せっかくの連休なのに子どものクラブが毎日のようにあって、ほとんど普段と変わらない生活でした
お天気がよかったので(やっと暖かく、いや暑くなった)セーターの洗濯に冬物のかたづけ、めったにしない()拭き掃除。連休といっても主婦は忙しいんですよね・・・。
せめて最近なかなか観ることができないビデオでも見ようか、ということになりました。近くのレンタルショップは旧作なら1本100円なので、以前はまとめて借りてよく見ていたのですが、朝が早くなってからビデオもDVDもほとんど見てません
で、借りてきたのが『デイ・アフター・トゥモロー』と『ネバーランド』。
『ネバーランド』はもちろん、ジョニー・デップ目当て
ところが見ているうちに、思いもかけず涙が止まらなくなってしまったのです これって、こんなに泣く映画だったの?
悲しい、とか、感動した、というのとは少し違う、どこか琴線に触れてしまったのでしょうねえ・・・。
ストーリーは簡単にいうと、劇作家のジェームズ・バリが公園で未亡人シルヴィアと4人の息子たちに出会い、親交を深めるうちに子どもたちから刺激を受け『ピーターパン』を書き上げる、というものです(実話らしい)。
そこに妻とのぎくしゃくした関係や、シルヴィアへの想い、三男ピーターの心の傷などが織り込まれています。
映画の始まりのシーンからユーモアとセンスが感じられ、すっかり引き込まれてしまいました。とにかく映像が美しく、公園や田園風景はまるで絵画のようでした。子どもたちと遊ぶジョニー・デップのお茶目ぶり、当時の劇場の様子、病気のシルヴィアのために自宅にこしらえた舞台のネバーランドの幻想的な風景など見どころはいっぱい。
バリが子どもたちと遊ぶシーンで、現実と空想の世界が交互に描写されているところがとてもうまくできていて、ああ、子どもたちの世界ではこんなふうに見えるんだろうなあ、とうらやましくなりました。
バリとシルヴィアの関係も、不倫という薄汚れた言葉が不似合いなもので、きれい事すぎるといえばそうかもしれませんが、この映画にはふさわしいように思えました。ただ個人的にシルヴィア役のケイト・ウィンスレットがもひとつかな、とかんじましたが(彼女は気が強そうで)。
ダスティン・ホフマンが興行主役で出ていて、びっくりしました。最初は気づかなくて、まさかなあ、と思っていたのですが、こんなところに『フック』の彼をもってくるとはニクイですね。
シルヴィアの母親が“社交界で有名なデュ・モーリエ夫人”ということで、『レベッカ』の作者のデュ・モーリアと関係があるのかな?ちょっと気になりました。このお母さん、けっこう躾の厳しいコワイ人なのですが、一瞬手の先がフックの鉤爪になって笑えました。こういう細かいところにも遊びがあっておもしろかったです。
「ピーターパン」というと、どうしてもディズニーの映画を思い浮かべてしまうのですが、本当の「ピーターパン」は全く違うイメージの話なんですね。
この映画も単純におとぎの国、夢の国が「ネバーランド」だというふうには描いてありません。それでも「ピーターパン」の初日にバリが孤児院の子どもたちを招待していて、子どもたちが楽しんで見ているシーンに胸が打たれ、涙がはらはらと流れてきました。
このあたりから少しヤバイな~と思いながら見ていたのですが、ピーターパンが死にかけているティンクを救うため、「妖精を信じるなら手をたたいて」と訴えるシーンで、真っ先に拍手をしたのが意外にもあのシルヴィアのお母さんだったところでもう、 。
(これって『新選組!』で近藤勇が刑場に向うとき、いつもこわかった義母のふでさんが「近藤勇、よくがんばりました!」と声をかけたときにだだ泣きだった状況とよく似ている)
少年はいつか大人になっていきます。この映画でも“少年が大人になる瞬間”をうまく描いていて、必ずしも大人になることを否定しているわけではありません。大人になっても信じる力があれば、いつでも少年に戻れるよ、とでも言っているのでしょうか。
大人にならない少年の物語が「ピーターパン」ならば、ネバーランドというのは一体どこなのでしょう?
