僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

責任自分論

2006-11-08 | Weblog

今日、いつものように御堂筋を歩いて帰っていたら、街頭で演説と
デモ行進をしておられた。

演説の内容はよく聞き取れんかったけど、どうもある有名企業を不
当に解雇されたと訴えている方々の集まりらしく、その不当解雇を
取り消せというようなことをおっしゃっていたように思う。

でもその演説は、時には照れ笑いなんかが入る明らかに訴えるもの
がない話しぶりで、その人たちには申し訳ないけど、そんな演説しか
できんようじゃあ、そら正当とまではいかんにしても決して不当とはい
えない解雇やったんちゃうか、と思ってしまった。

解雇された人は好むと好まざるに関わらず、また正当不当や善悪
に関わらず負け組と呼ばれる。
俺は負け組という言い方は嫌いやし、負け組の人が悪いなんてこと
は思わない。それは、割合は分からないけど、その人たちの多くは
個人的な能力はあるのに、会社の方針に合わないとか、能力が発
揮できないとかいう人達で、要領が悪くていわゆる歯車の形が合わ
ないだけ、という人やと思うから。

ただ、世間では負け組と呼ばれることは避けて通れない訳で、そこで
今回の演説のように自分達の苦手だった部分(演説なんて要領)
を前面に押し出すようなことをしたら、完全に負け犬の遠吠えになっ
てしまう。

社会では勝った人の言うことだけが支持される。同じことを言ってい
ても、新庄が言うのとどっかの二軍選手が言うのとでは、説得力に
月とスッポンほどの差があるということを理解しておかないといけない。

お世話になった上司に言われたことで今も肝に銘じている言葉に
「責任自分論」というのがある。どこから考えても自分に非がないの
に自分が責められた時、自分に責任がないと言い張っていても、そ
こに進歩はない。たとえ1%でも自分にできることがなかったか、自
分に責任がなかったかと考えることで、人は成長するのだ、と。

急に冬の訪れを感じる今日この頃、この人たちのするべきことは、
寒空で演説をすることではなく、ほんの少しでもいいから自分の力
を伸ばすことを考えることだと思うのだ。