今日は、加須市にある開智未来高校へ行ってきました。
今春には、当塾の卒業生が東大に合格するなど、進学校としての実績も年々着実に上げて生きていると思います。今春も2名の生徒さんが開智未来へと進学をしていきました。どんなふうに成長をしていくか楽しみでもあります。
今日は授業見学後に関根均・校長先生から、学校の概要やこれからの開智未来高校の方向性についてお話いただきました。関根先生のお話は、毎回聞くたびにスゴイなと思うのですが、今日もまた魂を揺さぶられるほどの深いお話を頂くことができました。
全部が全部とてもスゴイお話しではありましたが、その中でも特に印象に残っているワードが2つあります。
1つ目は「無知の知」です。
関根先生は「教育は難しい」とおっしゃっていました。まさにそのとおりだと思います。どうやったら生徒さんの力を伸ばしてあげられるのか、どうしたら生徒さんのモチベーションを維持できるのか、いつも苦労の連続だとおっしゃっています。私も全く同じことを思っています。
ある生徒さんで上手くいった方法でも、生徒さんが違えばうまくいかないことなどざらにあります。
ある学年では上手くいった方法があったとしても、学年が違えばうまくいかない、そんなこともたくさんあります。
勉強の指導に「こうやったら絶対にうまくいく」なんていう方法はない、だから、教育について、ある方法で上手くいったからと、分かった気になって、教える側が学びを止めてしまってはいけない。常に良い方法はないかと、周りの先生や他校の先生、そして時には生徒にも聞いてまわることで学び続けることが大切。
そんなことをおっしゃっていたように思います。
現場に立っていると、これは本当に痛切に感じます。だからこそ、当塾は学年によって、年度によってやり方を変えていきますし、生徒さんによってもやり方を変えていきます。
関根先生と同じく、私もうまくいくときもあればそうでないときもありますが、生徒さんの顔を見ながらやり方を模索していく姿勢は、同じだなぁと思いました。
そしてもうひとつは「表面的に成績が良いだけの生徒ではなく、根っこがしっかりとした生徒を育てたい」という言葉でした。
これこそ、当塾の目指しているところだ、私の言いたいことを代弁してくださった、そんなふうに思った言葉でした。
もちろん塾ですから、成績を上げていくことは大切なことだと思っています。ただ、同じ成績を上げるにしても、そのプロセスが大切だとも考えています。
予想問題ばっかりをやって、表面上の良い成績をとることに価値を置くよりも、不器用でも一から学力を築いていこうとする姿勢を大切にしたいと私も考えています。
ぱっと成績が上がる方法も大切かもしれませんが、自分にどんな勉強が必要か、自分のできることはどんなことなのかを一生懸命考えていく姿勢、それを育てていきたいと思っています。
その差がはっきりするのは、大人になってからではありますが、不器用ながらも粘り強く頑張れた人は、きっと社会に出ても活躍できる、私はそう思っています。
そんな力を育てていくには「非認知能力が大切」というお話も出てきました。折りしも、先日に行われた埼玉栄高校の説明会でも、佐藤校長先生が全く同じことをおっしゃっていました。そして、私も昨年の保護者会で「非認知能力の重要性」については、お話をさせていただいています。
非認知能力、すなわち「やる気・意欲」「粘り強さ・意思力」「リーダシップ」「すぐに立ち直る・上手く対処する」などの能力、言い換えれば「物事に対する態度・姿勢」が学習において重要だということが、最近は方々で聞かれるようになりました。
表面的な学力ではなく、関根先生のいう「精神性の高い生徒」、佐藤先生の言う「骨太の人間」、それは、こういった能力を獲得した人たちのことをさすのだと思います。そして、これからの時代は、こういった人たちがつくっていくといってもいいのかなと思います。
これらの力をつけてもらうには、表面的な対応ではうまくいきません。言葉は多少悪くとも、生徒さんの中にグッと踏み込んでいく何かがなくてはならないと思います。表面的な関係(SNSなども含めた)に慣れた現在の子ども達には、グッと踏み込んでいく指導は、ときに辛くきついことなのかなと思います。しかし、そういった密度の濃い人間関係が何かを変えていくのも事実かなと思います。
今日の関根先生の話も、塾側からすると耳の痛い話ややや厳しいかなと思う言葉をおっしゃることもありました。でも、私はこれらの言葉を心地よく聞いていました。なぜなら、この厳しい言葉の裏には、本当の“愛情”があると感じたからです。
私も周りにはややもすると厳しい言葉を周りの人に発する方がいらっしゃいます。表面的にしか解釈ができないと、厳しいことを言うからキライ、となりそうですが、私にはそうは思えません。その厳しい言葉の裏には、その人に成長してもらいたいという“期待”や“愛情”を感じるからです。
関根先生の言葉の裏にも、そんな真実が隠されているように私には感じました。
