2016年4月18日、山形県の鶴岡市、酒田市をいろいろ見て
歩きました(この日も実際は前日からの続きでした)。
最初に訪れたのは、鶴岡市街から酒田市へ向けて、
112号線を海方向へ走った所の善寶寺でした。
龍神様のお寺として有名な曹洞宗のお寺です。
参道を入ってすぐの所に大きなお地蔵様が立っていました。
反対側に五重塔が見えました。前日の羽黒山の五重塔と
比べても、遜色はありませんでした。
総門です。
鴨居部分に象の彫刻が施されていました。
前へ進んで、こちらが山門。
山門の手前右側に五百羅漢堂がありました。
中を覗くと、着色された羅漢様がいっぱいおられました。
また、清浄殿の額がかかっていました。
山門には、通路を挟んでそれぞれが対峙する形で仏像が
立っていて、こちら(向かって右側)は毘沙門天。
反対(同左)側は韋駄天でした。普通は網などが架かって
ていますが、ここはそのまま露出していてお姿をそのまま
お参りでき、それが大変いいな、と思いました。
山門を潜って左側にあった大きな彌勒菩薩様。
本堂へは長い階段を上って行きました。
こちらが本堂。
本堂の裏にあった龍王殿。
本堂の前を左側へ下った所の鐘楼の傍に、ヤマザクラ
でしょうか、きれいに咲いていました。
善寶寺を見た後、酒田市、実際は庄内松山藩のあった
松山町(住所は酒田市字新屋敷)へ向かいました。
松山城跡は、現在松山歴史公園になっています。因みに、
松山藩は江戸期最後、桐生を領有していました。
全体に緩やかな勾配がついていて、塀に沿って下って
いきました。見えている門は、松山文化伝承館への入口
になっています。
さらに下ってこちらの冠木門から中に入りました。
中に入ってすぐの様子。道の右手に大手門が見えました。
こちらは、左手にあった馬出跡土塁。
大手門側へ曲がって進みました。大手門左奥に見える
建物は、松山文化伝承館。
大手門無手前右の水堀傍にきれいなサクラが咲いて
いました。
大手門を通り抜け、裏側から撮りました。
敷地を仕切る石垣。それらしく整備されていました。
一番上まで歩いてきて振り返って撮りました。この広場が
本丸跡みたいです。
こちらは、一旦公園の外に出て、下って振り返って
撮ったもの。
昔の堰みたいな感じがする堀もありました。
周りの城下町だったのではないかと思える一帯を歩いて、
また一番上まで戻ってきました。
角の所に、物見櫓跡の表示が立っていました。
その角を真直ぐ進んで、大手広場の反対側(裏)にあたる
所にあった本丸の土手。
また少し戻って、大手広場・文化伝承館の裏手方向から
撮った光景。
この後、酒田港近くの酒田市内中心街へ向かいました。
新井田川が酒井港へ注ぐ所にあった山居倉庫。米を入れる
ための倉庫で、全部で12棟あり、手前2棟が観光物産館
になっていました。写真は川に面した側。
奥へ歩き始めた所に、舟の停留小屋がありました。この船
を川へ繰り出し、物流したのでしょうね。
中間地点まで歩いてきて、倉庫が途切れた路地へ入って
屋根を撮りました。二重構造の屋根が独特ですね。
これは12番目の倉庫で、庄内米歴史資料館になっていま
した。
裏側へ回って、欅並木と一緒に撮りました。この風景も
趣がありますね。
この後、川の反対側へ行って、大通りに面した本間家
旧本邸を撮りました。本間家三代光丘が庄内藩主酒井氏
のために建造した邸です。本間家は、「本間様には及び
はせぬが、せめてなりたや殿様に…」とまで歌で読まれる
程の豪商で、日本一の大地主でした。
その庭の一部。
こちらは大通りを挟んで反対側にあった別館。奥へ向けて
蔵などいっぱい建物が立ち並んでいました。
こちらは旧鐙屋。廻船問屋で、酒田三十六人衆として町政
にも参画、江戸時代 の日本海海運の大きな役割を担った
家です。国指定史跡。
続けて、山手へ向かって行き、こちらは海向寺。空海開基
といわれているみたいです。
本堂脇にあった即身佛堂。庄内6体の内、2体の即身佛が
このお堂に祀られているのだそうです。
続いて、海向寺に並んで位置する日枝神社へ行きました。
階段を上った所にあった光丘文庫。本間家の蔵書を中心
に、有志家による数万点の貴重な蔵書を集めて、大正時代
に建設されたもの。その後、市の図書館へすべてを寄贈。
日枝神社社殿。この後気付いたのですが、ここまでどうやら
脇道から上がってきてしまったみたいでした。
社殿屋根を支えるサルの彫刻がありました。おもしろいで
すねー。
階段を下りて、舞子坂と称される坂を歩いて行くと香梅咲
といった額を掲げたお店がありました。料亭なのでしょう。
その隣は、相馬樓といったこちらも料亭みたいで、舞子の
踊りが見られるみたいです。女将みたいな人がいたので話
を聞いたら、一見でも入れて、誰でも見られるとのこと。
時間がないので、飛ばしましたが…
少し横へ移動し、山王くらぶへ行きました。明治期に料亭
として建てられたもので、つるし飾り傘福などを展示して
います。二階の窓ガラスに見えているのが分かりますか?
