先日テレビで『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』をしました。映画館で観たし、ビデオも観たし、もういいか、9時からなんて観られそうもないし、と思っていたのですが、こどもに誘われて途中から見始めたのに目はすっかりくぎ付け 久しぶりに見るアラゴロルンに心は
この『王の帰還』がスメアゴルの人間時代、つまり指輪を見つけたところで始まるというのはとても暗示的だと思います。卑劣なことをしでかしても心底彼を憎めず、どこか哀れを感じてしまうのは、人間誰しも持っている良心と誘惑に負けそうになる弱い心の間で彼が揺れ動いているからでしょうか。彼もまたフロドと同じ指輪の犠牲者。一番指輪に執着していたのはきっと彼だったのでしょう。だから指輪とともに火口に落ちていった彼は、ある意味幸せだったのかもしれませんね。
この映画で私が個人的に好きな場面があります。ひとつはゴンドールがローハンに援軍を求めるために烽火をあげる場面。今のように携帯電話もなく電報すらない時代に、援軍を必要とするときのなんとシンプルな伝達方法!その烽火は雪を抱いた山々の頂に次々と点火されていきます。そしてその烽火を見たアラゴルンはローハンのセオデン王に告げ、王は援軍を送ることを決心するのです。
はじめてこのシーンを観たときとても感動しました。約束を守るため、いつ烽火があがるかわからないのに、律儀にも山の頂に兵士が常駐しているということに。そしてとうとうその日がやってきてしまい、ゴンドールからローハンへと次々灯されていく烽火は、まるで希望の灯のようでした
そしてもうひとつはペレンノール野でサウロン軍と激突したとき、セオデン王に襲いかかるナズグルの首領アングマールの魔王にエオウィンが立ち向かう場面。人間の男に自分を殺すことはできないとせせら笑う魔王に、兜を脱ぎ金髪をなびかせて「私は女」と叫んでメリーとともに魔王を倒すところは思わず拍手
アラゴルンにふられたりして少しかわいそうな役どころのエオウィンですが、戦士の格好をしてメリーと戦場に赴いたりと意外に気が強そうで、私ならはかなげなアルウェンよりエオウィンを選ぶのになあ、と思ってしまいました。でもファラミアとうまくいくみたいだし、めでたし、めでたし
アラゴルンはどこもかしこも素敵でしたね 最初の頃のどこの馬の骨だかわからんヤツではなくて、王位の継承者としての威厳とかオーラみたいなのがでてきました。特に死者の道を行き死者に招集ををせまる場面とか、死者を引きつれ海賊船から飛び降りる場面とか、かっこイイ・・・
ただ私としては暴れまわってる(?)アラゴルンが好きなので、髪にくしをいれて王様の衣服を身にまとい、アルウェンと幸せそうに並んでいる彼にはやや興ざめ・・・。いや、別にいいんですけどね。彼もやっと手にした幸せなんだし・・・
『ロード・オブ・ザ・リング』は何度観ても、というか、観るたびにこの映画の素晴らしさを実感して、いつもうるうるしてしまうのですが、それはやはり原作の重みなのでしょうか。原作に忠実に作られ、しかも原作よりわかりやすく、凝縮した形で観るものにダイレクトに訴えてきます。
指輪の重みに耐えかねるフロドを支えるサム。
フロドをサウロンの目からそらすために勝ち目のない戦いに挑むアラゴルン。
そのアラゴルンと運命をともにしようとするレゴラスとギムリ。
そう、『指輪物語』の登場人物は自分のためではなく、使命あるいは友を救うために行動するのです。犠牲とか献身とはまた違う、う~んやっぱり友情ということになるのでしょうか。「あなたの重荷は担えませんが、あなたを背負うことならできます」とフロドを背負うサムの姿にはやはり泣けてきます
光と闇、善と悪、人間の強さと弱さなど、この物語にはいろんな要素が含まれています。そしてサウロンは滅びるけれど、けっしてすべてハッピーエンド、という終わり方にはなっていません。一度指輪と関わってしまったフロドは、ホビット庄にもどっても以前のように幸せを感じることはできず、エルフやビルボとともに灰色港から旅立ちます。そして第三期が終わりを告げ、指輪の時代も過ぎ去ってしまうわけです。
