10日の日曜日、久しぶりに平礒の浜に行ってみました。
潮がひいていたので、沖新田にも行けました。
波戸の先端に立つと、海の底が透き通って見えました。
今の時期は、透明度が高くとてもきれいです。
意外に浅く、砂地で、なんだか泳ぎたい気分。
さらに向こう側へと歩いてみました。
すると何やら祠(ほこら)を発見。
ばちあたりにも、畏る畏る(おそるおそる)祠の戸を開けてみました。
中には見たこともない像が座っていました。
お釈迦様のような?
その横には、厳島神社守護と書かれた札がありました。
家に帰って父母にそのことを聞いてみると、
それは「宮島様」ということでした。
平礒には「旦那様(だんなさま)」と呼ばれていた梶原家がありました。
江戸時代の組頭だそうです。
その家は網元でもあり、昔は平礒のたくさんの人を雇い、漁をしていました。
したがって、海の神様である安芸の宮島、厳島神社をおまつりしていたようです。
宮島様のお祭りもしていたようで、
そのときには、平礒中の女性は料理を旦那様の家に持ち寄って、
女性だけの宴をしていたようです。
こんな小さな平礒にもそんな風習があったのです。
何かうれしくなりました。
写真は、宮島様の祠と桜です。
今はもうお祭りはされていませんが、
桜は昔も今も変わらず、咲き続けています。
岬人
潮がひいていたので、沖新田にも行けました。
波戸の先端に立つと、海の底が透き通って見えました。
今の時期は、透明度が高くとてもきれいです。
意外に浅く、砂地で、なんだか泳ぎたい気分。
さらに向こう側へと歩いてみました。
すると何やら祠(ほこら)を発見。
ばちあたりにも、畏る畏る(おそるおそる)祠の戸を開けてみました。
中には見たこともない像が座っていました。
お釈迦様のような?
その横には、厳島神社守護と書かれた札がありました。
家に帰って父母にそのことを聞いてみると、
それは「宮島様」ということでした。
平礒には「旦那様(だんなさま)」と呼ばれていた梶原家がありました。
江戸時代の組頭だそうです。
その家は網元でもあり、昔は平礒のたくさんの人を雇い、漁をしていました。
したがって、海の神様である安芸の宮島、厳島神社をおまつりしていたようです。
宮島様のお祭りもしていたようで、
そのときには、平礒中の女性は料理を旦那様の家に持ち寄って、
女性だけの宴をしていたようです。
こんな小さな平礒にもそんな風習があったのです。
何かうれしくなりました。
写真は、宮島様の祠と桜です。
今はもうお祭りはされていませんが、
桜は昔も今も変わらず、咲き続けています。
岬人