僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

狂気の沙汰

2006-11-16 | Weblog

この間友達から聞いた話によると、今幼稚園とか小学校の学芸会で、
劇をやる時は、皆が主役をするらしいね。

たとえば、桃太郎をする場合は、桃を割ったら桃太郎が何人もでてく
るし、かぐや姫をする場合は竹の中からかぐや姫がうじゃうじゃ出てるく
る、といった具合。

これってホンマに何なのかね。
劇には、もちろんひいては人生ではそれぞれに“適役”というのがあり、
主役に向いている人もいれば、脇役に向いている人もいる。どちらにも
向いていなければ大道具に向いていたり、脚本家に向いていたり、ス
タイリストや音声に向いている人だっているやろう。
それを、主役以外は目立たなくて可愛そうと、全員に主役をやらせて、
それぞれの個性を発揮する場を奪ってしまい、下手すると将来の適正
まで見誤らせてしまうような教育はもう狂気の沙汰としか言いようがな
い。
大体、劇のストーリーそのものも無茶苦茶になって、何をどう表現した
いかという劇に一番大切な部分が全部抜け落ちてしまうことになるし


まぁ、これも聞くところによると「何で自分の子供が主役じゃないんです
か!」と食ってかかる親が増えたかららしいね。そんな親は、往々にして、
公園で子供が怪我しそうな遊具があったら外して欲しいとか、最近の
バカ親10点セットみたいなのを全て持っておられるので、まぁ正気を
持ってかかっていってももうどうしようもない訳で、ここはホンマに難しい
とこではあるやろけど。

そんなバカ親たちに贈りたい目の覚めるような話がひとつある。
友達の娘が通っているバレエ教室でのこと。
ひとり、えらいお金持ちのお嬢さんが習いに来てて、その子の親は家に
バレエスタジオまで作って、将来娘を一流のバレリーナに育てるつもりで
いたらしい。そしてある時、その娘の将来についてバレエ教室の先生に
こう相談をした。

「私はこの子を一流のバレリーナにしたいのですが、才能的にはいかが
でしょうか?」
先生曰く、「まず顔を直さなければ無理です。それに足も伸ばしていた
だかないと」

俺はこの話を聞いてなんと素晴らしい教育方針や、と感動したね。
バレエなんて自分の姿を見せる芸術やねんから、その先生の言うように
まず器量ありきは地球が丸いことより明白。それは何をどうやったって生
まれてきた時に決まってしまうもので、バレリーナに向いた器量を持って
いなければ、それを諦めて他の道を探すより方法はない訳よ。もちろん、
バレエが好きで一流になれなくても純粋に踊りたいだけ、というのであれ
ば続けるのもありやけど。

ダメなものはダメ。能力や魅力が人によってそれぞれ違うからこそ、人は
一緒に生きていけるし、一人では生きていけない。
この先生のひとことにはそんな意味が全部詰まってる気がしたね。

金子みすずの詩に、「鈴と小鳥とそれからわたしみんな違ってみんない
い」というフレーズがあるけど、何かがダメになった時には必ず何かが息づ
いているはずで、それを見つけ出して育ててやることこそが教育というもん
やと思うのよ。
自分達の子供はもう成人したけど、子供達の子供がそんな教育環境
の中で育つのかと思うともう身の毛がよだつ思いがするわ。

教育基本法改正法案が野党欠席のまま可決されるらしいけど、その
中にはこのような問題に対する答えが入ってるんやろか?
このあたりにまったく触れられてないとしたら、北朝鮮に核ミサイルを落と
される前に日本は自滅するな。
真剣に日本を抜け出すことを考えたほうがええかも分からんね。

PS:その後バレリーナを目指していた娘はどうなったのか・・・気になる。