熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ありがとう 2019年 前編

2019年12月30日 | Weblog

本ブログサイトの投稿容量限界のため前編後編2日に分けて掲載

今年読んだ本

1      永田和宏『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』新潮文庫

2      河野裕子・永田和宏『たとへば君 四十年の恋歌』文春文庫

3      斎藤茂吉『万葉秀歌』(上下)岩波新書

4      辻原登・永田和宏・長谷川櫂『歌仙はすごい 言葉がひらく「座」の世界』中公新書

5      木村敏『時間と自己』中公新書

6      小泉武夫『発酵 ミクロの巨人たちの神秘』中公新書

7      小泉武夫『醤油・味噌・酢はすごい 三大発酵調味料と日本人』中公新書

8      ロバート キャンベル・十重田裕一・宗像和重 編『東京百年物語』(全3巻)岩波文庫

9      大岡玲 編『開高健短篇選』岩波文庫

10    永田和宏『タンパク質の一生 生命活動の舞台裏』岩波新書

11    小倉孝保『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』プレジデント社

12    アーサー・ビナード『日々の非常口』新潮文庫

13    アーサー・ビナード編著『知らなかった、ぼくらの戦争』小学館

14    南伸坊 糸井重里『黄昏』東京糸井重里事務所

15    アーサー・ビナード『日本語ぽこりぽこり』小学館

16    上田閑照編『西田幾多郎随筆集』岩波文庫

17    岡野弘彦編『日本の心と源氏物語』思文閣出版

18    中西進『ひらがなでよめばわかる日本語』新潮文庫

19    網野義彦『「日本」とは何か』講談社学術文庫

20    網野義彦『古文書返却の旅 戦後史学史の一齣』中公新書

21    梅原猛『水底の歌 柿野本人麿論』(上下)新潮文庫

22    宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫

23    本居宣長(全訳注:白石良夫)『うひ山ぶみ』講談社学術文庫

24    宮本常一『宮本常一 伝書鳩のように』平凡社 STANDARD BOOKS

25    柳田国男『先祖の話』角川ソフィア文庫

26    谷知子 編『ビギナーズクラッシック 日本の古典 百人一首(全)』角川文庫

27    梯久美子『百年の手紙 日本人が遺したことば』岩波新書

28    坂口謹一郎『日本の酒』岩波文庫

29    赤瀬川原平『老人力全一冊』ちくま文庫

30    池澤夏樹『科学する心』集英社インターナショナル

31    柳田国男『都市と農村』岩波文庫

32    柳田国男『婚姻の話』岩波文庫

33    『伊丹十三選集』全三巻 岩波書店

34    宮本常一『日本文化の形成』講談社学術文庫

35    宮本常一『生きていく民俗 生業の推移』河出文庫

36    宮本常一『海に生きる人びと』河出文庫

37    宮本常一『塩の道』講談社学術文庫

38    宮本常一『絵巻物に見る日本庶民生活誌』中公新書

39    岡田英弘『倭国 東アジア世界の中で』中公新書

40    南伸坊『おじいさんになったね』大和文庫

41    和田誠『もう一度 倫敦巴里』ナナロク社

42    柳田国男『不幸なる芸術・笑の本願』岩波文庫

43    柳家小三治『どこからお話ししましょうか』岩波書店

44    南伸坊『私のイラストレーション史 1960-1980』亜紀書房

 

購読中の定期刊行物

1      月刊『みんぱく』 国立民族学博物館

2      月刊『現代農業』 農山漁村文化協会

3      季刊『民族学』 千里文化財団

4      年3回刊『青花』 新潮社

 

今年観た映画など

1 「ホタル」2001年 Amazon Prime Video

2 「あん」2015年 GYAO!

