ふるさとの山歩き、樹木、カメラ、家庭菜園の日記

山歩き・歴史の散歩・樹木観察・デジタル一眼レフ・家庭菜園などの活動記録です。

断崖に映える朱色の鳥居「元乃隅稲荷神社」❣️

2016年09月09日 | 旅行

    平成28年9月9日(金)、人気スポット「元乃隅稲荷神社(もとのすみいなりじんじゃ)」を長門市油谷に訪ねた。米CNNテレビの「日本の最も美しい場所31選」に選ばれた、日本海に面した断崖の123基の鳥居。海と空の青、岩場のモノトーン、周辺の緑とコントラストをなす鳥居の朱。1基ずつ、手作業で、「ひふみ歌」に合わせて建てられたそうだ。参拝客が急増し、朱も新たに上塗りされたのか、一段と鮮やかだった。

       

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三田尻御舟倉跡と御茶屋‼️

2016年09月06日 | 歴史の散歩

    平成28年9月6日(火)、三田尻御舟倉跡と御茶屋を訪ねた。御舟倉は、萩藩の水軍の本拠地。藩主が乗る御座船や数多くの軍船が常置されていた。海岸に面していたとのことだが、今は干拓によって一帯が陸地化し、当時の面影を全く残していない。

  御茶屋(英雲荘)は萩藩の公館で、藩主の参勤交代時や賓客の迎賓に使用され、三条実美ら七卿も滞在し、多くの志士が訪れたそうだ。約53kmある萩往還の終点であり、歴史上需要な役割を果たした建物である。

       

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桂小五郎と伊藤俊輔の旧宅‼️

2016年09月03日 | 歴史の散歩

   平成28年9月1日(木)~2日(金)、桂小五郎と伊藤俊輔の旧宅を訪ねた。桂小五郎(木戸孝允)は、西郷隆盛・大久保利通と並ぶ「維新の三傑」。坂本龍馬の仲介で、薩長同盟を締結するなど明治維新の立役者。伊藤俊輔(博文)は、初代・5代・10代の内閣総理大臣。

司馬遼太郎の「世に棲む日日」には、伊藤俊輔が明治新政府の中枢に成り得た、二つのターニングポイントが書かれている。

⒈  無謀な攘夷戦争を止めさようと、長州藩ファイブの一人として行った留学先のロンドンから、井上聞多と留学を取り止めて帰国し、戦争回避の活動をしたこと。⒉高杉晋作の功山寺挙兵の際、奇兵隊総督赤根武人や、軍監山縣狂介(有朋)は猛反対したが、晋作と生死をともにしようという捨身の決意をして、高杉晋作のもとに真っ先にかけつけたこと。

   そして、木戸孝允との関係は、次のように書かれている。伊藤の若いころは、1個の英雄崇拝者で、最初は桂小五郎のあとをくっついて歩き、高杉晋作のイギリス公使館焼き討ちに参加し、維新後は薩摩の大久保利通の尻につき、木戸孝允を不愉快にさせた。

   

伊藤博文の像は、萩焼で出来ているそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

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松下村塾門下「四天王」の生誕地と墓地‼️

2016年09月02日 | 歴史の散歩

   平成28年9月1日(木)~2日(金)、若き命を散らした維新の先駆者たちの生誕地と墓地を訪ねた。松下村塾には、日々20~30人の塾生が集まり、総数は約90人。そのうち、高杉晋作と久坂玄瑞の二人が「双璧」あるいは「龍虎」と呼ばれ、これに吉田稔麿と入江九一を加え「四天王」と称される。いずれも明治維新を見ることなく世を去った。入江九一を除く、四天王の生誕地と墓地を訪ねた。墓は、いずれも松陰の墓のすぐ近くに建つ。

        

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