J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

東京水辺ラインと花菖蒲

2010年06月13日 | 見学様々(屋内・屋外)
両国駅近くの「水上バス」乗り場から、葛飾の船着き場まで行く。今回は特別イベントの「クルージングで葛飾花菖蒲園」巡りの船に乗った。6月中に4回ほど催される特別イベントですが、季節毎に様々なイベントが計画されている様です。
水辺ラインの路線は色々あり、最長のコースは板橋区の「小豆沢」から隅田川を下り東京湾に出てから今度は荒川(中川)に入り遡上して、元の「小豆沢」に戻るコースが一番長い。

50名程が受付をすませ各自にお弁当、パンフレットを渡され出発時間まで待合室で待機です。
この日はほぼ満席で予約者のみです。




まずは両国から出発して隅田川を下ります。両国橋、新大橋、清洲橋、隅田川大橋、永代橋と僅かな距離の間に高速道路の橋脚や幾つもの橋があります。越中島辺りを回り込み今度は隅田川本流から外れて豊洲運河に入ります。
早速水上バスのデッキに上がり、写真を撮り始めました、ガイドさんの説明を聞きながらデッキから眺める運河は、天候にも恵まれ快適です。途中「お弁当」付きのツアーですので、お弁当を食べる時間も勿体なく感じるほどで、そそくさと食べながら、其の間も食べるのを中断してカメラ撮影に走り回ってました・・・・・・・・・・
写真はその時の各「橋」を撮った物です。
この辺りの運河や河川には東京の中心部でも有るので、沢山の橋が架かっています。橋それぞれが独自の設計と外観で江戸の昔から名の通った橋も沢山あります。
各橋は設計者も異なり震災後や戦後に架け替えられ、大地震が来ても全部の橋が落ちないように強度などが独自の物とか!・・・・・水上バスのガイドさんの話でした。



豊洲運河辺りまで来ると、豊洲に有った石川播磨重工の跡地に建った高層マンション群が異様に目立ちます。此所は最近開発されテレビ・ドラマ等で良く出てくる場所です、又有名人の住むマンションも多いそうで今のトレンド的な存在かも知れません。まだ石川播磨重工が活動していた時分に散々この辺りを車で通りましたが、今では昔の面影も無いだろうと思います・・・・・・



写真は豊洲運河近くにある「旧木場」の跡、今は「新木場」に移っていますが江戸時代は深川の方に有ったと思います。
江戸時代から東京湾の岸辺は埋め立てられ、この水辺ラインの通り道は殆ど埋め立て地を回るような感じです。



豊洲運河航行中、水面に無数の「ミズクラゲ」が浮いていました。このクラゲは未だ小さく、大きくなると1メートル位になります。
中川を遡り、船堀橋、荒川大橋、小松川橋と続きます、この辺りは海水と淡水が混じる吃水領域でシジミが沢山取れます。
未だ漁業権も有り、漁業者以外が多少採取しても怒られることもないようですが、この日も何人かの方達がシジミ採りをして居ました。
東京で加工品として売られているシジミの7~8割は東京産のシジミだそうです。。。。。。。。
水の色は濁っていて、此を見ると、大丈夫なの?と思いたくなりますが、シジミは綺麗な所では住め無くて、こうした河口領域に生息する生き物なので水質が汚染されていなければ、かえっておいしいカモ!




写真は「新砂水門」に向かう途中運河進行方向右にある「夢の島公園」此所は島全体が「ゴミ」で埋め立てられ、埋め立て中は標高20m程有ったと思いますが、今は平地になっています。
煙突の建物は江東清掃工場、右のドーム状の建物は清掃工場の温水を利用した温室です。
その右手には「第五福竜丸」の保存館もあります。