 

今年聴いた落語会・演劇・ライブなど

1      新春国立名人会
大神楽曲芸協会 寿獅子
橘家圓太郎「桃太郎」
マギー司郎 奇術
入船亭扇遊「たらちめ」
林家ぺー 余談漫談
柳家権太楼「代書」
三遊亭笑遊「病院風景」
瀧川鯉曻「粗忽の釘」
新山ひでや・やすこ 漫才
三笑亭夢太朗「池田大助」
開演 13時 終演16時
国立演芸場

2      第425回 国立名人会
柳亭市若「道灌」
三遊亭天どん「初天神」
蜃気楼龍玉「もぐら泥」
林家種平「居残り佐平次」
三遊亭歌武蔵「宗論」
翁家社中 曲芸
五街道雲助「火事息子」
開演13時 終演16時
国立演芸場

3      柳家小三治 独演会
柳家小はぜ「人形買い」
柳家小三治「馬の田楽」
柳家小三治「小言念仏」
開演18時30分 終演21時10分
調布市グリーンホール 大ホール

4      ザ・柳家さん喬 其の五
金原亭乃ゝ香「平林」
柳家小太郎「おすわどん」
柳家さん喬「初天神」
柳家さん喬「猫の災難」
柳家さん喬「天狗裁き」
柳家さん喬「中村仲蔵」
開演 13:00 終演 16:10
よみうり大手町ホール

5      おーがにっく寄席
三遊亭金時「夏泥」
三遊亭金時「笠碁」
開演 19:00 終演 20:00
山本牛乳店

6      町制施行10周年記念 富士川町落語まつり
春風亭べん橋「普請ほめ」
柳亭市楽「お血脈」
柳家三三「やかん」
柳家小八「鰍沢」
柳家わさび「MCタッパー」
柳家三三「青菜」
開演 13:30 終演 16:30
富士川町ますほ文化ホール

7      第29回 興福寺塔影能
狂言 鬼瓦
   大名 善竹彌五郎
   太郎冠者 善竹隆司
   後見 上吉川徹
能 井筒
   井筒の女 辰巳満次郎
   旅僧 橋本宰
   関所の者 善竹隆平
   後見 佐野登 辰巳大二郎
   大鼓 谷口正壽
   小鼓 成田達志
   笛 左鴻康弘
   地謡 木下善國 鈴村栄一 畑宏隆 渡辺珪助 和久荘太郎 山内崇生 小倉伸二郎 辰巳孝弥

 

今年聴講した講座、講演、各種見学、参加したワークショップなど(敬称略、陶芸関係は除く)

1      ほぼ日の学校 万葉集講座 予習会 河野通和(学校長)

2      ほぼ日の学校 万葉集講座 「大伴家の文学伝統 —— 旅人、家持、黒人」岡野弘彦(歌人、国文学者)

3      NHK学園通信講座 はじめての俳句 修了

4      NHK全国俳句大会 NHKホール

5      ほぼ日の学校 万葉集講座 「山上憶良のまなざし」永田和宏(歌人、細胞生物学者)、朗読ゲスト 寺田農(俳優)

6      「英国滞在 LiverpoolとManchester」弘岡正明(テクノ経済研究所代表)Greater Manchester Club 例会 京都大学楽友会館

7      ほぼ日の学校 万葉集講座 「『百人一首』を英詩訳して」ピーター・マクミラン(詩人、翻訳家)

8      国立民族学博物館友の会 第125回東京講演会「米国先住民ホピの暮らしと世界観」伊藤敦規(国立民族学博物館准教授)モンベル御徒町店

9      ほぼ日の学校 万葉集講座 「万葉びとの恋」俵万智(歌人)

10    ほぼ日の学校 万葉集講座 「万葉の食、万葉の宴」小泉武夫(発酵学者)

11    ほぼ日の学校 万葉集講座 歌仙実習 永田和宏(歌人、細胞生物学者)

12    ほぼ日の学校 万葉集講座 「『昭和万葉集』に思う」梯久美子(ノンフィクション作家)

13    「片野元彦のこと」藤本巧(写真家)日本民藝館

14    ほぼ日の学校 万葉集講座「『万葉集』を人生の伴にする」上野誠(万葉学者)

15    国立民族学博物館友の会 第126回東京講演会「チワン(壮)族の文化の資源化の現状」塚田誠之(国立民族学博物館名誉教授)モンベル御徒町店

16    日本民藝館友の会 バス旅行 長野県上田市、青木村、筑北村

17    NHK学園通信講座 はじめての短歌 修了

18    ほぼ日の学校 万葉集講座 補講 梯久美子(ノンフィクション作家)

