ふるさとの山歩き、樹木、カメラ、家庭菜園の日記

山歩き・歴史の散歩・樹木観察・デジタル一眼レフ・家庭菜園などの活動記録です。

野村望東尼終焉の宅と墓

2016年12月27日 | 歴史の散歩

 平成28年12月25日(日)、防府駅の南にある桑山公園近くの野村望東尼(のむら ぼうとうに)終焉の宅を訪ねた後、10分くらい歩いて、桑山南麓の共同墓地内にある墓にお参りをした。野村望東尼は女流歌人で、勤王志士と交流し、高杉晋作の介護、最期を看取った人物である。
    


  
 
晋作が詠んだ辞世の上の句に、望東尼が下の句をついでいる。この経緯が、司馬遼太郎「世に棲む日々」で、次のように書かれている。

〔慶応3年(1867年)4月14日未明〕晋作は、筆を要求した。枕頭にいた野村望東尼が紙を晋作の顔のそばにもってゆき、筆をもたせた。晋作は辞世の歌を書くつもりであった。ちょっと考え、やがてみみずが這うような力のない文字で、書きはじめた。『おもしろき こともなき世に おもしろく』とまで書いたが、力が尽き、筆を落としてしまった。・・・・
望東尼は、晋作のこの尻きれとんぼの辞世の句に下の句をつけてやらねばと思い、『すみなすものは 心なりけり』と書き、晋作の顔の上にかざした。望東尼の下の句は変に道歌めいていて晋作の好みらしくはなかった。しかし晋作はいま一度目をひらいて「面白いのう」と微笑し、ふたたび昏睡状態に入り、ほどなく脈が絶えた。

 (東行庵の石碑)

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