書は次第に良寛の書に似ていったともいわれる。

 魯山人の芸術観を端的に表した言葉に「坐辺師友」がある。自分の身辺や周辺の生活空間にあるもの全てが己の師であり友である。優れた美術品に囲まれて生活していると、自ずと創作した先人の心や工夫を学び取ることができる――。生前、傲慢・不遜と揶揄された魯山人だが、こうした批判や世間の名声には無頓着で、生涯を美の追求に捧げた。72歳の時には重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を打診されるが、これも固辞している。

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原田勝利さん「絵暦・野菜 味わい生活」(23)

2013年01月23日 | 絵暦

  

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<奈良市写真美術館> 「入江泰吉の万葉風景 よみがえる万葉のこころ」

2013年01月22日 | 美術

【万葉びとも目にした風景!? 明日香・藤原・平城・吉野】

 奈良に生まれ大和路の風景や仏像、伝統行事を撮り続けた写真家・入江泰吉(1905~92年)。その入江の全作品を収蔵する奈良市写真美術館(奈良市高畑)で、いま「入江泰吉の万葉風景 よみがえる万葉のこころ」と題した写真展が開かれている。展示作品は明日香京編、藤原京編、平城京編、吉野離宮編の4つのコーナー合わせて約60点。入江が晩年に撮った「万葉の花」も同時に展示している。3月31日まで。

 

(㊧二上山暮色、㊨吉野喜佐谷)

 展示作品の多くに万葉集の歌が添えられている。小川を背景に彼岸花が咲き乱れる「飛鳥川稲淵石橋」には「道の辺のいちしの花のいちしろく 人皆知りぬ我が恋妻は」(柿本人麻呂)。この「いちしの花」についてはイタドリ、エゴノキなど諸説があるそうだが、牧野富太郎博士の彼岸花説が有力という。   

 二上山に夕日が落ちる作品が10点近くある。「大津皇子の悲劇を孕むこの二上山をどうしても作品にしたかった、それには落日がもっともふさわしい情景と考えた」(入江の著作「大和しうるわし」)。入江が狙ったのはただ美しい夕焼けではなく、「大津皇子の怨念や幽暗に彩られた二上山の空」だった。これらの作品には大津皇子辞世の歌「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ」や、姉・大伯皇女の「うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟背と我が見む」などの歌が添えられている。

    

  (㊧飛鳥川稲淵石橋、㊨早春の興福寺五重塔)

 「吉野喜佐谷」は林立する杉の黒い幹とその奥で今や盛りと燃えるような紅葉の色の対比が印象的。この写真に添えられていたのは「み吉野の象山のまの木末(こぬれ)には ここだも騒く鳥の声かも」という山部赤人の歌。「早春の興福寺五重塔」には「青柳の糸の細しさ春風に 乱れぬい間に見せむ児もがも」(作者不詳)。「入江が愛した万葉の花」としてひめゆり、やまぶき、あじさい、かきつばた、かたかご(カタクリ)などの写真も展示されている。

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原田勝利さん「絵暦・野菜 味わい生活」(22)

2013年01月22日 | 絵暦

  

 【原田勝利さん】1944年9月7日山口県萩市生まれ。アパレルメーカー、ファッション専門誌編集長などを経てフリーライターに。全国紙やスポーツ紙に旅、グルメなどをテーマに連載、同時にファッションアドバイザーや地域おこしの仕掛け人としても活躍した。武道、水彩画、篆刻(てんこく)など多彩な趣味人で、その風貌から「くまさん」と親しまれた。2012年6月17日没、享年67。(この絵暦は生前、絵の師匠・王龍荊氏に手を入れてもらって完成したものです。ご遺族の了解を頂き1~31日に連載します)

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<ロウバイ(蝋梅)> 一足早く早春の到来を告げるかわいい黄花

2013年01月21日 | 花の四季

【別名「唐梅」 梅とつくけど梅とは別の種類】

 中国中南部原産で、江戸時代初期の17世紀前半に朝鮮半島経由で伝わってきた。そのため「唐梅(からうめ)」や「南京梅」の別名がある。ただ「梅」とつくが、梅とは種類が異なる。梅がバラ科サクラ属なのに対し、ロウバイはロウバイ科ロウバイ属。1~2月ごろ、葉が出るより前に香りのいいかわいい黄花を下向きにつける。立春前後に咲くため〝春告げ花〟とも呼ばれ、庭木や茶花として人気がある。