話は前後しましたが、中川を遡って行くとやがて、スカイツリーが間近に見えてきます。
中川はこのスカイツリーを見ながら、回り込むように左手に曲がって行きます。



やがて、今回の終点の「堀切リバーステーション」に着きます。
此所は普段接岸しないらしく、この日水深が浅く、船長は接岸するのに可成り苦労の様で

此所で水上バスを降り、水辺ラインの添乗員さんと共に「堀切菖蒲園」に向かいます。
中川の河川敷から5分程で「堀切菖蒲園」着きました。



「堀切菖蒲園」は約二百種・六千株の花菖蒲が有るとの事ですが、この日はほぼ満開の状態で様々の種類の花菖蒲が観賞できました。




この花木は「フェイジョア」と言いウルグァイ、パラグァイ原産で昭和初期に米国経由で日本に入ってきたとの事です。花菖蒲だけではなく他の木々もあります。
地元商店街が、可成り力を入れて「堀切菖蒲園祭り」を開催しいて、地元名産品などの販売を行っていました。

今では「堀切菖蒲園」は葛飾区の運営で無料で入園できます。
敷地も狭い菖蒲園ですのでそれなりの時間で観賞した後、今度は地元のボランティアガイドさんの案内で「堀切史跡巡り」をする事に成って居て一時間程掛けて、京成線「「堀切菖蒲園駅」迄歩きます。



菖蒲園から「極楽寺」、「郷倉」(村の米貯蔵庫)、「渡辺千秋の歌碑」、「堀切七福神」、「法性寺」と廻り此所で解散となります。

途中地元の歴史、地形的な変遷それぞれ立ち寄った場所の歴史などをガイドさんの巧みな話を聴きながら「法性寺」に有る「井戸掘り絵額・板絵着色屋形船兵庫丸大和丸図絵馬」の由来と歴史などを聴いて解散となりました。

江戸の昔この辺りは畑、田んぼ、湿地帯が広がる広大な土地で海抜も低くマイナス5mにも成る場所があり中川の堤防で守られています。

天候に恵まれましたが、気温も可成り高く汗だくでの散策でしたが世田谷生まれ世田谷育ちの私には滅多に来ない場所ですので懐かしくもあり新鮮でもありました。













猿橋(山梨県)

2009年08月15日 | 見学様々(屋内・屋外)
この猿橋と平行するように、県道505号線、国道20号線の2本の「新猿橋」が架けられ
特に20号線は自動車の交通量も多く立派な橋になっています。
国道20号登り線「新猿橋西」信号の交差点を左折して県道505号線に入り50mも行き
右斜めの脇道に入れば、橋のたもとに出る。


             
             猿橋から下流側の眺め。中央に見えるのは、東京電力八ツ沢発電所の第一号水路橋
            (明治45年完成、鉄筋コンクリート)。上部に写っているのは国道20号線新猿橋、水路橋
             の流れは右から左。


徳島県「祖谷のかずら橋」山口県「錦帯橋」と並ぶ日本三大奇矯の一つ。
昭和7年には国の名勝指定を受けています。
この猿橋の歴史は古い、しかし文献上に出てくるのは1676年(延宝4年)で
この時、掛け替えが行われたようです。




今の橋は、昭和59年架け替え工事で、新しくなった。
現在の橋は肘木部をH型鋼を埋めその周りを木で覆い昔の面影を残している。
全長30.9m、幅3.3m、高さ約30m

この橋は、刎橋(はねばし)と言われ、川の幅が狭く橋脚をたてることが難しいため
両岸の岩盤に穴を開けそこへ刎ね木を斜めに差込み、それを幾段か積み上げて延ばし
その上に上部構造を組み上げた物で、現存する物ではこの猿橋だけのようです。

下を流れる川は「桂川」この川沿いは「桂川渓谷」となり秋の紅葉シーズンはすばらしい
景色が展開される。この川はやがて相模湖に下り相模川となります。


                
      八ツ沢発電所水路橋は第一から第四まで有り、現在も水路橋は現役で活躍していて、上流の
      「駒橋発電所」で使用した水流をこの「一号水路橋」に流し更に第2、第3、第4水路を通り
       「八ツ沢発電所」に流し更に下流に流し発電して居ます。現在第一号水路、第三号水路が
       国登録有形文化財と成って居るようです。
       この「駒橋発電所」「八ツ沢発電所」は日本で初めての水力発電所で、明治39年~45年頃
       日本の土木建築などの最先端の技術で作られた物のようです。




