ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

突然の便り

2006-04-20 | 日々のこと。
それは昨日の昼休みにかかってきた一本の電話でした
「・・・○○(私の名前)さんですか?私、大学で同じサークルにいた△△ですけど・・・」
正直言って一瞬「えっ!?」と、とまどいました。大学のサークルなんて、二十年以上前のこと。もう長い間記憶の奥底に埋もれていたことなのに、彼女の言葉に突然いろんな思い出が怒涛のように甦り・・・「ええ~っ!!」

なつかしい、と感じる前にまず緊張してしまいました。数年前、なつかしい友達から電話があったと思ったら、学生時代の親友の訃報の知らせだったから・・・。
でも今度は違いました。驚いたことに同窓会のお知らせ わざわざ実家に電話をして今の連絡先を尋ねてくれたとのこと。今度こそ、なつかしさがじわ~っと湧き上がってきました

私は女子大にいたのですが、サークルはひょんなことから近くのK大に所属していました。土曜日、授業が終わると今は亡き友達とK大に通ったものです。あのころはまだ京都にも路面電車が走っていたような・・・。そんな遠い、遠い日(いや、ほんまに、すごい昔みたい)。

当時の私は、ちゃらちゃらした男の子に嫌気がさしていたので、そのサークルの気骨がある(ようにみえた)男の子たちがとても新鮮に映りました。もともと3人姉妹の末っ子で、中学・高校と気心の知れた数人の男の子としか話さなかったような私には、飲んで討論したり挙句のはてに殴り合いになる、という状況はかなりカルチャーショックだったのです。

そのサークルに所属していたのは正味1年数ヶ月ぐらいでしたが、とてもとても中身の濃い時期でした。たぶん、これが青春と呼べる時期だったんだろうなあ・・・(遠い目)。

そのころ好きだったさだまさしの曲に「主人公」というのがあります。

地下鉄の駅の前には「62番」のバス
鈴懸並木の古い広場と学生だらけの街
そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる
あなたの眩しい笑顔と
友達の笑い声に
抱かれて 私はいつでも
必ずきらめいていた

ある土曜日の午後、みんなで昼食を食べに行った帰り道ふとこの歌を思い出し、いつかこんなふうに今日のことをなつかしく思い出すことがあるんだろうなあ、と思ったことがあります。今、あのときの風景やみんなの笑い顔や、風のにおいまで思い出せそう。なつかしいなあ・・・。


結婚して「誰々さんの奥さん」とか「何々ちゃんのお母さん」という立場になると、“喜び”とか“幸せ”というものが、自分の、というより家族のことでそう感じることが多くなりますよね。子どもが初めて歩いた、賞をもらった、病気が治った、仕事がうまくいった、というふうに。だから喜びや幸せが倍になって感じられる、というのはわかるのですが、じゃあ、自分個人のことで喜びや幸せを感じたことは?というと・・・。家族のことをのぞくと、たいしてないような気がするのです。
せいぜいおもしろい本を読んだ、とか、焼きたてのパンとおいしい紅茶で幸せ、とか(まあこの程度で幸せを感じられるわけですが)。それだって家族が健康で、何事もないからそんなささいなことでも幸せに感じられたりするわけです。

あのころはただ単純に自分のことで喜んだり、悲しんだりしていました。友達といろんな話をしたり、旅行したり、失恋したり、気に入った絵が描けたり、そんなことで一喜一憂していた自分が、なんだか愛しいなあと思います。
そして今、家族が一番大切なのは言うまでもないけれど、少し物足りなさも感じています。そろそろ自分自身の楽しみも見つけないとね。

ところで同窓会ですが。とてもとても楽しみではあるのですが、みんながどんなふうになっているのかを知るのはちょっと不安・・・ いや、私も他人のことは言えません。白髪は増えたし、ウエストはなくなるし とりあえずはダイエット、でしょうね。



コメント
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