 名前の由来は臘月(陰暦12月)ごろ、梅に似た形の花を咲かせるからという臘月説をはじめ、蝋細工説や蜜蝋説などがある。蝋細工説は黄色の花弁が半透明で蝋を引いたような光沢があるため。蜜蝋説は花弁の色がミツバチが巣づくりのとき分泌する蜜蝋に似ているから。中国では古くから茎や根はぜんそくなどの薬用にし、花からは香料を取ってきたという。

 基本種は花の中心が濃い褐色だが、よく見かけるのは中心の色も黄色のソシン(素心)ロウバイ。このほかに花の中心に紫褐色の輪が入るマンゲツ(満月)ロウバイ、花びらが細く花芯が赤紫色の和ロウバイがある。ロウバイによく似た花にダンコウバイ(壇香梅、別名ウコンバナ)があるが、これはクスノキ科の植物。アメリカロウバイ(別名クロバナロウバイ)は北米原産で5~6月に香りのいい赤紫の花をつける。

 ロウバイの名所は関東に多い。群馬県安中町の「ろうばいの郷」では1万2000本が咲き乱れる。埼玉県長瀞町の長瀞登山臘梅園には2500本のロウバイがあり、秩父鉄道は熊谷などから「急行ロウバイ号」を運転中。約1200本ある神奈川県松田町の寄(やどりき)ロウバイ園では19日からロウバイまつり(2月28日まで)を開いている。千葉県野田市の清水公園は26日から2月11日まで。福岡県久留米市の近光ロウバイ園には樹齢30~50年のロウバイが約200本ある。関西では京都の北野天満宮や善峯寺、奈良の明日香村八釣、船宿寺、兵庫県福崎町の應聖寺などが有名。「臘梅の光沢といふ硬さかな」(山上樹実雄)。

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原田勝利さん「絵暦・野菜 味わい生活」(21)

2013年01月21日 | 絵暦

  

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<和太鼓集団「倭(やまと)」> 燃え尽きる熱演 五感を刺激する舞台芸術!

2013年01月20日 | 音楽

【奈良・桜井で20周年記念公演、この後世界ツアーに出発】

 1993年奈良で生まれ、世界にはばたくプロの和太鼓集団「倭(やまと)」が結成20年を迎えた。その記念公演が桜井市民会館で18~20日の3日間開かれている。19日夜の公演では迫力とスピード感にあふれ、呼吸の合った太鼓の響きに、会場を埋め尽くした観客から拍手が鳴り止まなかった。この20年間に世界各地で開いた公演はなんと52カ国、2600回。今年も160公演を予定しており、今回の奈良公演に続いて2月から世界ツアーに出発する。

     

 「倭」の結成は20年前、現代表の小川正晃さんの母親が橿原市十一町の神社で長年眠っていた大太鼓を見つけたのがきっかけ。1回限りのつもりで仲間と練習し神社で演奏したところ、評判を呼んで小学校や高齢者福祉施設などに呼ばれるように。5年後の1998年には招待された英国のエディンバラ国際フェスティバルで25回公演、これを機に世界を巡回するようになった。

 メンバーはツアー中以外のときは奈良県明日香村で共同生活を送る。和太鼓を打ちこなすために必要なのは何といってもまず体力。そのため朝起きてから10キロのランニング、山登り、ウエートトレーニング、ばちの素振りなど激しい特訓の繰り返し。太鼓の練習は毎晩深夜まで続く。

 

 20周年記念ツアーのテーマは「路上―The beat on the road」。結成間もない頃は街頭でのストリートパフォーマンスで共同生活の食費などを稼ぐ日々が続いた。「路上」というテーマは20周年を機会にそんな原点に立ち返ったうえで再出発しようということだろう。この日の公演では13人のメンバーが出演し、創作太鼓の「マスラオ」「烈火」「楽打」「颯(はやて)」などに続いて「路上」で締めくくった。

 「パワー」をくれる熱演に観客も熱狂した。大太鼓にばちが振り落とされると、その振動が直に伝わってくる。会場内に轟く音の洪水。高い音の締め太鼓のスピード感たっぷりの演奏が心地よい。片手による太鼓の両面打ちの速さに目を見張り、三味線と太鼓の迫力あるコラボにも圧倒された。幕間には観客の笑いを誘うパフォーマンスを行ったり、過去の法被を通して「倭」の足跡をたどったり。2時間があっという間に過ぎ去った。

