2019年11月1日、京都・奈良の6日目は東大寺転害門
から西に延びる佐保・佐紀路、すなわち昔の平城京南一条
大路の沿線を見学してきました。
この日は近鉄奈良駅を降りて最初に奈良公園に向かいま
した。奈良国立博物館で開催中の第71回正倉院展を
見るためです。まだ時間が早かったため、並ばずに直ぐ
に入れました。
正倉院展を見てからバスで般若寺に行きました。般若寺は、
高句麗の僧・慧灌が創建し、聖武天皇が伽藍を建立したと
いわれています。写真は、受付から境内に入った所の光景
です。本堂とカンマン石が見えました。カンマン石は、身体
の悪い部分をあてると治るといわれている石です。
般若寺はコスモス寺とも称していますが、そのコスモスが
咲いていました。
本堂の周りには、江戸時代に奉納された西国三十三所
観音石仏がずらっと並んで立っていました。
こちらは笠塔婆(重文)です。宋人石工伊行吉(いぎょうきち)
が亡き父の供養のため建立したもの。
伊行末(いぎょうまつ)、息子伊行吉(いぎょうきち)らの手で
建立された十三重石宝塔(重文)。高さ14mと日本最大級
の多重塔。
こちらは国宝の楼門。裏からしか近づけず、外の駐車場
へ出て撮りました。
般若寺からまたバスで転害門まで戻り歩き始めました。
ここからが佐保路(一条通り)になります。しばらくして
横道の先に聖武天皇陵が見えました。
次に、また一部の区間バスを利用して不退寺に行きま
した。写真はその南門(重文)です。不退寺は、在原業平
が不退転法輪寺として開基したもの。南都花の古寺。
その本堂。業平自作の聖観音立像(重文)が本尊として
安置されていました。
境内の所々でこのような石碑を見ました。歌碑でしょうか。
多宝塔(重文)。一層のみが残存。
庫裏の傍にあった石棺。近くの宇和奈辺(ウワナベ)古墳
から発掘されたもの。
不退寺から退出するとき、受付の女性から「ここからの
景色が一番」と推奨され撮りました。多宝塔が見えます。
また、次の海龍王寺までの近道を教えてもらい歩き始め
ました。
途中で宇和奈辺古墳の横を通りました。全長255mの
大きな前方後円墳です。
海龍王寺にきました。光明皇后(聖武天皇妃)によって創建、
遣唐僧玄昉が開基。
十一面観音立像(重文)の本尊を安置する本堂。江戸時代
築造。
同じく重文の西金堂。
西金堂に安置されている国宝の五重小塔。金堂の扉が開いて
いて自由に見られようになっていました。
こちらは経堂(重文)です。
海龍王寺を出て、道を回って法華寺に行きました。法華寺
までが佐保路で、その先が佐紀路になります。法華寺は、
奈良時代には日本の総国分尼寺とされ、本尊は十一面観音、
開基は光明皇后、大和三門跡の一つで氷室御所とも呼ば
れています。
境内に入ってきました。テントに隠れた鐘楼は重文。
豊臣秀頼と淀殿が再興した本堂(重文)。本尊の十一面観音
立像(国宝)は光明皇后がモデル。普段は模刻像を拝観。
本堂裏の光月亭。現在の市内月ヶ瀬地区にあった
旧東谷家住宅を移築したもの。
一輪だけ咲いてた花。カキツバタの残りでしょうか?
花は他にもありました。
名勝指定の庭園。
法華寺から歩いて次の平城京跡に行きました。最初に
着いた所は広い平城京の東に張り出す形で位置する
東院庭園で、現在の迎賓館に相当する施設。
東院庭園を出て歩いてきて、振り返り撮った南面大垣。
長い築地塀で中程に建部門(東院南門)が見えます。
どこを歩いているか分からなくなるほど広く、遠くに
朱雀門が見えました。
ほぼ中央寄りの所の第二次大極殿跡です。
近くまできました。
第二次大極殿跡に上って撮った光景。広さが実感できま
すか?
