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タイトルの写真は熊本城内「竹の丸」付近から「飯田丸五階櫓」とその周りを撮影した物です。
まるで要塞の如くそびえる様は見事な物です。
此の右手奥の方に「本丸御殿」「天守閣」と続くのですが「竹の丸」(広場)は「櫨方門」(はぜかたもん)から近く此所から敵が攻め込んできても、そう簡単に天守閣へは行けません。
今日はマズ「水前寺公園」から見て回る事にしました。
朝ホテル日航熊本を出て前の通りを走る路面電車で水前寺公園迄行きます。
未だ朝早いせいか団体客が少なく静かな朝の水前寺公園を見て回る事が出来ました。
水前寺公園は正式には「水前寺成趣園」と言い園内に有る「出水神社」の管理のようです。
桃山様式を代表する回遊式庭園で、1636年(寛永13年)細川家第三代忠利公が「国府の茶屋」を設けた事から始まります。その後三代80年に渡って完成し「成趣園」と命名され今に至っているようです。
正門入り口から入ると庭園を挟んで奥の方に流鏑馬の馬場が有ります。
写真下が馬場で右上は馬場と平行に左右月山の様になった所で馬場と区画を分けています。
「水前寺」と言えば私等の世代は歌手「水前寺清子」さんを思い出します。実際芸名は此所の公園から名前を拝借したようです。
熊本や広島と言った都市は路面電車が通勤の足代わりの様で車両の種類が様々有り見ていて楽しい。その一部を写真に納めました。レトロな物から新型まで彩色もカラフルです。
さて、一端ホテルに戻りチェックアウトをしてから今度は「熊本城」の見学に行きます。
写真は路面電車を降り「加藤清正公像」の有る「行幸橋」を渡り坂を登ります。その途中からの「飯田丸五階櫓」をお堀側から見た所です。丁度タイトルの写真と反対方向から撮した感じです。
次に「行幸坂」を登った場合「頬当御門」から入るのが順当です。写真はその御門から入ると真っ先に出てくるのが此のシーンです。天守閣が見えていますがたどり着くまでは幾つかの角を曲がらなければ行けません。
写真は「宇土櫓」熊本城で唯一現存するのがこの「宇土櫓」他は修復修理や再建で創建当時
のまんまと言うのは無いようです。
多層櫓で地上5階地下1階、他の城郭では優に天守閣に匹敵する規模です。
往時の熊本城はこの様な5階や3階建ての櫓が林立し、難攻不落の巨大要塞だった様です。
「宇土櫓」の内部の写真です。
柱や床には当時、の建築時の「ちょうな」(道具)の跡がハッキリ付いています。
写真は「宇土櫓」から見た「大小天守閣」です。
天守閣、本丸御殿一帯は西南戦争の時焼失し1960年(昭和35年)に外観復元。
大天守は地上6階地下1階、石垣の上から高さ30m、小天守は地上4階地下1階、高さ19mで内部は資料館と成って居る。
写真は「本丸御殿」への入り口が有る「くらがり通路」。此所を通って再建された「本丸御殿」へ行く。
「本丸御殿」の「大広間」まだ建てられたばかりで檜の香りがする・・・・・・
正面奥に見えるのが「昭君の間」で金箔に色鮮やかな色彩が再現されている。
当時の実際の絵柄は焼失して不明のようですが、こんな図柄だろうと再現想像図のようです。
他に何枚か当時の絵柄は残されているようですが・・・・・・・
上部の白い漆喰などは未だ再現が難しいようです。
「本丸御殿」を出て、更に城内を巡ります。
写真は「櫓」群、手前から源之進櫓、四間櫓、十四間櫓、七軒櫓、田子櫓、こうした櫓が他にも幾つかあります。
写真は「二様の石垣」と言われる場所でビュースポットでもあります。此の石垣は「武者返し」と言われる物で、此の城独特の物です。
順路は此の後タイトルの写真「飯田丸五階櫓」の見える場所に行きます。
熊本城内「竹の丸」付近から「飯田丸五階櫓」とその周りを撮影した後、「須戸口門」から城外へ出ます。
写真は内堀である「坪井川」に沿って「櫨方御門」~「須戸口門」迄続く「長塀」の内側と外側からの写真。
此の後お城の向かい側のオフィス街へ出て昼食後、熊本バスターミナルへ戻り帰りの飛行機の時間まで時間があるので熊本バスターミナル近辺をぶらつきました。