 「倭」は今年1月に台湾ツアーを開催。奈良公演の後は2月からマレーシア、英国、チェコ、ロシア、ハンガリー、オランダ、ベルギー、ギリシャを巡回。いったん帰国して7~9月に日本ツアーを行った後、10~12月には再び全米・カナダツアーに出る。日本ツアーは2年間で全47都道府県を回る予定という。日本公演は全席無料で、演奏会後にカンパを募る。

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原田勝利さん「絵暦・野菜 味わい生活」(20)

2013年01月20日 | 絵暦

  

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<昔の生活道具展2題>ちゃぶ台、洗濯板、氷冷蔵庫、謄写版、五右衛門風呂……

2013年01月19日 | 考古・歴史

【京都府立山城郷土資料館と奈良県立民俗博物館で開催中】

 京都と奈良で、昔の生活道具を集めた企画展が開かれている。京都府立山城郷土資料館の「暮らしの道具いまむかし」展(3月31日まで)と奈良県立民俗博物館の「大和の昔のくらし」展(2月3日まで)。展示されているのはちゃぶ台や箱膳、かまど、ブリキのたらいと洗濯板、回転こたつ、氷冷蔵庫、手回し洗濯機、謄写版、五右衛門風呂……。電化製品が出現する前の生活道具にも温かさと暮らしの知恵がいっぱい詰まっている。

【京都府立山城郷土資料館】

  

  

 ちゃぶ台は食卓にも子どもの勉強机にもなり、足が折り畳めるためスペースを取らないスグレモノだった。4人分のお膳の中で主人の膳だけ脚が高い氷冷蔵庫(上の写真左㊦)は上の棚に氷を入れ、下の棚に食料を入れて冷やす。五右衛門風呂は釜茹でされたという石川五右衛門にちなむ。手でローラーを回して脱水する電気洗濯機が懐かしい。

【奈良県立民俗博物館】

 

 

 回転こたつ(写真左㊤)は足で蹴ったりしても火入れが常に上を向くように工夫されていた。熱源が炭火という炭火アイロンもあった。箱膳は1人分の食器が中に納められており、食事のときにはふたの上に出して使う。「ユネコ」(写真右㊦)は戦時中の湯たんぽ。漢字では「湯猫」と書くらしい。

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原田勝利さん「絵暦・野菜 味わい生活」(19)

2013年01月19日 | 絵暦

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<帝塚山大学付属博物館> 企画展「浮世絵の世界―役者絵を中心に」

2013年01月18日 | 美術

【歌川派の初代豊国、国貞の作品など36点、鳥居清峰の美人画の版木も】

 奈良市の帝塚山大学付属博物館で、江戸後期に活躍した歌川派の役者絵を集めた企画展「浮世絵の世界―役者絵を中心に」(2月2日まで)が始まった。展示作品は所蔵する一世豊国、二世豊国、国貞の役者絵53点のうちの36点。同時に鳥居清峰の美人画の版木も展示し、多色刷りの制作過程を紹介している。

  初代歌川豊国

 歌川派は明和年間(1764~72年)に歌川豊春が創始した。幼少期に入門した豊国(一世)は「姿絵」で人気を集めた。東洲斎写楽が独特なデフォルメで役者を描いたのに対し、豊国は舞台上の役者の全身の動きを捉えて活写したのが特徴。「東山殿劇場(かぶき)段幕」は中村芝翫、岩井半四郎を描いた2枚を展示中だが、実は3枚続きで、残りの1枚の市川団十郎を描いたものは早稲田大学演劇博物館が所蔵しているという。

 歌川国貞

 初代豊国門下の国貞は役者絵や美人画を多く描き、役者絵では「続絵」によって舞台上の役者の躍動感や緊張感を描き独自の画風を確立、歌川派の中心として活躍した。号は「五渡亭」「香蝶楼」など。「伊勢平氏恵顔鏡(りしょうのかおみせ)」(2枚組)でも市川団十郎扮する悪源太義平と岩井粂三郎扮する妹楓の動きに躍動感があふれる。

 この他の役者絵は初代豊国の「義経千本桜」「敵討揃達者(かたきうちどれもわざもの)」、国貞の「皐(さつきの)富士曽我初夢」「紅葉鹿封文曽我(もみじにしかふりそでそが)」など。版木は鳥居清峰と鳥居清長の美人画が並ぶ。他に柳亭種彦の長編物語として庶民の人気を集め、国貞が挿絵を描いた「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」も参考出品されている。

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原田勝利さん「絵暦・野菜 味わい生活」(18)

2013年01月18日 | 絵暦

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<奈良・白毫寺> 冬の「えんまもうで」 閻魔大王に参拝客の無病息災を祈願

