2022年1月17日(月)、江戸時代に江戸と長崎を結ぶ主要な道路だった「西国街道」の大竹市内の一部区間を歩いた。大竹市には先月登った行者山や三倉岳など山歩きで訪れることはあるが、言わば通過地。今回、初めてゆめタウンを起点にぐるりと約4.3km、じっくり時間をかけて散策した。亀居城跡は、山陽自動車道からちらっと見るくらいで、関心を持ったことがなかったが、素晴らしい石垣を見て、来てよかったと思った。
氅(けごろも)の碑
松尾芭蕉が1694年に没した後、芭蕉の150回忌(1843年)に、小方村の俳人たちが句碑にして建立した。
「氅につつみて ぬくし 鴨の足」(鴨の足はふっくらした毛に包まれて温かそうだなあ~)
和田家の長屋門
人家に見えるが、門。和田家は、江戸時代を通して、庄屋を務め、また佐伯郡11村束ねる割庄屋だった功績などにより「長屋門」が許された。
街道沿いは当時の町屋の面影が今も残っていた。
厳(いつき)神社
650年前から存在し、地域の氏神信仰の中心となっている。安芸の宮島と同じ、大竹市最大の石造り「両部鳥居」らしい。
西念寺の砲弾跡
第二次長州戦争(1866年)において、西念寺は、長州軍の前線基地として本陣が置かれた。そのため、幕府軍の艦砲射撃の標的となり、本堂の梁を支える肘木(ひじき、柱の上にあって上部構造を支える横木)に破損の跡が残っている。境内のクスノキは、樹齢約400年。
亀居城跡
関ケ原の合戦後、芸備2か国与えられた福島正則が築いた6つの支城のひとつ。1603年に築城が開始され、5年後の1608年に完成、その3年後の1611年に一国一城令で廃城となった。
大竹市出身の作詞家石本美由紀の直筆の歌碑「詩の坂道」を見ながら巡った。遠い昔聴いた懐かしい歌詞だが、出足の1フレーズしか歌えなかった。①柿の木坂の家(青木光一)②矢切の渡し(細川たかし)③悲しい酒(美空ひばり)ほか
本丸から、大竹のコンビナートや沖合いに阿多田島(正面)・大黒神島(その左)など瀬戸内の島々を眼下に一望した。
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