ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

ちっちゃな世界

2007-01-16 | 日々のこと。
先日NHKで放送された「ターシャからの贈りもの」で、彼女の手づくりのドールハウスを見たあと引っぱり出してきたのがこれ↓



少しわかりづらいですが、我が家のドールハウスです(これは長女の分で、ハウスはシルバニアのお家ですが)。

日本ではいつ頃からドールハウスの人気が出始めたのでしょう。
かつて(一応)女の子だった私は、お人形というよりちっちゃなものたちに興味を持っていました。
雛人形の調度品、ドールハウスの雑貨や台所用品、紙粘土でできた小さな食品のコレクションなど、見ているだけでわくわく

幸い我が家は女の子ふたりを授かったので、半分は子どもたちのため、半分は自分の楽しみのために、大きな顔をしてちっちゃな小物を買い集めることができました
さすがに何万もするドールハウスは買えませんでしたが、誕生日になると、そのころ町にできた木のおもちゃ屋さんへ行き、子どもの好きな小物をプレゼントするのでした。
そんな品々がこれ↓



でも、小さいといってもバカにならない値段なんですよね~。
これなんて、ちゃんとホーローでできています。マッチ棒と比較すると大きさがわかるでしょ?



端のほうに見えてるベッドと机と椅子は、おとーさんがかまぼこ板でこさえたものです。まだ子どもたちが小さいとき、枕とお布団を縫って、紙粘土で食器や食べ物をつくり、クリスマスの夜こっそり子ども部屋に置いておいたら翌朝大喜びでした。



我ながらよくこんなちっちゃな物↑をつくったものです。

子どもたちは今でも大切に持ってくれています。
写真を撮るために出してもらったら、長女がなつかしそうに
「このベッドと机、おとうさんが紙やすりで磨いているのを、私そばで見てたんやけど・・・」
ということは、子ども心にサンタさんのプレゼントのふりをしてくれてたわけ
知らぬは親ばかりなり・・・だったようです
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ゆったりと流れる時間

2007-01-14 | 観ること。
最近あまりテレビ番組を見なくなったのですが、たまに見たい番組があると、家族を巻き込んで大騒動になります。まず「お母さん、今晩○○観るからね!」と宣言。空間(つまりテレビを見る部屋)と時間を確保します。
この調子で、年末の「ロード・オブ・ザ・リング」と「有頂天ホテル」はなんとか観ることができました。

でも、これは「たまに」だからできること。しょっちゅうだと「え~、また~」ってことになって、家族に協力してもらえません。年末、実はもうひとつ見たい番組があったのですが、これはさすがにビデオに録画することにしました(大騒ぎした「ロード・オブ・ザ・リング」の翌日だったので)。
でも、ビデオに録画しても、結局見ずじまいってことが多いのですよね。今回もなかなか見る時間がなかったですが、昨夜遅くまでかかってようやく見ることができました。

その番組とは「ターシャからの贈りもの~魔法の時間のつくり方」。
そう、あこがれのターシャ・テューダーの番組です。
絵本作家であるターシャのことは以前から知っていましたが、おととし放送された番組「四季の庭」でターシャの暮らしを見て、すっかりファンになってしまったのです。

今回は庭の素晴らしさだけでなく、ターシャの絵本やドールハウス、季節の行事、特にクリスマスの様子などが映し出されていました。
まるで、時の流れが止まったかのようなターシャの暮らしぶり。庭でとれた蜜でロウソクをつくり、バースデーケーキには庭の花を飾り、子どもや孫、ひ孫に囲まれてのクリスマスの準備。
日頃の慌ただしさも、すっかり慣れてしまった便利な生活も忘れ、私もターシャの過ごすゆったりと流れる時間に、身をおいているようなそんな気になります。

今回印象に残ったのは、ターシャが子どもたちのために季節の行事を楽しんでいた様子でしょうか。誕生日も、イースターも、クリスマスも、ターシャのちょっとした思いつきで、子どもたちには驚きに満ちた素敵な思い出になるのです。そんな子ども時代をすごせた人は幸せでしょうね。

そして興味深かったのは、ターシャの作ったドールハウス。
本で見たことはありましたが、ドールハウス好きの私には人形や家具、小物を画面で見ることができて、もう、うっとり
ああ、私もこんなドールハウス、欲しかったなあ・・・。

