俺のおばあちゃんは“そういえば”全盲やった。“そういえば”と思うのは、
それくらい目が見えないということを意識させない人やったということ。
俺が23歳の時に亡くなったおばあちゃんは、とにかく俺を可愛がって
くれていた。それはまず、俺が初めての男の孫で、しかも内孫やった
ということがある。
ウチは旧武家でいわゆる「跡取り」が必要な状況にあった。麦飯し
か食べられなかった貧乏家族やったけど状況だけはまるで皇族や。
皇室典範みたいなもんがあったんかどうかは知らんけど、やっぱり跡
取りは男でないと、みたいなもんはあったらしい。
そこへ俺が誕生した。
その頃ならさしずめエイトマンか月光仮面のように颯爽と、よだれを
垂らして泣きわめきながら。でもそれはそれは待ち望んだ男の子やっ
た訳や。
俺の名前もおばあちゃんが命名してくれた。といっても、とても偉かっ
た先祖の名前を漢字もそっくりそのままつけただけやけど。
物心がつくまでのことはほとんど覚えてないけど、俺が生まれた時か
らおばあちゃんが亡くなるまで本当に可愛がってもらった。
よく覚えているのは、俺の顔を触っては、「あっちゃんはほんに男前や
なぁ・・・」といってくれたこと。俺は、おばあちゃんそれ間違ってるで、と
も言えず、おばあちゃんはいつもずっと俺の顔を触ってた。
よくおかきを焼いてくれた。練炭やないとうまく焼けんといって必ず練
炭で焼いて食べさせてくれた。
目が見えんのに。やけどするかも分からんのに。
第一焼け具合がどうして分かったのか分からんけど、いつもちょうどい
い焼け具合のおかきを食べさせてくれた。
とにかく、ご飯をたくさん食べろと言われた。俺がどんぶりに5杯ほど
食べたら、大事な米をなんぼほど食べてるねん、と叱られた。
そんな調子で大きくなるまで俺を大切にしてくれたおばあちゃんは、
家の中では手探りで自由に動き回り、身の回りのこともほとんど自分
でやってた。盲人の会に入り、送り迎えは要ったけど積極的にでかけ
民謡なんかを唄ってたな。
だからホンマにおばあちゃんが目が見えない人やってことをそんなに意
識することがなかった。でもそれって今考えるとものすごいことで、おば
あちゃん本人のたくましさもあるけど、親父やおふくろのおばあちゃんと
俺への接し方も半端やなかったんやなと思う。
苦労も半端なもんやなかったはずやのに、両親からおばあちゃんのこ
とでただの一度も愚痴を聞いたことなんかなかったし、俺に何の苦労
も感じさせることなく、おばあちゃんの世話をして、俺たちにはホンマに
「普通のおばあちゃん」としか思わせなかったんやもんな。
我が親ながらものすごい人たちやなぁと感心するわ。
両親には改めて感謝すると同時に、俺はおばあちゃんに謝らなあか
んことがある。
子供の頃は、目が見えへんのをええことに、近くまで言ってびっくりさせ
たりした。嘘もついた。それだけでも最低や。
でももっと最低なのは、家を改築したこと。
俺が結婚することになって、平屋の武家屋敷を二階建ての二世帯
住宅に改装したんやけど、その時おばあちゃんのことをちゃんと考えて
なかった。
おばあちゃんは小さい頃から目が見えなくなったけど、何十年も住ん
でいる家やからこそ、その中では俺達が盲人と意識することがないくら
い自由に動き回ることができてた。
それを俺は、いとも簡単に改築して、二人の生活を優先して取り上
げてしまった。でもおばあちゃんはそんなひどい仕打ちにも何ひとつ文
句を言わずに80歳を過ぎてから、しかも盲目で全く新しくなった家の
間取りを手探りで覚えてくれたんや。
そんな最低の俺が、俺がおばあちゃんにとんでもない苦労をかけてい
ることに気が付いたのは、おばあちゃんが不安そうに家の中を歩いて
いるのと見た時。この時になって俺はようやく、おばあちゃんが“ホンマに”
盲人やったということが分かった。
俺はその時、おばあちゃんの手を引きながら、自分の愚かさと情けな
さとおばあちゃんへの申し訳なさで号泣していた。
そして、おばあちゃんはようやく新居の間取りに慣れた頃、この世を去
った。
人は過ちを犯し、気づいた時にはそれを取り返そうとする。でも時す
でに遅しということがある。おばあちゃんがいない今、その過ちを取り返
すことはもう出来ない。そういう意味では俺はこの「犯罪」を生涯背
負って生きなければいけない。
今までさんざん苦労をかけてきたけど、俺はまだ元気にしてくれている
おふくろ、それに嫁に子供たち、俺の周りにいてくれる全ての人たちに
おばあちゃんがくれた「形見」を分けていく、それしかこの罪の滅ぼし方
はないと思う。
恐ろしいまでに歪み始めている日本。その根本は教育の歪みにあり、
教育の原点は家族の歪みにあると思う。
厳しく育てるのがいいとか、優しく育てるほうがいいとか、色々議論は
あるやろうけど、俺がおばあちゃんや両親から学んだ親(家族)の教育
とは、
「子供に愚痴を聞かせない、子供に苦労を見せない」こと。
子供は間違いなく親の背中を見ている。これだけで教育は十分だと
思うのだ。
おばあちゃんの形見が少しでもこの世のどこかで役に立ちますように。