平成29年2月13日(月)、朝早くから飛行機の出発時刻まで、島内を歴史・文化を中心に散策した。八丈島は、流人の島と言われており、送られた流人は、慶長11(1606)年の宇喜多秀家主従が最初で、明治4(1871)年までの約265年間に約1900人だったそうだ。
❶宇喜多秀家公と豪姫の碑(バックは八丈富士)
❷陣屋跡の玉石垣
❸高倉(高温多湿とネズミの害を防ぐ貯蔵庫)
江戸末期頃に建てられたもの
❹ビロウヤシの「八丈中央道路」
❺タブノキ・ヒサカキ
八丈富士の階段沿いに多くあって気になった木。樹皮が八丈島の伝統工芸品「黄八丈」の染料に使われているタブノキ、燃やした灰が媒染に使われているヒサカキ。
往路は竹芝桟橋から10時間半かかったが、復路は45分で羽田空港に着いた。(八丈島空港から八丈富士を望む)