19    国立民族学博物館友の会 第127回東京講演会「世界の楽器を探る」福岡正太(国立民族学博物館准教授)国立音楽大学

20    ほぼ日の学校 特別講座 前田知洋さんのクラッシックマジック研究室 全3回

21    みんぱくxナレッジキャピタル 想像界の奥へ 公開座談会「自然界から想像/創造する Creature Creators’ Symposium」五十嵐大介(漫画家)、長谷川朋広(ゲームクリエイター)、西田清徳(海遊館館長)、山中由里子(国立民族学博物館教授) ナレッジシアター(グランフロント大阪北館4階)

22    「丹波焼と私 灰釉スリップウェアへの道」柴田雅章(作陶家)日本民藝館

23    みんぱく公開講演会「アニメ「聖地」巡礼 サブカルチャー遺産の現在」飯田卓(国立民族学博物館 教授)、川村清志(国立歴史民俗博物館 准教授)、河合洋尚(国立民族学博物館 准教授)日経ホール

 

エンディングロール 後編は明日


読書月記2019年12月

2019年12月29日 | Weblog

和田誠『もう一度 倫敦巴里』ナナロク社

贅沢な本だ。立派な装丁に、そうでもない内容。つまり、丸ごと遊びなのである。売れるかどうか、おっかなびっくりセコセコ書いたり作ったりしているものが本に限らず世間に溢れかえっているが、そういうものでは世の中は良くならない。こういう本がもっとあっていいと思うが、こういうものを作ることのできる人たちというのは少ないのだろう。

 

柳田国男『不幸なる芸術・笑の本願』岩波文庫

柳田はいろいろな本を書いているものだ。本書が書かれたのは昭和20年。柳田は当時の社会で「笑いの衰頽」がおこっていると認識していたらしい。何を基準に「衰頽」していたと見ていたのか本書だけではわからないのだが、柳田が今の時代の笑いをみたら、たぶん「衰頽」どころではないと悲観するのではないだろうか。

そもそも笑い、あるいは笑うとはどういうことなのだろうか。

 

柳家小三治『どこからお話ししましょうか』岩波書店

特に新しいことが書いてあるわけではない。それがかえってよい。勇気づけられる思いがする。

自分はこれまで、どうしたら食っていけるかということを考えながら生きてきた気がする。自分の思うようにやってみて、食えなかったら食わなければいい、とは思いもしなかった。しかし、生まれようと生まれてきた人などいるはずもなく、唐突に生を与えられて「さあ、がんばれ」と言われているようなものが現実の生だろう。一体どうしろというのか、生まれた本人はもちろんのこと、産んだり産ませたりした側にしても確かな考えがあるわけでもない。世のしくみとしては、何事か世間の役に立つようなことをして、うまく折り合いをつけて生きていくことが期待されている。不思議なことに、誰もがその期待に応えることをよしとしている風である。そんな義理などあろうはずはないと思うのだが、そうなっているのは類としての生存戦略なのだろう。

どうしたら食っていけるかというのは、どうしたら世間で存在価値を認めてもらえるかというのと同じだろう。承認欲求があって、経済的価値という直接的評価軸があり、カネで欲求が釣られているのが現実に見える。食わなくていい、つまり、無理に生きなくていいと開き直ることができたら、どれほど生き易いだろうか。近頃そんなことを一層強く思うようになった。

 

南伸坊『私のイラストレーション史 1960-1980』亜紀書房

さんざん生きてしまってから、そしてもう先がないというところに来てようやく、生きるとは、というようなことを考えるようになった、気がする。名前が世間に認知されたり記憶されたりするような人は、その人に何か才能があるのは当然とした上で、自己顕示欲が並み以上に強いとか、先人に憧れる度合が大きいとか、エネルギーを発散する方向を一点に集中できる、というようなところがあるのではないかと思う。そういうエネルギーのベクトルが明確だから、それに沿うように人やモノとの出会いがあり、そこから化学反応のようなものが生じて様々な展開繰り広げられる。結果として、突出して世間の記憶の対象になる、ということだろう。