久しぶりにターシャの暮らしぶりを見て、いろいろなことを感じました。
あんな素敵な生活はとてもできそうにないけど、彼女だって最初っからそうだったわけではなく、息子のセスが言うようにずっと努力されてきたのです。自分のやりたいこと、夢に向かって。
美しい庭には誰しも憧れるけれど、その庭を維持しつけることはとても大変だろうし、昔ながらの生活を続けるのだって、時間も労力もいります。バーモントの四季は美しいけれど、長い冬の雪の閉ざされた生活は厳しいでしょう。
でも、それも心の持ちようひとつで楽しくなるんだ、ということをターシャは教えてくれるのです。長い冬だからこそ人はクリスマスを楽しみ、春の訪れを喜ぶのでしょう。そんな思いが、季節の行事を楽しむターシャに表れているようです。

人生は短いから、楽しまなくっちゃ。
ターシャからそう言われると、思わず「そうだよね~」って元気が出そう。

大きな庭も、相手をしてくれるコーギー犬もないけれど、せめて熱い紅茶を飲んでゆったり流れる時間だけは、日々見出したいものです

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色を紡ぐ人

2007-01-12 | 日々のこと。
まだ京都にいたころ、陶芸をする人が身近にいて、私もごく自然に工芸に興味を持ちました。絵画展だけでなく、陶芸や染織の作品展にも出かけるようになり、染織家志村ふくみさんの布に出会いました。

ご自分で糸を染め、機を織る志村さんの布は、1本の糸でも美しいのに、それらの色と色が美しく重なり合って、ため息が出るほど。時には凛とした美しさを漂わせ、時には深い思索を感じさせ、1枚の布がまるで絵画のように様様な表情を見せるのです。

志村さんその人にも興味を持った私は、エッセイを読み、志村さんがモデルであろう小説も読みました。そして、志村さんの作品の奥の深さは、彼女の生きてこられた人生の、いろいろな想いが織り込まれているのだということを感じました。

私自身、機を織りたいという衝動にかられ、織り機を探しに行ったこともあります。
欲張りな私は、当時やりたいことがたくさんあって、時間も場所も必要な染織は40歳になってから挑戦しよう、なんて勝手な理屈をこねて、結局40歳を過ぎた今でも手つかずのままなんですが・・・

一度じっくり志村さんの作品を見たいと思いながら、数年前にあった展覧会には体調を崩した後だったので行くことが叶わず、とても残念な思いをしました。
ところが今年になって、また滋賀県立近代美術館で彼女の作品展「志村ふくみの紬織りを楽しむ」があることを知りました。
今年第1回目のお出かけは、これに決まり!
もう少し暖かくなって、春を感じるようになったら、琵琶湖のそばにある美術館まで出かけようと思っています。
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生き抜く

2007-01-11 | 読むこと。

    『ふたりの老女』
   ヴェルマ・ウォーリス 作



子どものころから冒険小説(サバイバル物?)が好きで、『ロビンソン・クルーソー』、『スイスのロビンソン』、『十五少年漂流記』など、わくわくどきどきしながら読んだものです。
今でもその傾向はあるようで、『森へ 少女ネルの日記』、『エイラ 地上の旅人』のシリーズ、『魔女の血をひく女』など、科学のまだ発達していない時代に、あるいは排除された状況で、人はどんなふうに、どんな知恵を生かして生き抜くのか、といった作品を興味深く読みました。この先人類にどんなことが起きるかわからないし、いざというときには役に立つかもしれませんしね(笑)。

そのせいか、お正月にBOOK OFFへ行き100円コーナーで何かめぼしいものはないかな、と本棚を物色していたとき目に飛び込んできたのが「アラスカ、インディアン、知恵」の文字。手にとってみるとそれは『ふたりの老女』という題で、どうやら置き去りにされたインディアンの老女ふたりが、厳寒のアラスカで生き抜くといった内容のようでした。
老女のサバイバル!?しかも、本の帯にはアーシュラ・ル・グゥインの言葉が。これが決め手となって買うことにしました。

作者ヴェルマ・ウォーリスは、彼女自身インディアンの伝統にのっとった教育を受け、現在も昔ながらの生活をしながら執筆活動をされているそうです。この話も彼女が母親から聞いた伝説を文字にして書きとめたもので、いろいろな困難を経てようやく本になったとのことでした。


ある寒さの厳しい冬、アラスカでカリブーなどを求めて移動するインディアンの一族が、寒さと飢えのため老女ふたりを置き去りにすることを決断します。それに反対することすらできない娘と孫は、大切な斧といろんな用途に使えるヘラジカの皮を残し、一族とともに老女から去っていきます。
厳寒の大地に残された老女「チディギヤーク」と「サ」。そのままでは死を待つばかりなのですが、「どうせ死ぬなら、とことん闘って死んでやろうじゃないか」と行動を起こします。

