
四国最西端の学校は、伊方町立佐田岬小学校。
20人足らずのとってもすてきな学校。
関岡校長のすばらしい学校通信を目にしたので紹介する。
幕末から明治にかけて生きた福沢諭吉のことについて書かれていた。
『 時は明治維新。
福沢諭吉は、数多くの明治政府の官職を得るチャンスがあったにもかかわらず、
これら全てを断り、あくまでも教育者として生きることにこだわった。
日本の独立を守り、他国と比肩しうる力を持つためには、
まず教育が必要であるとした見識の確かさと、それを貫き通した不動の信念。
諭吉の精神は「心訓」の中にこめられている。
「一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事をもつということです。
一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のないことです。
一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のないことです。
一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむことです。
一、世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して決して恩にきせないことです。
一、世の中で一番美しいことは、全ての物に愛情をもつことです。
一、世の中で一番悲しいことは、うすをつくことです。」
はるか百数十年も前の「心訓」ではありますが、
真理をついた「心訓」は、現代においても十分に通用する「心訓」であるとも感じました。』
ちなみに福沢諭吉は、吉田松陰の松下村塾で学び、自分の生き方を考えていきました。
教育の大切さ。
このふるさとでしかできない、田舎でしかできない、
そんな地に根を張った人づくりをめざしたい。