あしたはきっといい日

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ドライブ・マイ・カー

2021-09-25 08:11:26 | 映画を観る

祝日に出掛けることはそんなにはない。買い物くらいは行くけど。たぶん、人混みが好きではないからだろう。休日とは違うのか?と問われてもすぐに答えは出てこないけど、考えた挙句に「祝うこともない」なんて言葉を反射的に発してしまうかもしれない。

そんな祝日に映画を観に出掛けた。

映画『ドライブ・マイ・カー』は、映画祭で賞を獲ったという理由ではなく、霧島れいかさんが出ているからという、自分の中ではスッキリとした理由を掲げて前売券を買っていた。上映館が少なくなっていく中、それでも日比谷の映画館では日に3回上映されていて、ソーシャルディスタンスを確保するため1席ごとの提供となっているとはいえ、この日もあと2回は満席だった。

さて、上映前に入手した情報の中で、霧島れいかさんの次に重要だと思ったのが「上映時間約3時間」だった。当然ながら催す方を心配したのに、なぜか売店で「ウーロン茶L」を注文していた。咳き込んだ時に喉を潤すためだったけど、合わせてお手洗いに行かなかったことを、上映前に多少後悔した。

物語は静かに始まり、静かに進んでいく。そんな中、この作品のタイトルにも通じる車(赤いSAAB900)の独特な、そして存在感を誇示するようなエンジン音が響く。映画を観ながらぼんやりと、僕もその車に同乗しているような感覚がしてくる。ベッドで抱き合っていた夫婦の仕事、そして、家族のことが少しずつ明らかにされていく。10数年夫婦が使い続けてきた車は、夫婦と共に時を過ごしてきた。ドアを開閉する時の軋み音も、後席に乗り込むときのシートの音も、その時を経た証に感じられた。

音。妻の名は音と言った。その声の音は優しくもあり、強く主張してくるような感じもした。霧島れいかさんをキャスティングした理由に彼女の声があったのかな… その声は、夫の心に深い傷を負わせる出来事でもまた、どこか魅力的だった。

その傷を覆い隠すように過ごしてきただろう男は、突然に妻を喪う。そしてその数年後、ある仕事に携わる中で男は再び妻と、妻の思いと向き合う。

途中、3時間ほどの上映時間が気にならなかったとは言わないけど、それよりも、その3時間のドライブは刺激的だった。家福という男が演劇に携わっていることから、映画には舞台の、そして稽古のシーンが多く登場した。そして、車の中での登場人物の会話が、意識的に演劇的な演出を施されているように感じた。そう、小津安二郎的なカット割りも、車内で撮影するという制約があるとはいえ、それをむしろ効果的に利用しているように思えた。

様々なものを失った男は、それでもなお生きていく。ラストシーンの解釈を披露するつもりはないけど、男は歩き続けていくのだろう。ふと、以前観た『トニー滝谷』を思い出した。同じく村上春樹さんの作品をベースにした映画で、イッセー尾形さんの物静かな演技が印象的だった。

僕は、失うことを恐れて手に入れることを避けていた。憧れた人はいたけど、その思いを伝えることで関係が壊れてしまうことを恐れていた。家福という男も、妻の別の姿と対峙することを避けていた。幸せだと言っていた夫婦生活を壊したくなかったのだろう。

過去の選択を悔やんだところで、その時はそれが正しいと思って選択したのだから…と、自分に言い聞かせてみるものの、心の奥ではパズルが上手く嵌っていない。不意に涙が溢れてきたのはそのせいだろうか。

 

冷房の効いた約3時間のドライブを終え夕暮れ少し前の劇場を出ると、昼間の暑さの余韻なのか、空気が生暖かく感じられた。でも、それがどこか心地よく感じられた。淋しくとも、これからも歩いていこう。


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