喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

江戸時代の大飢饉

2011-04-30 | ブログ
 江戸時代(1603~1867)には、食べるものがなく飢え死にするような飢饉が何度かおこっています。

 なかでも
○ 寛永の大飢饉(1642~50)
○ 元禄の大飢饉(1695~96)
○ 享保の大飢饉(1732~)
○ 天明の大飢饉(1781~89)
○ 天保の大飢饉(1832~39)

 大飢饉がおきた年をみると、
ほぼ50年ほどの周期でくり返しおこっています。

 寒さがきびしい東北地方の被害がとても大きかったようです。

 二宮金次郎が生まれたのは天明7(1787)年。
天明の大飢饉のころ相模の国で生まれました。

 写真は、旧名取小学校の二宮金次郎です。
釜木小学校のものといっしょで備前焼と思われます。

                岬人(はなんちゅう)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農民聖者「二宮金次郎」が生まれた頃

2011-04-30 | ブログ
 私は佐田岬半島にある伊方町平礒のみかん農家の長男。
 家業は、弟が継いでくれていますが、
農業は私のルーツです。

 ただ今、尊敬する双海町の若松進一さんを塾長とする「年輪塾」
という有志の集まりで活動をしています。
 年輪塾では、昨年から今年にかけて二宮金次郎(二宮尊徳)から学ぶ
活動をしています。

 農民聖者と呼ばれた二宮金次郎を知るうえで、
その時代背景をさぐってみました。

 金次郎が生まれたのは、江戸時代の天明7年(1787年)、相模の国。
今から230年ほど前のことです。
 ちなみにこの年から江戸幕府老中の松平定信による寛政の改革が行われます。
11代将軍徳川家斉(いえなり)のころです。

 江戸時代1603年から前半、1720年頃までは
全国各地で新田開発が盛んに行われました。
 結果、耕地面積は、豊臣秀吉の頃と比べると2倍にもなっていました。

 食糧が多く作られたという理由も大きく、
江戸時代初めの人口は約1500万人から120年ほどの間に2倍の約3000万人に増えました。

 ところが元禄の終わりの頃1720年以降から
江戸時代終わりの1867年までの150年間くらいは、
人口はほとんど増えず横ばい状態の3000万人でした。

 この江戸時代を農業と深く関係する飢饉(ききん)という視点から
見ていきたいと思います。

 写真は、今はなき母校「釜木小学校」の二宮金次郎です。

                     岬人(はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする