連休もあと1日しかない。そんな日はなぜか何も手に付かず、ただただ時間ばかり過ぎていき、「おととい始めておけば…」とか、「あれもやっておきたかった…」などと、後悔ばかりが先にたってしまう。それでもこの休みは、片付けだけを見れば今までより格段に進んだと自分では思っている。
さて、今日はこどもの日である。
兄夫妻が子供を連れてやってきた。
何か話でもあったのだろうと思ったのだが、少し早い母の日ということで、甥っ子は母にカーネーションを持ってきてくれた。そういうことだった。
そうなると「話すことも余りないかな…」と思い、今朝録画した『ちりとてちん』の総集編前編を一緒に観ていた。
今朝リアルタイムで観ながら泣いていたためか、2回目は淡々と観ることができた。それでも時折ぐっとくるシーンがあり、堪えていた。
半年間に渡る放送のどのシーンも観たはずなのに、こんなシーンがあったのかと思い出せないところがいくつかあった。またそのシーンが物語のキーになっていたり、後半につながるポイントだったりと、新たな発見に喜び、涙していた。
下の子が座布団に座り、高座に上がる落語家のまねをしつつ「底~ぬ~け~に~!」のポーズを決める。彼らの感性にもしっかり伝わっていたのだと実感した。
さて、甥っ子たちはこの先も笑って暮らすことはできるだろうか?
いや、彼らの笑顔は僕らにかかっている。
それは、彼らの人生を背負い込むのではなく、素敵な大人となって彼らに手本を示したり、彼らが立ち止まったときにそっと手を差し伸べたり、いろいろな手段が考えられる。
考えるだけではなく、実行できるかが問題だが、そんなことを実行できる大人に、果たして僕はなっているだろうか…
さて、今日はこどもの日である。
兄夫妻が子供を連れてやってきた。
何か話でもあったのだろうと思ったのだが、少し早い母の日ということで、甥っ子は母にカーネーションを持ってきてくれた。そういうことだった。
そうなると「話すことも余りないかな…」と思い、今朝録画した『ちりとてちん』の総集編前編を一緒に観ていた。
今朝リアルタイムで観ながら泣いていたためか、2回目は淡々と観ることができた。それでも時折ぐっとくるシーンがあり、堪えていた。
半年間に渡る放送のどのシーンも観たはずなのに、こんなシーンがあったのかと思い出せないところがいくつかあった。またそのシーンが物語のキーになっていたり、後半につながるポイントだったりと、新たな発見に喜び、涙していた。
下の子が座布団に座り、高座に上がる落語家のまねをしつつ「底~ぬ~け~に~!」のポーズを決める。彼らの感性にもしっかり伝わっていたのだと実感した。
さて、甥っ子たちはこの先も笑って暮らすことはできるだろうか?
いや、彼らの笑顔は僕らにかかっている。
それは、彼らの人生を背負い込むのではなく、素敵な大人となって彼らに手本を示したり、彼らが立ち止まったときにそっと手を差し伸べたり、いろいろな手段が考えられる。
考えるだけではなく、実行できるかが問題だが、そんなことを実行できる大人に、果たして僕はなっているだろうか…