この映画にはさりげなく“死”がちりばめられています。子どものときに死んでしまったバリの兄、芝居を観にきてくれていたスノウ氏、ピーターの父親、そして最後にシルヴィアも旅立ってしまうわけです。
自宅にこしらえたネバーランドへ、シルヴィアが足を踏み入れ画面がフェイドアウトした次のシーンが彼女のお葬式の場面というのも暗示的でした。
この映画はツボにはまってしまう人と、そうでない人とでは感想が全く違ってくるのかもしれません。すんなりこの世界に入れなければ退屈なだけかも・・・。
感動して見ていた長女と私に、おとーさんが眠そうに言いました。
「それで誰がピーターパンやったん?」
お天気がよかったので(やっと暖かく、いや暑くなった)セーターの洗濯に冬物のかたづけ、めったにしない()拭き掃除。連休といっても主婦は忙しいんですよね・・・。
せめて最近なかなか観ることができないビデオでも見ようか、ということになりました。近くのレンタルショップは旧作なら1本100円なので、以前はまとめて借りてよく見ていたのですが、朝が早くなってからビデオもDVDもほとんど見てません
で、借りてきたのが『デイ・アフター・トゥモロー』と『ネバーランド』。
『ネバーランド』はもちろん、ジョニー・デップ目当て
ところが見ているうちに、思いもかけず涙が止まらなくなってしまったのです これって、こんなに泣く映画だったの?
悲しい、とか、感動した、というのとは少し違う、どこか琴線に触れてしまったのでしょうねえ・・・。
ストーリーは簡単にいうと、劇作家のジェームズ・バリが公園で未亡人シルヴィアと4人の息子たちに出会い、親交を深めるうちに子どもたちから刺激を受け『ピーターパン』を書き上げる、というものです(実話らしい)。
そこに妻とのぎくしゃくした関係や、シルヴィアへの想い、三男ピーターの心の傷などが織り込まれています。
映画の始まりのシーンからユーモアとセンスが感じられ、すっかり引き込まれてしまいました。とにかく映像が美しく、公園や田園風景はまるで絵画のようでした。子どもたちと遊ぶジョニー・デップのお茶目ぶり、当時の劇場の様子、病気のシルヴィアのために自宅にこしらえた舞台のネバーランドの幻想的な風景など見どころはいっぱい。
バリが子どもたちと遊ぶシーンで、現実と空想の世界が交互に描写されているところがとてもうまくできていて、ああ、子どもたちの世界ではこんなふうに見えるんだろうなあ、とうらやましくなりました。
バリとシルヴィアの関係も、不倫という薄汚れた言葉が不似合いなもので、きれい事すぎるといえばそうかもしれませんが、この映画にはふさわしいように思えました。ただ個人的にシルヴィア役のケイト・ウィンスレットがもひとつかな、とかんじましたが(彼女は気が強そうで)。
ダスティン・ホフマンが興行主役で出ていて、びっくりしました。最初は気づかなくて、まさかなあ、と思っていたのですが、こんなところに『フック』の彼をもってくるとはニクイですね。
シルヴィアの母親が“社交界で有名なデュ・モーリエ夫人”ということで、『レベッカ』の作者のデュ・モーリアと関係があるのかな?ちょっと気になりました。このお母さん、けっこう躾の厳しいコワイ人なのですが、一瞬手の先がフックの鉤爪になって笑えました。こういう細かいところにも遊びがあっておもしろかったです。
「ピーターパン」というと、どうしてもディズニーの映画を思い浮かべてしまうのですが、本当の「ピーターパン」は全く違うイメージの話なんですね。
この映画も単純におとぎの国、夢の国が「ネバーランド」だというふうには描いてありません。それでも「ピーターパン」の初日にバリが孤児院の子どもたちを招待していて、子どもたちが楽しんで見ているシーンに胸が打たれ、涙がはらはらと流れてきました。
このあたりから少しヤバイな~と思いながら見ていたのですが、ピーターパンが死にかけているティンクを救うため、「妖精を信じるなら手をたたいて」と訴えるシーンで、真っ先に拍手をしたのが意外にもあのシルヴィアのお母さんだったところでもう、 。
(これって『新選組!』で近藤勇が刑場に向うとき、いつもこわかった義母のふでさんが「近藤勇、よくがんばりました!」と声をかけたときにだだ泣きだった状況とよく似ている)
少年はいつか大人になっていきます。この映画でも“少年が大人になる瞬間”をうまく描いていて、必ずしも大人になることを否定しているわけではありません。大人になっても信じる力があれば、いつでも少年に戻れるよ、とでも言っているのでしょうか。
大人にならない少年の物語が「ピーターパン」ならば、ネバーランドというのは一体どこなのでしょう?
この映画にはさりげなく“死”がちりばめられています。子どものときに死んでしまったバリの兄、芝居を観にきてくれていたスノウ氏、ピーターの父親、そして最後にシルヴィアも旅立ってしまうわけです。
自宅にこしらえたネバーランドへ、シルヴィアが足を踏み入れ画面がフェイドアウトした次のシーンが彼女のお葬式の場面というのも暗示的でした。
この映画はツボにはまってしまう人と、そうでない人とでは感想が全く違ってくるのかもしれません。すんなりこの世界に入れなければ退屈なだけかも・・・。
感動して見ていた長女と私に、おとーさんが眠そうに言いました。
「それで誰がピーターパンやったん?」