3年前、喜久家ボランティアとして3ヶ月間活動してくれた市前寛子さん。
寛子ちゃんの夢は、青年海外協力隊員。
それをめざし、ボランティア経験を積むために来てくれました。
いわば、背水の陣。
ひかえめで、でも芯が強く、働き者でした。
休みの日には、わざわざ三崎デイサービスセンターに行き、
お年寄りとのふれあいを大切にしてくれました。
そんな寛子ちゃんが、喜久家にいる期間中についに夢かなったのです。
そして南米パラグアイへ3年間旅立ちました。
たまにメールのやりとりをしながら、
私も見知らぬ異国の地に思いをはせました。
2ヶ月ほど前始めたフェイスブック。
そこには、喜久家の仲間たちも多く登録し、
芋づるのように仲間をさがすこともできるのです。
寛子ちゃんも私とのフェイスブックを通して、
連絡がとぎれていた韓国のアン・ジヨンとつながったようです。
お互いとても喜んでいました。
パラグアイの市前寛子ちゃんからの便りを紹介します。
『おはようございます。私も元気です。
平礒の桜が懐かしいです。来年まで見るのはお預けですね。
おかげで、アンちゃんと連絡を取り合えるようになりました。
パラグアイ生活が、本当に残り2ヶ月となりました。
平磯でみなさんに会えるのがたのしみです。』
帰国したら、平礒、喜久家に来てくれるとのこと。
うれしいです。
喜久家は、世界とつながっています。
岬人
寛子ちゃんの夢は、青年海外協力隊員。
それをめざし、ボランティア経験を積むために来てくれました。
いわば、背水の陣。
ひかえめで、でも芯が強く、働き者でした。
休みの日には、わざわざ三崎デイサービスセンターに行き、
お年寄りとのふれあいを大切にしてくれました。
そんな寛子ちゃんが、喜久家にいる期間中についに夢かなったのです。
そして南米パラグアイへ3年間旅立ちました。
たまにメールのやりとりをしながら、
私も見知らぬ異国の地に思いをはせました。
2ヶ月ほど前始めたフェイスブック。
そこには、喜久家の仲間たちも多く登録し、
芋づるのように仲間をさがすこともできるのです。
寛子ちゃんも私とのフェイスブックを通して、
連絡がとぎれていた韓国のアン・ジヨンとつながったようです。
お互いとても喜んでいました。
パラグアイの市前寛子ちゃんからの便りを紹介します。
『おはようございます。私も元気です。
平礒の桜が懐かしいです。来年まで見るのはお預けですね。
おかげで、アンちゃんと連絡を取り合えるようになりました。
パラグアイ生活が、本当に残り2ヶ月となりました。
平磯でみなさんに会えるのがたのしみです。』
帰国したら、平礒、喜久家に来てくれるとのこと。
うれしいです。
喜久家は、世界とつながっています。
岬人