あしたはきっといい日

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明日、ママがいない

2014-03-13 20:20:00 | ドラマにハマる
ドラマ『明日、ママがいない』が昨夜で終わった。

初回を観て、心に残るなにかを感じたので観続けようと思った。すると、番組に対する批判や、そこに輪をかけて野次馬的なコメントが寄せられた。確かにそのように見ればそのように感じるのかもしれない。けれども、観る側の心に訴えるには心に引っ掛かるものがあった方がいい。当然そこには限度があるけど、この作品がその限度を超えていたとは思えない。

心に残るものが何か。それを感じたのはボンビが両親と別れたエピソードだった。自然災害で突然両親と別れなければならなくなった彼女は、両親が見つかっていないということにすがり、想像の世界で自分を守ろうとしていた。

彼女を気遣った魔王が彼女の母と双子のおばに頼み、母としてのメッセージを送るシーンの後、皆とともに父母が眠ってはいないお墓で手を合わせ、その後、おばが本物でないことをわかっていたと話し、現実に向き合おうとしていた。昨夜はジョリピが迎えに来たところで部屋に閉じ籠ってしまったけど、あれは彼女が現実の厳しさを感じ過ぎてしまったからだろう。それでも、ジョリピの優しさが伝わり、彼女は彼らの元へと向かった。

3年前の震災後、親を亡くした子どもたちや子を亡くした親たちの悲しみを思うと共に、僕らが手を差し伸べるより彼らが互いに寄り添っていく方がいいのではと勝手に思っていた。しばらく忘れていたけど、そのボンビの話を観ていたらそんなことを考えていたなと思い出した。

実の親と暮らすのが幸せだというのは疑いない。けれど、何らかの理由で親と暮らすことができなくなった子どもたちにも幸せに暮らす機会はあっていい。いや、あるべきだと思う。このドラマでは実の親と再び暮らすことになったピア美と、里親に引き取られたボンビやドンキ。そして、魔王を父に選んだポスト。それぞれが自分の居場所を見つけ、コガモの家には誰もいなくなった。それが、このドラマが描いたハッピーエンドだった。

きっとこのドラマを観た人たちはいろいろ考えたと思う。僕と同じように感じた人も少なくないだろう。そう、考えることから始めなければと思う。考えることを忘れ、現状を肯定しているだけでは前に進むことはできない。

今を生きる子どもたちと、悩みを抱える大人たちに、このドラマが与えてくれたものは大きい。そんなことを考えながら、明日も歩いていこう。

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