橋から上流側へ300m程歩くと「猿橋公園」に出る、河川敷内の公園で、道すがらアジサイ
が植えられていて季節にはアジサイ見物も出来る。
このアジサイの咲き乱れる上部の崖地を見ると。
富士山の宝永噴火宝永4年(1707年)の痕跡として、溶岩流の痕が見られる。
ここら辺りが宝永噴火による溶岩流の末端で、それが崖の上部に露出しています。
この時の溶岩流による被害は大した事ではない様ですが、降灰による被害が関東一円で
酷かった事が記録に残っているようです。











            


井戸尻遺跡(長野県)

2009年07月27日 | 見学様々(屋内・屋外)
ここ長野県井戸尻遺跡はJR中央東線信濃境駅近くにあり、上記写真の
右手奥は南アルプス南部甲斐駒ヶ岳が眼前にそびえる。
下の谷は国道20号線が走り釜無川が流れ、下蔦木宿となっている。
手前は、井戸尻考古館の蓮畑で、蓮の他、アヤメ、カキツバタなど水生植物や
稲作などが行われ、太古の昔を彷彿とさせる景色が展開される。

「井戸尻考古館」
又、考古館のすぐ隣には「富士見町歴史民族史料館」も併設されていて、此の
土地の先人達の、自給自足生活の日々の暮らしぶりが判り、農業を中心とした
生活用具、古美術品、古文書が展示されている。
尚、井戸尻考古館と共通のチケットが使える。


この写真は考古館駐車場から見える、水車小屋左手に「竪穴住居復元遺跡」
が在り、そこから眺める風景は「なぜ古代人がこの地を住居としたのか?」判る
気がする。
近くには八ヶ岳の伏流水が流れ出て、山間部にも関わらず、なだらかな斜面が
広がり起伏の少ない土地となっている。

八ヶ岳山塊には沢山の遺跡群があり、有名な遺跡も可成りある。
その内の1つ「尖石遺跡」も、その場所に立ってみると、古代人がなぜこの地に
と・・・・・・何となく理解できる気がする。


「尖石遺跡」(長野県 茅野市ホームページよりリンク)

           
写真は、井戸尻遺跡を囲む植栽畑に在る植物。
写真上は「蓮の葉」、左下は「ヒツジ草」右は「コウホネ」


         
今時分は、蓮の花が満開となっているだろう・・・・・・
古代蓮の「大賀蓮」は開花時期が早く、既に終わっていると思うが、その他の
種類が色々ある。


なお井戸尻考古館のHPをご覧になれば判りますが、現在「人面香炉形土器」
がイギリス大英博物館に貸し出され残念ながら此を見る事が出来ません。
又同じく「尖石遺跡」でも「縄文の仮面のビーナス」が貸し出されて居ます。
丁度私が井戸尻遺跡を訪問した時、次の日に「人面香炉形土器」は運び出さ
れる時で幸運でした。







「巾着田(きんちゃくだ)」

2008年09月25日 | 見学様々(屋内・屋外)
此処埼玉県「日高市」高麗(こま)の「曼珠沙華公園」は日高市のほぼ中央を流れる
「高麗川」の辺にある。
地図で見ると、丁度「高麗川」が県道15号線を結び目とする「巾着袋」の様な地形と
なっていて17ヘクタール余りの場所には、此の「彼岸花」の群生の他「コスモス畑」も
隣接している。
どちらも、この時期に満開となり、秋分の日の翌日なのに沢山の観光客で溢れていた。
「彼岸花」の群生場所に入ると、一面が赤の絨毯を引いたような感じでその景観は素晴
らしい。群生地の中を幾本かの遊歩道が有り、其処を歩きながら散策する。
沢山の人出だが写真撮影でも人の姿が映り込まない程の広さがあるのでそれも良かった。
しかし、殆どが赤い「曼珠沙華」で中に数える程の、白い「曼珠沙華」がある程度。
もう少し彩りが在れば更に楽しくなるところだ。
「曼珠沙華」の花びらを見ていると、妖艶な中国美人の趣が在る、元々中国原産の植物で
すが、此の植物はその外見に似合わず、猛毒のアルカロイド系の毒草だ。