こちらは復原された第一次大極殿。
第一次大極殿の前方に復元中の第一次大極殿南門。
その遥か前方の朱雀門。余りに離れているので望遠で
とりました。
平城京跡を出て、近鉄線反対側の西大寺に行きました。
東門から入りました。東大寺と比肩された西の大寺。
東門から入ってすぐの四王堂。ここを始めとして、聚宝館、
本堂、愛染堂と四カ所を見て回りました。
江戸時代に再建された本堂(重文)。大きな茶碗が置いて
ありました。
本堂前に残る東塔跡。その大きさから創建当時の寺の
規模が想像されました。
南門(重文)を眺めながら西大寺を後にしました。
今回は近鉄線奈良駅に近い所を見て回りました。皆由緒ある
所です。平城京跡は広かったです。歩きながら往時を偲びまし
た。また、近鉄線はその中を通っていて、電車の中から朱雀門
などが見え、いつか来たいと思っていたのが今回実現しました。
から西に延びる佐保・佐紀路、すなわち昔の平城京南一条
大路の沿線を見学してきました。
この日は近鉄奈良駅を降りて最初に奈良公園に向かいま
した。奈良国立博物館で開催中の第71回正倉院展を
見るためです。まだ時間が早かったため、並ばずに直ぐ
に入れました。
正倉院展を見てからバスで般若寺に行きました。般若寺は、
高句麗の僧・慧灌が創建し、聖武天皇が伽藍を建立したと
いわれています。写真は、受付から境内に入った所の光景
です。本堂とカンマン石が見えました。カンマン石は、身体
の悪い部分をあてると治るといわれている石です。
般若寺はコスモス寺とも称していますが、そのコスモスが
咲いていました。
本堂の周りには、江戸時代に奉納された西国三十三所
観音石仏がずらっと並んで立っていました。
こちらは笠塔婆(重文)です。宋人石工伊行吉(いぎょうきち)
が亡き父の供養のため建立したもの。
伊行末(いぎょうまつ)、息子伊行吉(いぎょうきち)らの手で
建立された十三重石宝塔(重文)。高さ14mと日本最大級
の多重塔。
こちらは国宝の楼門。裏からしか近づけず、外の駐車場
へ出て撮りました。
般若寺からまたバスで転害門まで戻り歩き始めました。
ここからが佐保路(一条通り)になります。しばらくして
横道の先に聖武天皇陵が見えました。
次に、また一部の区間バスを利用して不退寺に行きま
した。写真はその南門(重文)です。不退寺は、在原業平
が不退転法輪寺として開基したもの。南都花の古寺。
その本堂。業平自作の聖観音立像(重文)が本尊として
安置されていました。
境内の所々でこのような石碑を見ました。歌碑でしょうか。
多宝塔(重文)。一層のみが残存。
庫裏の傍にあった石棺。近くの宇和奈辺(ウワナベ)古墳
から発掘されたもの。
不退寺から退出するとき、受付の女性から「ここからの
景色が一番」と推奨され撮りました。多宝塔が見えます。
また、次の海龍王寺までの近道を教えてもらい歩き始め
ました。
途中で宇和奈辺古墳の横を通りました。全長255mの
大きな前方後円墳です。
海龍王寺にきました。光明皇后(聖武天皇妃)によって創建、
遣唐僧玄昉が開基。
十一面観音立像(重文)の本尊を安置する本堂。江戸時代
築造。
同じく重文の西金堂。
西金堂に安置されている国宝の五重小塔。金堂の扉が開いて
いて自由に見られようになっていました。
こちらは経堂(重文)です。
海龍王寺を出て、道を回って法華寺に行きました。法華寺
までが佐保路で、その先が佐紀路になります。法華寺は、
奈良時代には日本の総国分尼寺とされ、本尊は十一面観音、
開基は光明皇后、大和三門跡の一つで氷室御所とも呼ば
れています。
境内に入ってきました。テントに隠れた鐘楼は重文。
豊臣秀頼と淀殿が再興した本堂(重文)。本尊の十一面観音
立像(国宝)は光明皇后がモデル。普段は模刻像を拝観。
本堂裏の光月亭。現在の市内月ヶ瀬地区にあった
旧東谷家住宅を移築したもの。
一輪だけ咲いてた花。カキツバタの残りでしょうか?
花は他にもありました。
名勝指定の庭園。
法華寺から歩いて次の平城京跡に行きました。最初に
着いた所は広い平城京の東に張り出す形で位置する
東院庭園で、現在の迎賓館に相当する施設。
東院庭園を出て歩いてきて、振り返り撮った南面大垣。
長い築地塀で中程に建部門(東院南門)が見えます。
どこを歩いているか分からなくなるほど広く、遠くに
朱雀門が見えました。
ほぼ中央寄りの所の第二次大極殿跡です。
近くまできました。
第二次大極殿跡に上って撮った光景。広さが実感できま
すか?
こちらは復原された第一次大極殿。
第一次大極殿の前方に復元中の第一次大極殿南門。
その遥か前方の朱雀門。余りに離れているので望遠で
とりました。
平城京跡を出て、近鉄線反対側の西大寺に行きました。
東門から入りました。東大寺と比肩された西の大寺。
東門から入ってすぐの四王堂。ここを始めとして、聚宝館、
本堂、愛染堂と四カ所を見て回りました。
江戸時代に再建された本堂(重文)。大きな茶碗が置いて
ありました。
本堂前に残る東塔跡。その大きさから創建当時の寺の
規模が想像されました。
南門(重文)を眺めながら西大寺を後にしました。
今回は近鉄線奈良駅に近い所を見て回りました。皆由緒ある
所です。平城京跡は広かったです。歩きながら往時を偲びまし
た。また、近鉄線はその中を通っていて、電車の中から朱雀門
などが見え、いつか来たいと思っていたのが今回実現しました。
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