浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

ファンタジー号の製作作業を少し行った

2018年06月06日 20時55分54秒 | 鉄道模型
今日の午後から夕方も、製作中の船舶模型・ファンタジー号の製作作業を少し行った。

本日は、屋上の盛り上がり部分のエポキシパテを削って、整形した後、屋上の盛り上がり部分から後部にかけて設置されている囲いの製作を行った。

幅3.5mmに切ったケント紙を3枚重ねで接着し、接着剤が乾燥後、全長95mmに切ったものを2本、全長30mmに切ったものを1本作った。

そして、木工ボンドで屋根板に接着した。
乾燥後、液状の瞬間接着剤を染みこませて補強したり、ゼリー状の瞬間接着剤で隙間埋めをした(まだ隙間だらけだが)。

そのあと、煙突が乗る予定の箇所に、ケント紙を27mm×19mmに切ったものを2枚重ねにしたスペーサーを貼って、かさ上げした。

以上が、本日の作業内容である。
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近鉄大阪線を撮り鉄(その3)

2018年06月06日 12時04分05秒 | カメラ・写真
今さら3月のことを記事化してすみません。

3月12日の午前10時半頃、わたしは、大阪府東大阪市にある、近鉄大阪線の俊徳道駅にいた。
近鉄大阪線の電車を撮影していたのである。

撮影していた場所は、上り2番ホームの布施寄りの場所だった。
その場所は、下り電車の撮影に向いている。




10時35分頃、普通電車の高安行きを撮影した。



それから数分後、特急電車のアーバンライナー・プラスが来たので、撮影した。
大阪難波と名古屋とを結ぶ特急列車の代表的存在である。
そのときの時刻は、10時39分だった。



それから少し経って、急行電車の名張行きを撮影した。
時刻は、10時41分だった。



それから、また少し経って、区間準急・榛原行きを撮影した。
時刻は、10時43分だった。



その数分後、普通電車の河内国分行きを撮影した。
時刻は、10時46分だった。

そして、それから数分後、特に撮影したかった列車が来た。



そう、その列車は、特急電車の『しまかぜ』である。
10時50分頃、シャッターを切った。



ついでに、後追いも撮影した。
いい構図にはならなかったが。



その次は、普通電車の高安行きを撮影した。
時刻は、10時55分だった。



その次に撮影した列車は、特急電車の新塗色車だった。
現在、汎用特急車両は、明るいオレンジ基調の新塗色への変更が進んでいる。
撮影時刻は、10時58分頃だった。



それから、少し経って、急行電車の青山町行きを撮影した。
時刻は、11時頃だった。



その次は、区間準急電車の榛原行きを撮影した。
時刻は、11時06分だった。



その数分後、またまた、特急電車のアーバンライナー・プラスを撮影した。
そのときの時刻は、11時10分だった。



それからまもなく、普通電車の高安行きを撮影した。
時刻は、11時11分だった。



その次は、ビスタEX編成を用いた特急列車を撮影した。
後ろに2両併結された汎用特急車両を含めて、すべて新塗色だった。
そのときの時刻は、11時19分だった。



それからまもなく、普通電車の高安行きを撮影した。
時刻は、11時20分だった。



その数分後、急行電車の五十鈴川行きを撮影した。
時刻は、11時24分だった。



その次は、区間準急の榛原行きを撮影した。
時刻は、11時28分だった。



その次は、普通電車の河内国分行きを撮影した。
時刻は、11時35分だった。



そして、その次に撮影した列車は、旧塗色の特急車両のみで編成された8両編成の特急列車だった。
そういう編成がみられる機会は貴重になっていくだろう。
そのときの時刻は、11時40分だった。



その次は、急行電車の名張行きを撮影した。
そのときの時刻は、11時41分だった。

その撮影を以って、その日の近鉄電車の撮影は、終了した。

そのあとは、11時54分発の普通電車・高安行きに乗った。
わたしが乗った車両の車番は、2967だった。
電車が、次の長瀬駅に止まると、下車した。



そして、改札を通り、駅の外に出て、長瀬の街を歩いた。
長瀬は、某私大の通信教育部に在学していたころは、何度も乗り降りした駅である。
懐かしい空気を感じながら歩いて行った。



そして、商店街の中にある飲食店に入り、カルビをメインにした定食を食した。
12時台のため、店内はお客が多かった。
大学の近くの店のため、お客は若者が多い。



昼食後は、駅を目指して、商店街の中を歩いていった。
わたしが、私大に在学していたときと比べると、飲食店などがかなり入れ替わっていて、ラーメン店が増えた印象がある。

長瀬駅に戻ると、13時09分発の普通電車・大阪上本町行きに乗った。
なお、その日、その電車には、女性の車掌が乗務していた。
わたしが乗った車両の車番は、2540だった。

電車が鶴橋駅に止まると、下車して、JRとの連絡改札口を通った。
そして、大阪環状線内回りホームに入線してきた関空快速と紀州路快速の併結列車に乗った。
わたしが乗った車両は、中間車で、車番はモハ224-5022だった。
大阪駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
そして、駅の北にある某家電量販店のホビー売り場へ行き、模型関係の買い物をした。
そのあと、大阪駅に戻り、14時45分発の3467M・新快速・姫路行きに乗った。
わたしが乗った車両は、先頭車で、車番はクハ222-1013だった。
新快速は、大阪駅を出発すると、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川、姫路の順に停車した。
終点の姫路駅に着くと、16時03分発の979M・播州赤穂行きに乗り換えた。
その列車は、223系の4両編成で、わたしは、前から2両目の車両に乗った。車番はモハ223-1004だった。
列車は、姫路駅を出発すると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生の順に、各駅に停車した。
途中の相生駅に止まると、下車して、16時25分発の1327M・岡山行きに乗り換えた。
その列車は、115系の3両編成だった。
わたしが乗った車両は、先頭のクハ115-348だった。
車内は、セミクロスシートの懐かしい感じの座席だった。
わたしは、進行方向右側のボックス席に座った。
列車は、相生駅を出発すると、有年、上郡の順に停車した。
上郡を出発すると、船坂峠、船坂トンネルを通り、岡山県に入った。
そして、三石駅に停車した。
そのあとは、吉永、和気、熊山の順に停車した。
熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。

こうして、近鉄大阪線撮影などを目的とした外出を終えることができた。
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