隣接するコスモス畑も圧巻で、此処は無料で見学出来る、矢張り畑の中に道が付いて
いて、人が邪魔にならない程広い。
このコスモス畑から北側の遠景には「日和田山」がくっきりと眺められる。
どちらも10月の初旬頃までは見頃のようだ。


日高市「巾着田」公式ホームページ http://www.kinchakuda.com/


JAXA(調布航空宇宙センター)にて

2008年09月09日 | 見学様々(屋内・屋外)
このFJR710ターボファンエンジンは1971年(昭和46年)から2期に分けて旧通産省
工業技術院、現経済産業省の、大型プロジェクトに依って研究開発された物です。
その後このエンジン(FJR710/20型)は1977年に英国国立ガスタービン研究所に持ち
込まれ、きわめて高性能な事が実証され、日本の技術力が高いことが示されました。

http://jda.jaxa.jp/jda/p4_download_j.php?mode=search&f_id=11759&genre=7&category=7006&mission=7007&type=6
上記アドレスは小型超音速実験機(Nexst-1)、JAXA展示館にはこの実物も展示し
てあります。
この写真は、豪州・ウーメラ実験場の時の写真でJAXAフォト・アーカイブスの物です。

その他にも、航空機の無人自動着陸実験機「ALFLX」の実物が展示してあります。
写真も写しましたが、此のBlogに記載する事が出来ませんでした。

当日の見学者は私一人だけでしたので、2時間ほど時間を掛けてゆっくりと、思う存分
見学出来て最高でした。
ビデオ・アーカイブを見るだけでも結構時間が掛かります、展示物はそれ程多くありま
せんが、中々有意義でした。


「鉄道博物館(埼玉)にて」

2008年06月03日 | 見学様々(屋内・屋外)
館内の照明が暗くカメラの三脚無しで、ノンフラッシュで撮影したため多少ブレている
がNikonVRレンズ(手ぶれ補正付き)の為名刺サイズならさほど気にならないレベル
です、シャッタースピードは1秒程。

と、マ~写真の講釈はさておいて、当日はウィークデーなのでそれ程の混雑もなかろう
と安心していましたが、さにあらず・・・・・
まず昼前であったが駐車場に入るまで15分ほど待った、館内にはいると「親子連れ」
の姿が多く、子供の団体客が居たりして結構な混雑状況だった。
聴くところに依ると、JR当局の予想に反して入場者数が予想を大きく上回るとか!
昨年の10月に開業してから間もない事も有ると思いますが、可成りの人気施設のよう
です。
旧鉄道博物館が東京秋葉原に在りましたが、こちらにも何度か行きました。今となって
は、自分自身旧鉄道博物館が懐かしい。今はもう無いのが残念です。

館内には食堂が幾つかありますが、昼時と在って何処も満員で入り口に行列が出来て
いました。。。。。。。結局何処にも入らず昼食抜きでした・・・・・
模型を動かすコーナーや乗り物は予約が必要な様で、そうでない所は1時間待ち・・・・・
と云った具合で、子供達にとっては遊園地以上に楽しいのかも知れません。

私自身はもう少し、最新の鉄道技術の解説、展示が欲しかったのですが「VVVF」や
インバータ制御の解説が少し在った位でした。
大人向けの展示施設では無い様ですので、マ~こんな物かも知れません。