こちらはその先にあった上喜元という造り酒屋。
じょうきげん、と読むのでしょうね。
山側へ戻った所の魚屋さんの店頭光景。鱒みたいで、群馬
では見られない光景なので、おもわず撮ってしまいました。
山の頂上にある日和山公園に移動、道路を挟んで反対側
のここが日枝神社の正面みたいでした。
随神門です。
近くにあった小幡という旧割烹。「おくりびと」の撮影に
使われたとか…
日和山公園の入口。ここでもサクラまつりを開催中でした。
公園内を真直ぐ進むとあった常夜燈。
さらにその先にあった展望台から、市の中心街の方向を
撮りました。
こちらは、その反対方向で、六角の木造灯台の向こうが
海になります。
入口の方へ戻りかけたとき、皇大神宮の傍にあった錨。
海の中から引き揚げてきたものではないか、と想像します。
日和山公園入口まで戻って、今度は下の広場の方へ
下りて行きました。
池に千石船が浮かんでいました。これで帆がついていれば
申し分なかったのですが…
公園の反対側、日枝神社の横にあった旧白崎医院。どこ
にあるのかと車で探しに出かけたのですが、何ていうこと
はない、駐車していた場所からすぐの目の前にあったの
でした。大正期に建てられた酒田市唯一の木造洋風建築
ですね。
中へ入ったら、受付の人が爆睡中、そのまま入口で写真
を撮っただけで、戻ってきてしまいました。
ここまでで山形のブラ歩きを終了。この後、6時間かけて
桐生へ戻ってきました。
酒田市も大忙しで見て回ってしまいました。もう少しゆっくり
歩き、町固有の雰囲気、文化を味わえたら良かったなと思って
います。それにしても、山形奥深いですね、歴史、生活、風俗
など群馬とは明らかに違いますね。またいつの日か、時間を
かけて回ってみたいと思いますが、叶うでしょうか?
歩きました(この日も実際は前日からの続きでした)。
最初に訪れたのは、鶴岡市街から酒田市へ向けて、
112号線を海方向へ走った所の善寶寺でした。
龍神様のお寺として有名な曹洞宗のお寺です。
参道を入ってすぐの所に大きなお地蔵様が立っていました。
反対側に五重塔が見えました。前日の羽黒山の五重塔と
比べても、遜色はありませんでした。
総門です。
鴨居部分に象の彫刻が施されていました。
前へ進んで、こちらが山門。
山門の手前右側に五百羅漢堂がありました。
中を覗くと、着色された羅漢様がいっぱいおられました。
また、清浄殿の額がかかっていました。
山門には、通路を挟んでそれぞれが対峙する形で仏像が
立っていて、こちら(向かって右側)は毘沙門天。
反対(同左)側は韋駄天でした。普通は網などが架かって
ていますが、ここはそのまま露出していてお姿をそのまま
お参りでき、それが大変いいな、と思いました。
山門を潜って左側にあった大きな彌勒菩薩様。
本堂へは長い階段を上って行きました。
こちらが本堂。
本堂の裏にあった龍王殿。
本堂の前を左側へ下った所の鐘楼の傍に、ヤマザクラ
でしょうか、きれいに咲いていました。
善寶寺を見た後、酒田市、実際は庄内松山藩のあった
松山町(住所は酒田市字新屋敷)へ向かいました。
松山城跡は、現在松山歴史公園になっています。因みに、
松山藩は江戸期最後、桐生を領有していました。
全体に緩やかな勾配がついていて、塀に沿って下って
いきました。見えている門は、松山文化伝承館への入口
になっています。
さらに下ってこちらの冠木門から中に入りました。
中に入ってすぐの様子。道の右手に大手門が見えました。
こちらは、左手にあった馬出跡土塁。
大手門側へ曲がって進みました。大手門左奥に見える
建物は、松山文化伝承館。
大手門無手前右の水堀傍にきれいなサクラが咲いて
いました。
大手門を通り抜け、裏側から撮りました。
敷地を仕切る石垣。それらしく整備されていました。
一番上まで歩いてきて振り返って撮りました。この広場が
本丸跡みたいです。
こちらは、一旦公園の外に出て、下って振り返って
撮ったもの。
昔の堰みたいな感じがする堀もありました。
周りの城下町だったのではないかと思える一帯を歩いて、
また一番上まで戻ってきました。
角の所に、物見櫓跡の表示が立っていました。
その角を真直ぐ進んで、大手広場の反対側(裏)にあたる
所にあった本丸の土手。
また少し戻って、大手広場・文化伝承館の裏手方向から
撮った光景。