悪をやっつけて、王が即位してハッピーエンド、で終わらないところに、この物語の重みや深みを感じます。命がけで使命を果たした主人公が、最後で幸せになるとはかぎらないというのは、これが単なる冒険物語やおとぎ話ではないからなのでしょう。そんなところに、オバサンとしては人生の哀愁を感じてしまいました。
この『王の帰還』がスメアゴルの人間時代、つまり指輪を見つけたところで始まるというのはとても暗示的だと思います。卑劣なことをしでかしても心底彼を憎めず、どこか哀れを感じてしまうのは、人間誰しも持っている良心と誘惑に負けそうになる弱い心の間で彼が揺れ動いているからでしょうか。彼もまたフロドと同じ指輪の犠牲者。一番指輪に執着していたのはきっと彼だったのでしょう。だから指輪とともに火口に落ちていった彼は、ある意味幸せだったのかもしれませんね。
この映画で私が個人的に好きな場面があります。ひとつはゴンドールがローハンに援軍を求めるために烽火をあげる場面。今のように携帯電話もなく電報すらない時代に、援軍を必要とするときのなんとシンプルな伝達方法!その烽火は雪を抱いた山々の頂に次々と点火されていきます。そしてその烽火を見たアラゴルンはローハンのセオデン王に告げ、王は援軍を送ることを決心するのです。
はじめてこのシーンを観たときとても感動しました。約束を守るため、いつ烽火があがるかわからないのに、律儀にも山の頂に兵士が常駐しているということに。そしてとうとうその日がやってきてしまい、ゴンドールからローハンへと次々灯されていく烽火は、まるで希望の灯のようでした
そしてもうひとつはペレンノール野でサウロン軍と激突したとき、セオデン王に襲いかかるナズグルの首領アングマールの魔王にエオウィンが立ち向かう場面。人間の男に自分を殺すことはできないとせせら笑う魔王に、兜を脱ぎ金髪をなびかせて「私は女」と叫んでメリーとともに魔王を倒すところは思わず拍手
アラゴルンにふられたりして少しかわいそうな役どころのエオウィンですが、戦士の格好をしてメリーと戦場に赴いたりと意外に気が強そうで、私ならはかなげなアルウェンよりエオウィンを選ぶのになあ、と思ってしまいました。でもファラミアとうまくいくみたいだし、めでたし、めでたし
アラゴルンはどこもかしこも素敵でしたね 最初の頃のどこの馬の骨だかわからんヤツではなくて、王位の継承者としての威厳とかオーラみたいなのがでてきました。特に死者の道を行き死者に招集ををせまる場面とか、死者を引きつれ海賊船から飛び降りる場面とか、かっこイイ・・・
ただ私としては暴れまわってる(?)アラゴルンが好きなので、髪にくしをいれて王様の衣服を身にまとい、アルウェンと幸せそうに並んでいる彼にはやや興ざめ・・・。いや、別にいいんですけどね。彼もやっと手にした幸せなんだし・・・
『ロード・オブ・ザ・リング』は何度観ても、というか、観るたびにこの映画の素晴らしさを実感して、いつもうるうるしてしまうのですが、それはやはり原作の重みなのでしょうか。原作に忠実に作られ、しかも原作よりわかりやすく、凝縮した形で観るものにダイレクトに訴えてきます。
指輪の重みに耐えかねるフロドを支えるサム。
フロドをサウロンの目からそらすために勝ち目のない戦いに挑むアラゴルン。
そのアラゴルンと運命をともにしようとするレゴラスとギムリ。
そう、『指輪物語』の登場人物は自分のためではなく、使命あるいは友を救うために行動するのです。犠牲とか献身とはまた違う、う~んやっぱり友情ということになるのでしょうか。「あなたの重荷は担えませんが、あなたを背負うことならできます」とフロドを背負うサムの姿にはやはり泣けてきます
光と闇、善と悪、人間の強さと弱さなど、この物語にはいろんな要素が含まれています。そしてサウロンは滅びるけれど、けっしてすべてハッピーエンド、という終わり方にはなっていません。一度指輪と関わってしまったフロドは、ホビット庄にもどっても以前のように幸せを感じることはできず、エルフやビルボとともに灰色港から旅立ちます。そして第三期が終わりを告げ、指輪の時代も過ぎ去ってしまうわけです。
悪をやっつけて、王が即位してハッピーエンド、で終わらないところに、この物語の重みや深みを感じます。命がけで使命を果たした主人公が、最後で幸せになるとはかぎらないというのは、これが単なる冒険物語やおとぎ話ではないからなのでしょう。そんなところに、オバサンとしては人生の哀愁を感じてしまいました。