「Ferrari F50」

2007年09月19日 | 見学様々(屋内・屋外)
此処は、富士の裾野に有る自動車博物館ウイークデーの為か私達が入った
時は他に入館者は無く、館内に館長らしき方と従業員の女性2人が居るのみ
でひっそりとしていた。お陰でゆっくりと見学できた。
館内には戦前から近年に至る外国の名車、日本の名車が何十台も展示され
車好きの方にとっては見逃せない。
又外国製オートバイなども一緒に展示されていてBMW、インディアン、ハレ
ーダビッドソン、ドカッティー、等何れも戦前戦後のモデルで、見ていて楽しい。
又国産車は映画「三丁目の夕陽」に出てくる様なオート三輪、ダットサン、等
古き良き時代の乗り物が沢山展示されている。
中でもHONDA-S800などはリアルタイムで知っているだけに、懐かしい。

博物館正面屋上には、ロッキードF104ジェット戦闘機が飾ってあり(本物)
側で見たかったが、此は見学できず、眺めるだけだった。
隣の建物には、零式戦闘機の展示場があり、別料金で見学できるが今回は
此方の見学は止めた。

「諏訪湖の畔にて」

2007年08月16日 | 見学様々(屋内・屋外)
1998年7月に此処諏訪湖のほとりに開館した。
朝日新聞日曜版のフロントページに1982年~2年半「原田泰治の世界」
として連載された。
原田泰治さんの独特の画風は一度見たら忘れない。
このミュージアムのエントランスホールから眺める諏訪湖も、一枚の「絵」
を見ているようで、素晴らしい。
2階には、原田泰治の作品と共に、情報コーナーがありこの美術館用に
制作されたビデオ映像で原田さん自身の言葉で様々なことが語られてい
る。
又この時期、幸運にも「星野富弘」さんの「花の詩画展」を1階の展示
室にて開催されていた。(7月11日~9月9日まで)
同時に情報コーナーでも星野富弘さんのプロフィールなどご本人によって
語られている、群馬県にある「富弘美術館」にて上映されている物とは趣
が多少違い、私にとっては此方の方に好感が持てた。

原田泰治さん、星野富弘さんご両人とも障害の種類は違う物の、同じ障害
を持つ者としてハンディーを乗り越え、一流の画家としての交流展は兎に
角素晴らしい!

  http://www.city.suwa.nagano.jp/museum/harada/ 原田泰治美術館
  http://www.tomihiro.jp/ 富弘美術館

ご両人の作品展を一カ所で同時に見ることが出来て、本当にラッキーで
した。
この文を読んで下さった方には是非お勧めしたい一つです。

「富弘美術館」

2006年07月02日 | 見学様々(屋内・屋外)
この所すっかり更新が遅れて仕舞いました。
mixiの方に時間と精力をつぎ込んで仕舞い、此方の
方はどうも・・・・・可能な限り更新してゆきます。

さて「富弘美術館」ですが、昨年の4月に建て替えて
新規オープンに成りました。
以前の建物は跡形も無くなり、場所も移動した様です。
数年前に訪れた時とすっかり様子が変わって居ました
「星野富弘」さんに付いては、今更書く必要も無い程で
すが、1970年クラブ活動指導中、頸椎損傷で手足の
自由を奪われ、寝たきりの中、口を使って絵筆を取り
植物を中心とした「絵」と「詩」を書いておられます。

館内の作品展示は以前と比較すると大分増え、時系
列的に展示してあります。
この建物は国際コンペ1200件の中から選ばれた物で
円形を中心に設計されています。
建物付近から草木ダム湖周辺を見渡すと「星野富弘」
さんの世界が広がる様な気がしてきます。

東京から車で行くと、ゆっくりしながら丁度一日コース
私は北関東道(伊勢崎インター)から県道73号を走り
ました、結構かったるかった、美術館付近に食事をす
る所は有りますが、出来るなら、手前の方か見学後に
腹ごしらえを、お勧めします。(これ以上は書きません
!)・・・・・・

「星野富弘」さんの「絵」は勿論ですが、「詩」の方も
何処か「相田みつお」さんの「詩」に重なる物を感じる
のです。
「相田みつお」さんのミュージアムは未だ訪れた事は
有りませんが、機会が在れば足を運びたい。