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京都・奈良その5-奈良山の辺の道

2019-11-11 13:50:19 | 旅行
2019年10月31日、京都・奈良の5日目は奈良の
山の辺の道に行ってきました。今回の旅の中では一番
長い距離を歩きました。なお山の辺の道とは、天理から
桜井まで大和を囲む東の山麓を伝う古い道をいいます。


朝JR奈良線の時刻に間があったので、その時間を利用
して伏見稲荷大社へ寄ることにしました。JR稲荷駅前
から表参道を歩いて行きました。


楼門(重文)です。その前に鎮座するキツネの姿がユニーク
ですね。


外拝殿(重文)、その後の内拝殿(重文)。内拝殿でお詣り
をました。


人気のある千本鳥居前まで行きました。時間の制約が
あったので、ここで引き返しました。


JR奈良駅で同じく万葉まほろば線(桜井線)に乗り換え
天理駅で下車、駅前から長いアーケードを通って、山の
辺の道の出発点である石上(いそのかみ)神宮へ向かいま
した。


アーケードが終わると、道沿に天理教教会本部が出て
きました。広い敷地に大きな神殿があって驚きました!


本部前の光景。天理幼稚園や天理小、天理大学、天理大学
附属参考館などがあるようです。


石上神宮にきました。神武天皇が東征した折に使用したと
いわれる神剣を祭神にしています。


参道を歩いて行くと、注連縄に囲まれた砂地にニワトリ
(御神鶏)が遊んで(そのように見えたのです)いました。
この神宮ではニワトリが神の使いなのですね。


楼門(重文)です。


楼門を潜った先が拝殿(国宝)です。神社建築としては
最古級といわれています。


楼門を出て、対面を上った所にある摂社出雲建雄神社。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である
出雲建雄神(いずもたけおのかみ)をお祀りしています。


後の位置にその拝殿がありました。国宝です。


戻る際、楼門がまるまる見えたのでもう一度撮りました。


石上神宮から山の辺の道がスタートするのですが、少し
コースをはずれて西山古墳を見に行きました。4世紀後半
に築造された前方後方墳です。大きな古墳でした。


西山古墳の後、山の辺の道には戻らず黒塚古墳に向かい
ました。バスで行こうとしたのですが、1時間に1本しかなく、
結局歩いて黒塚古墳に着きました。黒塚古墳は中国から
卑弥呼に贈られた三角縁神獣鏡が多数発見され話題を
集めた所です。


環濠に架けられた橋を渡って古墳を歩きました。橋が
突き当たった所が後円部ですね。


前方部へ歩いて行きました。


前方部の上から後円部へ戻りました。後円部の上に、
鏡が出土した石室の跡みたなものがありました。


古墳の傍に天理市立黒塚古墳展示館があって見学しま
した。そこでは、再現された石室を展示していました。


こちらは三角縁神獣鏡のレプリカ。三角縁神獣鏡は33枚
出土しました。


黒塚古墳の後、山の辺の道に戻り、崇神天皇陵に行き
ました。崇神天皇は大和政権の初代大王といわれている
方です。


陵前まできました。崇神天皇陵は、全長242mの巨大な
前方後円墳で、4世紀前半の築造といわれています。


ちょっと横に寄って、陵をよく見ました。


次に長岳寺に行きました。大門の前でネコが迎えてくれ
ました。長岳寺は空海創建のお寺です。


旧地蔵院(重文)。現在は庫裏として使っているみたいです。


旧地蔵院本堂の延命殿(重文)で、普賢延命菩薩を本尊と
する庫裏の持仏堂。


楼門(重文)。かつては上層に鐘楼が吊られていたために
鐘楼門と呼ばれ、日本最古の鐘門になるみたいです。


こちらが本堂。江戸時代に再建された建物。


傾斜部を少し上った所にあった大石棺佛。高さ2mの
石棺に彫られた石仏です。


山の辺の道を歩いて行くと絶景スポットの案内板があった
ので斜面を少し上り撮りました。中央に二つ並んでいる山
は、右が大和三山の耳成山、左が同畝傍山、間に林を挟ん
で左に離れた山が同天香久山です。分かりますか?


こちらは景行天皇(日本武尊の父)陵。大きな陵でした。
この後、また山の辺の道をはずれて纏向遺跡に行きました。


JR巻向駅横を通り、住宅地を行った先に見えてきたのが
纏向遺跡(辻地区)みたいです。纏向遺跡は、桜井市の
三輪山の北西麓一帯にある弥生時代末期から古墳時代
前期にかけての集落遺跡で、女王卑弥呼がおさめた
邪馬台国の有力候補地にあげられている所です。


現在は、いろいろ発掘された後埋め戻されて説明板が
立つのみでした。


纏向遺跡の後、箸墓古墳にきました。箸墓古墳は、
宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命(やまとととひ
ももそひめのみこと)の墓に指定されている全長
276mの前方後円墳です。卑弥呼の墓との説も
あって、論議が交わされていますね。


ぐるっと回って陵墓の前にきました。卑弥呼論争を思い
浮かべるようなものは何も見当たりませんでした。


また山の辺の道へ戻るべく道を急ぐ途中にあった
ホケノ山古墳。ホタテ貝型の前方後円墳で、纒向
古墳群の一つとして国の史跡に指定されています。
上に登ったら箸墓古墳がよく見えました。


山の辺の道へ戻った所の檜原神社。この後に出てくる
大神(おおみわ)神社の摂社です。ここまできたら大分
日も暮れてきてしまいました。


御神体は山中の磐座で、社殿もなく独特の形をした
三ツ鳥居が立つだけでした。


山の辺の道を先に急ぎ、狭井(さい)神社へきました。こちらも
大神神社の摂社です。


参道を歩いて行くと横手に赤い鳥居、赤い社がありました。
市杵島姫(いちきしまひめ)神社で、 海の神、水の神であり、
芸能をつかさどる弁天さんとしても親しまれています。


檜皮葺の拝殿。この裏に御神水の沸く井戸があったらしい
のですが、見過ごしてしまいました。


大神神社の拝殿(重文)。日本で最も古い神社の一つで、
背後の三輪山を御神体とするため本殿はありません。


ここを山の辺の道は通っていました。


大神神社の先の金屋の石仏にやってきました。


扉の鉄格子の間から高さ2mの泥板岩に彫られた
釈迦如来像と弥勒如来像を撮らせてもらいました。
山の辺の道は、この先海石榴市(つばいち)まで続くのですが、
暗くもなってきたのでここで終わりにしました。

山の辺の道、途中であちこちそれたりもしたので20km以上
は歩いたと思います。足にマメができてしまいました。でも、
日本の歴史のかなり古いところに触れられ十分満足しました。



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