今春には、当塾の卒業生が東大に合格するなど、進学校としての実績も年々着実に上げて生きていると思います。今春も2名の生徒さんが開智未来へと進学をしていきました。どんなふうに成長をしていくか楽しみでもあります。
今日は授業見学後に関根均・校長先生から、学校の概要やこれからの開智未来高校の方向性についてお話いただきました。関根先生のお話は、毎回聞くたびにスゴイなと思うのですが、今日もまた魂を揺さぶられるほどの深いお話を頂くことができました。
全部が全部とてもスゴイお話しではありましたが、その中でも特に印象に残っているワードが2つあります。
1つ目は「無知の知」です。
関根先生は「教育は難しい」とおっしゃっていました。まさにそのとおりだと思います。どうやったら生徒さんの力を伸ばしてあげられるのか、どうしたら生徒さんのモチベーションを維持できるのか、いつも苦労の連続だとおっしゃっています。私も全く同じことを思っています。
ある生徒さんで上手くいった方法でも、生徒さんが違えばうまくいかないことなどざらにあります。
ある学年では上手くいった方法があったとしても、学年が違えばうまくいかない、そんなこともたくさんあります。
勉強の指導に「こうやったら絶対にうまくいく」なんていう方法はない、だから、教育について、ある方法で上手くいったからと、分かった気になって、教える側が学びを止めてしまってはいけない。常に良い方法はないかと、周りの先生や他校の先生、そして時には生徒にも聞いてまわることで学び続けることが大切。
そんなことをおっしゃっていたように思います。
現場に立っていると、これは本当に痛切に感じます。だからこそ、当塾は学年によって、年度によってやり方を変えていきますし、生徒さんによってもやり方を変えていきます。
関根先生と同じく、私もうまくいくときもあればそうでないときもありますが、生徒さんの顔を見ながらやり方を模索していく姿勢は、同じだなぁと思いました。
そしてもうひとつは「表面的に成績が良いだけの生徒ではなく、根っこがしっかりとした生徒を育てたい」という言葉でした。
これこそ、当塾の目指しているところだ、私の言いたいことを代弁してくださった、そんなふうに思った言葉でした。
もちろん塾ですから、成績を上げていくことは大切なことだと思っています。ただ、同じ成績を上げるにしても、そのプロセスが大切だとも考えています。
予想問題ばっかりをやって、表面上の良い成績をとることに価値を置くよりも、不器用でも一から学力を築いていこうとする姿勢を大切にしたいと私も考えています。
ぱっと成績が上がる方法も大切かもしれませんが、自分にどんな勉強が必要か、自分のできることはどんなことなのかを一生懸命考えていく姿勢、それを育てていきたいと思っています。
その差がはっきりするのは、大人になってからではありますが、不器用ながらも粘り強く頑張れた人は、きっと社会に出ても活躍できる、私はそう思っています。
そんな力を育てていくには「非認知能力が大切」というお話も出てきました。折りしも、先日に行われた埼玉栄高校の説明会でも、佐藤校長先生が全く同じことをおっしゃっていました。そして、私も昨年の保護者会で「非認知能力の重要性」については、お話をさせていただいています。
非認知能力、すなわち「やる気・意欲」「粘り強さ・意思力」「リーダシップ」「すぐに立ち直る・上手く対処する」などの能力、言い換えれば「物事に対する態度・姿勢」が学習において重要だということが、最近は方々で聞かれるようになりました。
表面的な学力ではなく、関根先生のいう「精神性の高い生徒」、佐藤先生の言う「骨太の人間」、それは、こういった能力を獲得した人たちのことをさすのだと思います。そして、これからの時代は、こういった人たちがつくっていくといってもいいのかなと思います。
これらの力をつけてもらうには、表面的な対応ではうまくいきません。言葉は多少悪くとも、生徒さんの中にグッと踏み込んでいく何かがなくてはならないと思います。表面的な関係(SNSなども含めた)に慣れた現在の子ども達には、グッと踏み込んでいく指導は、ときに辛くきついことなのかなと思います。しかし、そういった密度の濃い人間関係が何かを変えていくのも事実かなと思います。
今日の関根先生の話も、塾側からすると耳の痛い話ややや厳しいかなと思う言葉をおっしゃることもありました。でも、私はこれらの言葉を心地よく聞いていました。なぜなら、この厳しい言葉の裏には、本当の“愛情”があると感じたからです。
私も周りにはややもすると厳しい言葉を周りの人に発する方がいらっしゃいます。表面的にしか解釈ができないと、厳しいことを言うからキライ、となりそうですが、私にはそうは思えません。その厳しい言葉の裏には、その人に成長してもらいたいという“期待”や“愛情”を感じるからです。
関根先生の言葉の裏にも、そんな真実が隠されているように私には感じました。