この後、酒田港近くの酒田市内中心街へ向かいました。
新井田川が酒井港へ注ぐ所にあった山居倉庫。米を入れる
ための倉庫で、全部で12棟あり、手前2棟が観光物産館
になっていました。写真は川に面した側。
奥へ歩き始めた所に、舟の停留小屋がありました。この船
を川へ繰り出し、物流したのでしょうね。
中間地点まで歩いてきて、倉庫が途切れた路地へ入って
屋根を撮りました。二重構造の屋根が独特ですね。
これは12番目の倉庫で、庄内米歴史資料館になっていま
した。
裏側へ回って、欅並木と一緒に撮りました。この風景も
趣がありますね。
この後、川の反対側へ行って、大通りに面した本間家
旧本邸を撮りました。本間家三代光丘が庄内藩主酒井氏
のために建造した邸です。本間家は、「本間様には及び
はせぬが、せめてなりたや殿様に…」とまで歌で読まれる
程の豪商で、日本一の大地主でした。
その庭の一部。
こちらは大通りを挟んで反対側にあった別館。奥へ向けて
蔵などいっぱい建物が立ち並んでいました。
こちらは旧鐙屋。廻船問屋で、酒田三十六人衆として町政
にも参画、江戸時代 の日本海海運の大きな役割を担った
家です。国指定史跡。
続けて、山手へ向かって行き、こちらは海向寺。空海開基
といわれているみたいです。
本堂脇にあった即身佛堂。庄内6体の内、2体の即身佛が
このお堂に祀られているのだそうです。
続いて、海向寺に並んで位置する日枝神社へ行きました。
階段を上った所にあった光丘文庫。本間家の蔵書を中心
に、有志家による数万点の貴重な蔵書を集めて、大正時代
に建設されたもの。その後、市の図書館へすべてを寄贈。
日枝神社社殿。この後気付いたのですが、ここまでどうやら
脇道から上がってきてしまったみたいでした。
社殿屋根を支えるサルの彫刻がありました。おもしろいで
すねー。
階段を下りて、舞子坂と称される坂を歩いて行くと香梅咲
といった額を掲げたお店がありました。料亭なのでしょう。
その隣は、相馬樓といったこちらも料亭みたいで、舞子の
踊りが見られるみたいです。女将みたいな人がいたので話
を聞いたら、一見でも入れて、誰でも見られるとのこと。
時間がないので、飛ばしましたが…
少し横へ移動し、山王くらぶへ行きました。明治期に料亭
として建てられたもので、つるし飾り傘福などを展示して
います。二階の窓ガラスに見えているのが分かりますか?
こちらはその先にあった上喜元という造り酒屋。
じょうきげん、と読むのでしょうね。
山側へ戻った所の魚屋さんの店頭光景。鱒みたいで、群馬
では見られない光景なので、おもわず撮ってしまいました。
山の頂上にある日和山公園に移動、道路を挟んで反対側
のここが日枝神社の正面みたいでした。
随神門です。
近くにあった小幡という旧割烹。「おくりびと」の撮影に
使われたとか…
日和山公園の入口。ここでもサクラまつりを開催中でした。
公園内を真直ぐ進むとあった常夜燈。
さらにその先にあった展望台から、市の中心街の方向を
撮りました。
こちらは、その反対方向で、六角の木造灯台の向こうが
海になります。
入口の方へ戻りかけたとき、皇大神宮の傍にあった錨。
海の中から引き揚げてきたものではないか、と想像します。
日和山公園入口まで戻って、今度は下の広場の方へ
下りて行きました。
池に千石船が浮かんでいました。これで帆がついていれば
申し分なかったのですが…
公園の反対側、日枝神社の横にあった旧白崎医院。どこ
にあるのかと車で探しに出かけたのですが、何ていうこと
はない、駐車していた場所からすぐの目の前にあったの
でした。大正期に建てられた酒田市唯一の木造洋風建築
ですね。
中へ入ったら、受付の人が爆睡中、そのまま入口で写真
を撮っただけで、戻ってきてしまいました。
ここまでで山形のブラ歩きを終了。この後、6時間かけて
桐生へ戻ってきました。
酒田市も大忙しで見て回ってしまいました。もう少しゆっくり
歩き、町固有の雰囲気、文化を味わえたら良かったなと思って
います。それにしても、山形奥深いですね、歴史、生活、風俗
など群馬とは明らかに違いますね。またいつの日か、時間を
かけて回ってみたいと思いますが、叶うでしょうか?
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