1月末に訪れた「田中一村展」の会場で購入した『日本のゴーギャン 田中一村伝』を読み終えた。
展覧会で田中一村の作品に触れ、そして、周囲の人たちへの手紙などから、彼の絵に対する執念と言えるような感情に触れた。晩年、その執念を作品に結実したものの、広く評価を受けることなく、生まれた地から遠く離れた南の島で、一人生涯を終えた。その彼の歩みをもっと知りたいと思い、この本を手にした。
幼い頃から絵の才能を認められ、その期待を受け、またその才能を発揮し選ばれし者のみに開かれる絵画の道を歩み始める。けれども、その後に次々と訪れる不運に抗いきれず、その道から外れることを選ぶ。思うに、そのきっかけは不運だったけれども、それがなかったら彼は同期の東山魁夷らのように広く認められる巨匠となりえたのだろうか。不運に見舞われずとも、遅かれ早かれその強い意志により周囲とぶつかり、遅かれ早かれ同じ選択をしたのではないかと。
自分の作品を売ることが「売るための絵を描く」、つまり、買い手に合わせた作品作りに繋がると、彼はその道を歩むことに強く嫌悪した。その彼が、自らの命の終わりが近づいていることを感じ、その作品を周囲の人たちに買い取ってもらう。それは、自分の命を削って描き上げた作品を残すためでもあったろうけど、果たして彼の心はそのことに耐えられたのだろうか。それとも、その時ようやく周囲の期待という呪縛から解かれたのか。
弟の才能が花開くことを願い、弟とともに生涯独り身を通した姉の期待もまた、彼を縛っていたのではないか。きっと彼自身はそんなことを思っていなかったのだろうけど。そして、その姉も彼に縛られていたのだろうと思う。ただ、その言葉を使うと不幸と結びついてしまいかねないけど、彼ら自身は不幸と思うことは決してなかったのかもしれない。いや、幸せか不幸かは本人にしか判断できないし、もっと言えば、幸せであればいいという訳でもない。
50を過ぎ、長く彼を支えてくれた姉から離れ、南の島に向かうことを選んだ。安定を壊したという言葉が彼の気持ちを表すのに適切なものかはわからないけど、その選択が晩年の作品に繋がり、その後、これらの作品が多くの人たちの心に響いている。そのことだけは喜んでいいのだろうと、微笑む死神を想像してみる。
その描かれた地で、その空気を感じてみたい。今すぐは無理だろうけど、いつかきっと。
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