フルール・ダンテルディ

管理人の日常から萌えまで、風の吹くまま気の向くまま

映画はしごデー

2008年06月01日 | 極めて日常茶飯事
 本日は映画デー(ん?ファン感謝デーというのか?)のため、一律千円だったので、映画のはしごをしてきた。コナンとナルニア国。
 最初コナンは無理だな~と思っていたが、予定が変わったのでコナンも観ることにした。結構早めに行ったのに、70席ちょいで整理番号64番というギリギリセーフ。何しろ1回しか上映しないんだもんなー。隣りも1人で見に来た大学生くらいの青年。オタクだな・・・。パンフまで買ってたよ。・・・どうしよう、コナン受だったら!仲間(ショタ)だな!(←あほ)
 平次もKIDも出ないのでテンションあまり上がらずに観に行ったのだが、観始めるとやっぱおもしろいんだよな~、映画は!テレビはこの頃見てない。そろそろ黒の組織と本格対決になってくんないと、マンネリでさ。週刊誌の連載が終わったら本腰入れて見るよ(←ひでぇ・・・)。
 しかし新一って、絶対音感の持ち主でバイオリンなんかも弾いちゃうくせに、なんで音痴なのかね?声出す訓練をしてないだけだと思うんだけどねー。
 回想で桜舞う夕焼けの中、蘭と並んで歌声に耳を傾けているときの新一がかわいかった・・・横の正真正銘女の子の蘭より可愛いんですけど!私の目が腐ってるから?基本的にコナンにしか萌えないワタクシが高校生の新一を「う″っ・・・可愛い・・・」と思ってしまうなんて、恐るべし、性別「受」!(どこまでもあほだ・・・)
 しかし、「うおぉ!」っと萌えたのが、コナンが殴られて吹っ飛んでいくところだったというのは、人としてどうなの、私・・・業が深い・・・
 さて、ナルニアの方は、正統派美形の王子様が眼福じゃの~ちょっぴり情けなかったり、格好良かったり。守ってあげたいタイプですなー。
 ナルニア国物語を読んだのは中学生のときの上、後半がどうにもキリスト教的世界観が鼻について好きになれなかったので、あまり話を覚えていない・・・ので、新鮮に観られましたよ・・・。(そーいや姉が、「本持っていたはずなのに見つからない!」とかゆーてたけど、あのカオスの中から探すのは難しかろう・・・。つーか、実家にあるか、捨てたんじゃないの?)
 しかし、最初のナルニア観たときも思ったけど、ファンタジーにしちゃあ大量の死人が出る話だよな・・・。まあ戦争してばっかだからしょうがないんだけど。子供向けファンタジーのふりして、大人向け異世界歴史小説?グインサーガみたいにずーっと時間軸が続いているんじゃないけど、建国と亡国の物語。グインサーガをファンタジーに入れるなら、これもファンタジーか・・・。
 カスピアン王子といい感じになっていたスーザンはイギリスに戻っちゃうけど、もったいない・・・。今の少女マンガなら残るだろーな・・・。昔のSFやFTマンガなら、主人公の少女たちは異世界で冒険したり恋したりしても、結局は元の世界に帰ることを選んだけど、ある作品からは帰らないようになったんだよね。その選択を読んだときは衝撃的だった・・・。少女マンガ初の快挙という意味よりも、少女たちが現実のこの世界を否定したとも、少女たちが無力な「少女」でしかなく、その与えられた役割を受容することを拒否し、自らが自らであることができる世界を選び、作るのだという意思表示であるという意味で。普通の少女達はこの現実を見捨て始めたのだと。
 それは『天は赤い河のほとり』。そしてその後は『彼方から』でもそうだった。しかもそれは愛のためだけでなく、ノリコは世界を救うために、ユーリは国を統治するためにだった。
 そういう日本の少女マンガの変化が頭にあったので、スーザンが帰ることを選択するのはちょっと悔しい感じ。自分がスーザンだったら残るなー。だって、子供のころから何度も何度も何百回となく、「この世界から別の世界へ」行くことを望んでいたから。まあ、現実がいやでの逃避願望がもし叶えられたとしても、別の世界でうまくいくわけはない、というしたり顔の意見はあるけど、そんなこと、自分の力ではどうしようもないことで苦しんでいる人間の役にはたたないどころか絶望させるだけの言葉でしかないね。最初の方のシーンで、地下鉄のトンネルがナルニアに変わって行くときなんか、本気で涙がこみあげたよ。ああ、自分にはとうとうこういう瞬間は訪れなかったなーって。
 それだけでなく、画面いっぱいのニュージーランドの雄大で美しい風景にも涙がこみ上げたですよー。行きたくなるなーと思ったら、J○Bが「ナルニアロケ地ツアー」やってる。ちゃっかりしてるよな・・・