フツーは、様々な欲求があっても、様々に程々なので昇華しないのである。それが良いとか悪いとかいうことではなく、フツーとユーメイとの間には単にそういう差異があるというだけのことだ。自分があとどれくらい生きるのか知らないが、先が短いからこそ、もっとおもしろいことを追求することに精を出したほうが良いと思う。それこそ、食えるか食えないかということは二の次にして、自分の自然に素直でありたいと思うのである。

 

『伊丹十三選集 三 日々是十三』岩波書店

伊丹の本は2015年に新潮文庫に収められているものを何冊か読んでいるので、本書に掲載されている文章も読んだことのあるものが多いはずなのだが、けっこう新鮮な思いで読んだ。付箋を貼ったのは以下の箇所。

恐怖に根ざした注文は人を動かさない。(135頁)

いい大人が集まって「何でもない」仕事をするのはどう考えても普通じゃない。(139頁)

つまり、彼は仕事に参加していない。他人の仕事に、いやいや使われている。彼にとって、仕事は、自分の営みではないのである。どんな仕事も、やる以上は自分の仕事だ、と自分で思いこもうとする工夫すらない。自分の仕事じゃないからつまらない。つまらないから、疲れる。(144頁)

全員がプロであるとき、各各が安心してアマチュアにかえれる。(146頁)

つまりね、子供が親の性を知るということは、タテマエとしての親の権威の消滅を意味するわけでしょう。親子関係の根底に横たわる嘘がとっぱらわれ、親であるがゆえの権力というものが崩壊してしまうと、親は当然、一個の赤裸裸な人間として子供と向かい合う、という結果にならざるをえない。ひいては、大人対子供、教師対生徒、男対女の間に現存する、あらゆる上下関係や差別が消滅して、全く別の、人間対人間という、別次元の信頼関係を成り立たせざるをえなくなってくるじゃありませんか。(249頁)

性教育というというものは、だから、ただ性のインフォメーションを与えることに終始するものじゃないんですね。性教育というものは、結果的には、好むと好まざるとにかかわらず、徹底的な自由と平等を招来してしまう。権威や管理や差別から人間を解放してしまう。つまり、性教育は、実に、社会を根底から変えるような副次的な効果を持つのであり、いってみれば、先進国における静かな文化大革命なんですね。ただセックスを教えりゃいいっていうもんじゃぁない。(250-251頁)

 


読書月記2019年11月

2019年11月30日 | Weblog

宮本常一『塩の道』講談社学術文庫

「塩の道」、「日本人と食べもの」、「暮らしの形と美」の三篇が収められている。もう何冊も宮本の著作を読んでいるので、改めて感じ入るほどのことはないのだが、古い時代からの人の往来の活発さには驚かされる。確かに人類が誕生したのはアフリカ大陸で、そこから「グレート・ジャーニー」と呼ばれる広がりを見せたというのが一応の常識だ。狩猟民であろうが農耕民であろうが、ひとところにずっととどまっているのではなく、自然や地政学上の変化に応じて移動してきたのである。そこに何の不思議もないのだが、その移動について語ったものを見聞すると驚いてしまうというのは、自分の思い描く「歴史」のスパンが狭いことの証左でもある。

塩は摂りすぎてもいけないが、塩がないと我々の生命は維持できない。ものを食べるときの旨味の一部である以上に、自分にとって貴重なものとの感覚が染みついているのだろう。日本では塩は海水から作る。しかし、海から遠い土地にも人は暮らしている。塩の製造と運搬という視点から日本の歴史を見ることができる。製造のほうは、道具の変遷が歴史を見る上で大きな示唆を与える。

我が家の梅干壺には塩が吹いている。釉薬をかけた壺なのだが、それでも嵌入から嵌入へと梅酢が染み、そのなかの水分が蒸発して塩が壺表面に残る。その昔、人が海水を土器に汲んで煮詰めて塩を取っていたようで、そういう土器が弥生時代の遺跡や平安の頃の遺構から出てくるのだそうだ。製塩土器は素焼で、繰り返し使用されるうちに器の壁の内部に塩分が蓄積され、やがてその圧力で土器が割れてしまう。つまり、製塩土器は消耗品だ。しかし、それでは個人レベルの需要は賄えても、海から遠いところの人々の需要までは満たすことができない。そこで塩田という大規模な製塩事業が興る。規模が大きければそれ相応の道具や装置が必要になる。

