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京都・奈良その3-奈良橿原

2019-11-09 14:02:56 | 旅行
2019年10月29日、京都・奈良の3日目は奈良橿原
に行きました。京都からは、前日の飛鳥よりちょっと手前
になります。この日は、朝から雨が降っていたため、予定
を少し短縮して歩いて回りました。


近鉄橿原線の最終駅・橿原神宮前駅で下車し、まずは
駅近くの久米寺に行きました。近い割には道が分からず
遠回りした末、ようやく久米寺に着きました。


境内に久米仙人の像がありました。


こちらは重文の多宝塔です。


久米寺を出た後、これも駅からすぐの橿原神宮に行きまし
た。橿原神宮は、神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命
(ひめたたらいすずひめのみこと)をお祀りしています。この
大鳥居(一の鳥居)からずうっと奥へ、参道を歩いて行き
ました。


社殿へ着く前に深田池という大きな池がありました。カモ
が結構泳いでいました。


深田池の反対方向にあった南神門です。


南神門の先は広い境内でした。左の大きな建物が外拝殿、
後ろに見える山が大和三山の一つ畝傍山です。


外拝殿です。一般の参拝者はここでお詣りします。


内拝殿。外拝殿から柵越しに撮りました。内拝殿へは
左右の廻廊を辿って向かいます。


橿原神宮の後、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に
行きました。県内各地の遺跡からの出土品を集めた博物館
で、ここを見学することを大いに楽しみにしていたのですが、
着いてみたら施設の修理で休館とのこと、がっかりしました。


次に、神武天皇陵へ行きました。橿原神宮と地続きの森の
中にありました。あまり訪れる人もいなそうでしたが、初代
天皇の陵ということでぜひ見ておきたいと思いました。


陵の前まできました。


余り見かけませんが、鳥居に扉が着いていました。


その後、橿原神宮駅の一つ手前の畝傍御陵前駅を通り抜けて
反対方向の本(もと)薬師寺跡に行きました。特別史跡に指定。
現在奈良市の西の京にある薬師寺の前身にあたる寺で、平城
遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われ
ていましたが、現在は別々に造られたという説が有力みたいです。


かっての金堂の巨大な礎石が整然と並んでいました。
約1300年前の夢の後、とでもと申すのでしょうか?


本薬師寺の後、近鉄線で八木西口まできて、今井町にきま
した。戦国時代に一向宗の寺内町として成立、江戸時代に
栄え、伝統の町屋が集積し、重伝建に指定されています。


最初に今井まちなみ交流センター華夢に寄りました。ここで
マップなどの資料をいただき、見学をスタートしました。


まず最初は中尊通りの高木家(重文)でした。二軒目が
該当の家で、酒造業などを商っていたそうです。


町中はこのような道が縦横に整然と整備されていました。


隣り合うようにして河合家。こちらも重文です。河合家も
酒造業です。


町中にあった称念寺。浄土真宗本願寺派のお寺で、元々
今井町はこのお寺の境内地として発達しました。


床屋さんも、今井町ではこのような町屋風に。ランプ風
のサインポールが可愛いですねー!


材木商だった豊田家(重文)。今井町の有力家の一つに
数えられます。


このような路地。いいですねー!


環濠跡地。今井町ではこのような環濠や土塁が防衛と
水利のため張り巡らされていたみたいです。


環濠跡が行き着いた所の今西家(重文)。再有力家。


上田家(重文)。こちらも有力家の一つ。


金物商だつた旧米谷家(重文)。


旧米谷家のかまど。勾玉みたいな形をしています。


同中庭。古い井戸がありました。


同蔵前屋敷。後に蔵が繋がっていて、大きな蔵の扉が見え
ました。


今井町での見学を終え、八木西口駅へ戻る途中にあった
大きなエノキ。景観重要樹木だそうです。

新聞のTVのニュースなどに度々出てくる橿原、ようやく
訪れることができました。博物館が休館とは、まさに想定外。
次の機会があるのでしょうか?今井町はここでとりあげた家
以外にも重文や味わいのある家がいっぱいありました。まさに
歴史ある町並、それがしっかり保存されている町並みですね。

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