2013年01月17日 | 祭り

【閻魔大王は地蔵菩薩の化身「お顔はいかめしいが慈悲深い」】

 奈良・高円山の中腹にある白毫寺で16日「えんまもうで」があり、多くの参拝客でにぎわった。毎月16日は閻魔大王の縁日。特に1月と7月のこの日は地獄も〝定休日〟で獄卒も罪人の呵責をやめ、釜の蓋も開くといわれる。

  

 閻魔王坐像を安置した宝蔵の入り口には8大地獄を描いた掛け軸「地獄変相図」(下の写真=図の一部)が掛けられていた。堂内には亡者の行き先を決める冥界の裁判官10人を描いた「十王図」も。午前10時から司命半伽像と司録半伽像を左右に従えた閻魔王坐像(いずれも重要文化財)を前に法要が始まり、参拝客の無病息災を祈願した。中には千葉など遠方からやって来たという人も。閻魔大王は地蔵菩薩がお姿を変えたものといわれる。宮崎快堯住職は「お顔はいかめしいが、実は慈悲深いお方で、無病息災や延寿、商売繁盛などの願い事をかなえてくれます」と話されていた。

  

 白毫寺の前身は天智天皇の皇子、志貴親王の山荘跡。奈良盆地を一望できる見晴らしの良さで知られる。境内では甘酒の接待や子ども向けに「地獄めぐり」という紙芝居も行われていた。このお寺は色とりどりの花が咲く名木「五色椿」で有名だが、つぼみはまだ固い。ただ、そのそばにある「子福桜」は小さな花がちらほら咲いていた。

    

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原田勝利さん「絵暦・野菜 味わい生活」(17)

2013年01月17日 | 絵暦

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<ヤツデ(八手)> 大きな掌状の葉形から別名「天狗の羽団扇」

2013年01月16日 | 花の四季

【日本固有種、江戸時代ヨーロッパに渡り人気に】

 日本原産の常緑低木。日があまり当たらず湿り気のある所を好む〝陰樹〟で、冬枝の先端に白い小花が集まった鞠のような花を円錐状に多くつける。ウコギ科でウドやタラノキ、カクレミノなどと同じ仲間。葉が年中青々してツヤがあることから、古くから生け花の花材として使われてきた。葉を乾燥したものは「八角金盤」(生薬名)と呼ばれ、咳止めや去痰、リウマチ治療などに利用される。

 植物名は葉の先が7~9つに裂けて掌(てのひら)状になっていることから。学名の「Fatsia japonica(ファトシア・ジャポニカ)」のファトシアも八手の音読み「はっしゅ」に由来するともいわれる。ただ8つに裂けているものは少ないらしい。そこで実際に確認してみると、ほとんどが9つで、8つに分かれているように見える葉も縦の葉脈を数えると9つ、または7つになっていた。「八」が末広がりで縁起がいいため、この名前になったのかもしれない。

 葉の形が天狗が手にする羽団扇(はうちわ)に似ているため、ずばり「天狗の羽団扇」の別名を持つ。「鬼の手」という異名も。天狗の団扇は鳥の羽根を奇数枚束ねたもので、魔物を追い払ったり空を飛んだり火を自由に操ったりするなどの神通力があるという。ヤツデは魔除けのほか、大きな葉が人や福を招くという言い伝えから、民家の玄関脇や庭によく植えられてきた。

 葉は通常濃い緑一色だが、斑(ふ)入りの園芸品種も多い。白い斑のあるフクリン(覆輪)ヤツデ、黄色の網目が入るキアミガタヤツデ、縁が縮れたチリメンヤツデ、縁に白い模様が入るシロブチヤツデ、黄色の紋が入るキモンヤツデ、切り込みが深いヤグルマ(矢車)ヤツデ……。近縁種には小笠原特産のムニン(無人)ヤツデ、台湾・中国中南部原産のカミ(紙)ヤツデがある。

 日本ではありふれた植物だが、欧米では日陰や寒さに強いこと、葉の形が独特なことなどから斑入りを中心にアオキとともに人気が高いそうだ。海外に紹介したのは江戸時代、長崎・出島のオランダ商館付き医師として来日したスウェーデンのカール・ツンベルク(1743~1828年)。植物学者リンネの高弟で「日本植物誌」という著書もある。日本のヤツデをもとに海外で作り出された品種に「ファツヘデラ」(和名ツタヤツデ)がある。「みづからの光りをたのみ八ツ手咲く」(飯田龍太)。

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