飛行機の離陸時間が19時なので離陸後外の景色は見えず・・・・・こうなると飛行機も退屈です。。。。。。。。。
タイトルの写真は熊本城内「竹の丸」付近から「飯田丸五階櫓」とその周りを撮影した物です。
まるで要塞の如くそびえる様は見事な物です。
此の右手奥の方に「本丸御殿」「天守閣」と続くのですが「竹の丸」(広場)は「櫨方門」(はぜかたもん)から近く此所から敵が攻め込んできても、そう簡単に天守閣へは行けません。
今日はマズ「水前寺公園」から見て回る事にしました。
朝ホテル日航熊本を出て前の通りを走る路面電車で水前寺公園迄行きます。
未だ朝早いせいか団体客が少なく静かな朝の水前寺公園を見て回る事が出来ました。
水前寺公園は正式には「水前寺成趣園」と言い園内に有る「出水神社」の管理のようです。
桃山様式を代表する回遊式庭園で、1636年(寛永13年)細川家第三代忠利公が「国府の茶屋」を設けた事から始まります。その後三代80年に渡って完成し「成趣園」と命名され今に至っているようです。
正門入り口から入ると庭園を挟んで奥の方に流鏑馬の馬場が有ります。
写真下が馬場で右上は馬場と平行に左右月山の様になった所で馬場と区画を分けています。
「水前寺」と言えば私等の世代は歌手「水前寺清子」さんを思い出します。実際芸名は此所の公園から名前を拝借したようです。
熊本や広島と言った都市は路面電車が通勤の足代わりの様で車両の種類が様々有り見ていて楽しい。その一部を写真に納めました。レトロな物から新型まで彩色もカラフルです。
さて、一端ホテルに戻りチェックアウトをしてから今度は「熊本城」の見学に行きます。
写真は路面電車を降り「加藤清正公像」の有る「行幸橋」を渡り坂を登ります。その途中からの「飯田丸五階櫓」をお堀側から見た所です。丁度タイトルの写真と反対方向から撮した感じです。
次に「行幸坂」を登った場合「頬当御門」から入るのが順当です。写真はその御門から入ると真っ先に出てくるのが此のシーンです。天守閣が見えていますがたどり着くまでは幾つかの角を曲がらなければ行けません。
写真は「宇土櫓」熊本城で唯一現存するのがこの「宇土櫓」他は修復修理や再建で創建当時
のまんまと言うのは無いようです。
多層櫓で地上5階地下1階、他の城郭では優に天守閣に匹敵する規模です。
往時の熊本城はこの様な5階や3階建ての櫓が林立し、難攻不落の巨大要塞だった様です。
「宇土櫓」の内部の写真です。
柱や床には当時、の建築時の「ちょうな」(道具)の跡がハッキリ付いています。
写真は「宇土櫓」から見た「大小天守閣」です。
天守閣、本丸御殿一帯は西南戦争の時焼失し1960年(昭和35年)に外観復元。
大天守は地上6階地下1階、石垣の上から高さ30m、小天守は地上4階地下1階、高さ19mで内部は資料館と成って居る。
写真は「本丸御殿」への入り口が有る「くらがり通路」。此所を通って再建された「本丸御殿」へ行く。
「本丸御殿」の「大広間」まだ建てられたばかりで檜の香りがする・・・・・・
正面奥に見えるのが「昭君の間」で金箔に色鮮やかな色彩が再現されている。
当時の実際の絵柄は焼失して不明のようですが、こんな図柄だろうと再現想像図のようです。
他に何枚か当時の絵柄は残されているようですが・・・・・・・
上部の白い漆喰などは未だ再現が難しいようです。
「本丸御殿」を出て、更に城内を巡ります。
写真は「櫓」群、手前から源之進櫓、四間櫓、十四間櫓、七軒櫓、田子櫓、こうした櫓が他にも幾つかあります。
写真は「二様の石垣」と言われる場所でビュースポットでもあります。此の石垣は「武者返し」と言われる物で、此の城独特の物です。
順路は此の後タイトルの写真「飯田丸五階櫓」の見える場所に行きます。
熊本城内「竹の丸」付近から「飯田丸五階櫓」とその周りを撮影した後、「須戸口門」から城外へ出ます。
写真は内堀である「坪井川」に沿って「櫨方御門」~「須戸口門」迄続く「長塀」の内側と外側からの写真。
此の後お城の向かい側のオフィス街へ出て昼食後、熊本バスターミナルへ戻り帰りの飛行機の時間まで時間があるので熊本バスターミナル近辺をぶらつきました。
飛行機の離陸時間が19時なので離陸後外の景色は見えず・・・・・こうなると飛行機も退屈です。。。。。。。。。