喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

平成22年度気仙沼市立階上(はしかみ)中学校卒業式の答辞に涙

2011-10-11 | ブログ
 平成22年度の文部科学白書の冒頭に、東日本大震災にあった気仙沼市立階上中学校の卒業式での答辞の全文が掲載された事がNHKのニュースで流された。
この中学生の答辞の内容が全国で話題を呼び、
感動を与えた多くの国民から様々な反応が出ている。
 私もユーチューブで見たが、涙が止まらなかった。
昨日は、3.11の東北大津波からちょうど7ヶ月。
少しずつ意識がうすれていく現実のなか、思い出していきたい。
忘れてはいけないことだと思う。
 さっそく、三崎中学校全クラスで社会科の時間等で子どもたちにもみせた。
同じ世代の仲間としていろいろなことを感じたことだろう。

 以下に、答辞の全文を載せる。

 『答辞
今日は未曽有の大震災の傷も癒えないさなか
私たちのために卒業式を挙行していただきありがとうございます。

 ちょうど10日前の3月12日。春を思わせる暖かな日でした。
私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ、
通いなれたこの学舎を57名揃って巣立つはずでした。

 前日の11日。一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、
10数時間後の卒業式に思い出を馳せた友もいたことでしょう。
「東日本大震災」と名づけれる転変地異が起こるとも知らずに・・・・・
 階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、
十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、
私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。
つらくて、悔しくてたまりません。

 時計の針は14時46分を指したままです。でも、時は確実に流れています。
生かされた者として顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。

 しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合っていきていくこが、
これからの私たちの使命です。

 私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。
どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

 後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。

 先生方、親身のご指導、ありがとうございました。
先生方が、いかに私たちを思ってくださっていたか、今になってよく分かります。
地域の皆さん、これまで様々なご支援をいただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

 お父さん、お母さん、家族の皆さん、これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。
必ず、よき社会人になります。

 私は、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。

                    平成23年3月22日
                    第64回卒業生代表 梶原裕太 』

 何度読んでも涙が出る。
そして大きな拍手をおくりたい。
「自分もがんばろう!」
そんな力がわいてくる言葉だ。

http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/news_business/p929006bf79c9fa854178e6c4e9c8ba7b

MATURI 祭りの魅力 ~平成23年二名津の秋祭り~

2011-10-11 | ふるさと


 平成23年10月9日。
 娘たちが、二名津の秋祭りに四つ太鼓をたたかせてもらった。
それは娘たちにとってはもちろん、多くの人たちにとってもうれしいことだった。

 写真は、照れながらも孫娘たちと一緒に写真を撮った父だ。
「じいちゃん、一緒に写真撮ろう。」
という孫娘たちの誘いにどれほどうれしかったことか。

 もともとあまり人前にでるような父ではないのだが、
孫娘たちの晴れ姿を見に来たのだ。
そんな3人の様子を見られることが、私にとっても何よりもうれしいことだ。


 そのようなうれしい気持ちをこめて、
二名津、田村菓子舗の三代目にお礼のメールをしたら、
さらにうれしい返信があったので紹介したい。

『私は今年の祭りの練習はさまざまな予定で数えるほどしか参加できませんでした。
毎日、指導していた村○先輩や山○先輩達には頭がさがります。
みんなそれぞれが自分の役割を認識しチームとして動いていたような気がします。

 若い衆ががんばって唐獅子の頭をふってくれて、
私もそろそろ中堅やと思ってたら先輩にまだ下から数えた方が近い、
まだまだ若手といわれつつ、後輩が増えた喜びをかみしめていました。

 またの区長さん、副区長さんの心遣い、役員さんたち、ごんべクラブとの連携もうまくいってました。
 増○会長かとの打合わせから、段取りまでそれぞれに役割を与え、
あまり目立たず下から支えていました。
さすがでした。

 なにより、岬人さんのように四つ太鼓かついでくれる人たちがあってこそ祭りがなりたちます。
ありがとうございます。

 祭りを通して子ども達と距離感がずっと近くなり嬉しく思っています。
我々も学ぶもの、もらうものたくさんあります。
 昨日はひーちゃんに大丈夫よと慰めてもらったし(笑) 
優しい子ですねо(ж>▽<)y ☆

 岬人さんのお子さん二人はうちの姉のことがお気に入りみたいで、
みんなで最後に会長さんにお願いがありますと声をかけていました。
「もっちゃん、一緒に旅行にいこう。」
と大合唱してたのはほほえましかったですよ。
こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました。

 子供は地域の大切な宝ですね~(=⌒▽⌒=) 』




 祭りには他の地域行事にはない魅力がある。
 子どもも大人もそれぞれが役割をになっていて、
地域みんなで作りあげていくものだ。
 これこそ、地域づくりの原点。

 今日は、四つ太鼓をかついだ肩や背中が痛い。
でもうれしい痛み。


            岬人(はなんちゅう)