平成28年9月1日(木)~2日(金)、桂小五郎と伊藤俊輔の旧宅を訪ねた。桂小五郎(木戸孝允)は、西郷隆盛・大久保利通と並ぶ「維新の三傑」。坂本龍馬の仲介で、薩長同盟を締結するなど明治維新の立役者。伊藤俊輔(博文)は、初代・5代・10代の内閣総理大臣。
司馬遼太郎の「世に棲む日日」には、伊藤俊輔が明治新政府の中枢に成り得た、二つのターニングポイントが書かれている。
⒈ 無謀な攘夷戦争を止めさようと、長州藩ファイブの一人として行った留学先のロンドンから、井上聞多と留学を取り止めて帰国し、戦争回避の活動をしたこと。⒉高杉晋作の功山寺挙兵の際、奇兵隊総督赤根武人や、軍監山縣狂介(有朋)は猛反対したが、晋作と生死をともにしようという捨身の決意をして、高杉晋作のもとに真っ先にかけつけたこと。
そして、木戸孝允との関係は、次のように書かれている。伊藤の若いころは、1個の英雄崇拝者で、最初は桂小五郎のあとをくっついて歩き、高杉晋作のイギリス公使館焼き討ちに参加し、維新後は薩摩の大久保利通の尻につき、木戸孝允を不愉快にさせた。
伊藤博文の像は、萩焼で出来ているそうだ。