火をおこし、ウサギの罠をつくり、かつて女狩人だったサは一匹のリスをしとめ飢えをしのぎます。これまで若い者の世話になりながら不平ばかりもらしていたふたりですが、生き抜くためかつて身につけた技と知識を思い出しながら、以前住んだことのあるキャンプ場へと移動するため厳しい旅に出ます。
疲れ果て身体中の痛みに耐えながらも、ようやくそのキャンプ場に到着し、そこでふたりだけの生活を始めるのです。厳しかった冬が去ると、狩りをし、鮭を捕り、次の冬に備えて保存食つくりに励み、ふたりでは多すぎるほどの食料を蓄えます。

一方で老女ふたりを置き去りにした一族のリーダーは、そのことを悲しみ悩み続けていました。長く苦しい旅の果てに、なんとか狩りで集団の命をつないでいたものの、前の冬のダメージが大きくて、彼らはまた苦しみに直面し絶望の淵にいたのです。そんなときリーダーは、老女を置き去りにしたキャンプ地にもどり、老女を捜し出すのですが・・・。


姥捨ては、かつて日本でもあったようです。若いころ映画で「楢山節考」を観て衝撃を受けたことがありました。
しかし死生観や文化の違いか、あるいはこのふたりの老女の個性だったのかわかりませんが、捨てられた老女たちのこの強さ、生きることへの前向きな姿勢には驚かされます。一族から見放されたことによって、彼女たちはプライドをよみがえらせ、とことん闘って死んでやろうじゃないか、と決心するのですから。

そして物語の後半で、彼女たちは死に瀕している一族に食料や毛皮を提供さえするのです。そう簡単にふたりの心がほぐれたわけではありませんが、最後には自分を見捨てた娘とも和解し、ふたりは一族の名誉ある地位を与えられ人々から尊敬されて生を全うしました。

彼女たち自身、もし見捨てられることがなければ、一族の中で若い者の世話を受け不平を言いながら死んでいったことでしょう。しかし、死を目前にした窮極の状況において、自分の中にまだ潜在していた気力や勇気がよみがえり、忘れかけていた技や知恵を発揮して、自分たちが無力な存在でないということを証明したのです。

この先、超高齢化社会に向かっていく私たちに、シンプルですがなんとも力強いメッセージを伝えてくれる作品だったと思います。
年をとっても、若いころ身につけた技や知恵は忘れない。・・・ということは、今のうちに身につけておかなければいけない、ということですね
えっ、もう遅いかも・・・
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始まりの深呼吸

2007-01-09 | 日々のこと。
今日は始業式。
子どもたちが冬休みの間は少々寝坊しても大丈夫でしたが、今朝は久しぶりの6時半起きで、あわててお弁当もつくりました(去年は次女のクラブの朝練で、5時過ぎに起きてたのが信じられない)。

成人の日が日曜日と連休になるよう設定されてから、正月休みがけじめもなくだらだらと続いているようで、なかなか気持ちがしゃきっとせません。
今年は特に曜日の感覚があやふやだし(年のせい?)、何日かもわからなくて(これはちょっとやばいかも)、七草のお粥も食べずじまいでした
そういえば、去年の反省もしてないし、今年の目標すら、いつからかたてなくなってしまいましたねー。
お正月、そんなに忙しかったわけでもないのに、何やってたんでしょう。
以前なら1月15日の成人の日がひとくぎりで、お飾りを片付けて、私なんかはちょっとほっこりして、今年の目標を考えたりしていたもんですが。
年とともに新年に対する新鮮味が失われてしまうのは、仕方がないことなのかもしれないけれど、やはり淋しいことです。

今年こそはきちんと目標を立て、背筋をぴんと伸ばして生きていこうと思います。
へそくりを100万貯めようとか、10キロダイエットとか、今さら無理な目標は立てないで、まあ家族が健康で過ごせることを第一の目標に、

今日できることは 今日のうちにしておく
 (それができずに、いつも後で痛い目にあうわけです)
口は災いのもと よく考えてから話す
 (いつも家族から指摘されるのですが・・・

それから・・・、と書き出したらきりがありませんね。
しかも、目標とはいえかなりハードルが高い

先月買った雑誌を見ていたら、こんなことが書いてありました。

朝起きたら、深呼吸して大きく背伸びしてみましょう

これなら毎日できそうだし、身体にも心にもよさそう。
何より、気持ちがしゃんとしそうですね!
とりあえず、できることから始めましょうか。
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