初期の塩田では、浜を粘土で固め、それだけでは干割れてしまうので、貝殻を焼いて砕いたものを混ぜて、土釜というものを拵えた。やがて、その釜が鉄製や石製のものに置き換わる。鉄釜を使ったのは東北や北陸に多く、今でも塩釜(塩竃)という地名があるし、岩手県の南部鉄器は塩田用の鉄釜の生産が起源とのはなしもある。北陸の鉄釜は近江産の鉄が使われたそうだ。かつて日本全国にあった木地屋が使う轆轤の刃は近江の鉄と関係があるらしい。木地屋は滋賀県永源寺町筒井と君ヶ畑の神社と結びついているという。

飛鳥には酒船石とか猿石が残るが、どれも花崗岩を加工したものだ。ところが、その後、花崗岩を加工した石造物のようなものは見られなくなるのだそうだ。鎌倉時代のはじめに東大寺が火災に遭い、その再建のために中国から招かれた職人が作ったもののなかに花崗岩を加工したものがあるという。鎌倉時代初期の花崗岩の石造仏は奈良から北に広く分布しているが、近江に入ると古い寺には必ず宝篋印塔があるのだそうだ。つまり、そこに石鑿の良いものがあったということだ。塩を作る上で鉄釜の欠点は錆が塩に混じることだという。そこで片麻岩を加工して作った石釜が使われることになるが、その製造には石鑿が必要だ。ここでやはり近江が関係してくる。

釜があれば燃料も必要になる。具体的には薪だ。最後まで塩田が続いた土地と、他地域から塩を購入することになった土地との差は、生産技術の比較優位と薪の有限性に拠るのだそうだ。また、塩を購入するとなると、そのための金銭を調達するための産業が必要になる。流通の仕組みも輸送路も必要だ。牛馬、舟運、問屋制、そうしたものが生命体の毛細血管のように国土に広がることになる。中央権力による街道整備以前に、生活の必要によって流通経路が自然に形成されたことは要注目だ。

おしまいに「塩の道」のしめくくりを引用しておきたい。

民衆が一つの道をたどっていくということは、今日のように便利ならば、あるいは地図があれば、これをどこへ行けばどうだということがわかっていますが、途中で人に聞くことができない細道の、その行く先を確かめ得たということは、人間の必然の叡智というものがそこに働いていたということであります。それを、あとから来る人たちも歩いては踏み固め、大きくして、やがて今日のような道になり、山間の文化をつくりあげていくようになったのだと思います。しかも今日では、すでに消えてしまった塩の道も少なくありません。われわれはそういう過去を、もし機会があったら、もう一度お互いに確かめ合っていきたいものだという気持ちを深くするものであります。(82頁)

 

『伊丹十三選集 二 好きと嫌い』岩波書店

伊丹の文章は聞き書きとかセリフが面白い。タクシーの運転手とのやりとりの後にこんな文章が続く。

道筋が変えられなくなってきたらーそれがタクシーの道筋であれ、散歩の道筋であれ、あるいは物事を考えたり行動したりする道筋であれですーそれが変えられなくなってきたならば、自分が老化しつつあると考えていいと思う。(161頁)

人生の後半にさしかかって思う。人生後半においては、これまで育んできた頑固さを、絶えずぶち壊すことが一番大きな仕事になるのではないか、と。(162頁)

本書の副題は「好きと嫌い」。「好き」と「嫌い」は必ずしも表裏の関係ではないのだが、それぞれを集めてみたときに、己の何が見えるのかというのは面白い。「好き」を集めてみたら、その集合体が嫌だったりする。しかし不思議と「嫌い」の集合体が好きとは思えない。そうすると、全部が嫌いということになる。どうしたらよいのだろう?

 

宮本常一『絵巻物に見る日本庶民生活誌』中公新書

うんと古いことを考察する史料や資料はどうするのだろうという素朴な疑問がある。絵巻物と聞いてなるほどと思う。記録が歴史の全てであるはずはないが、歴史が妄想の組み合わせでよいはずもない。過去を振り返るとき、現在が出発点になるのは当然だが、現在のことに囚われすぎると過去は見えない。過去が見えなければ現在も見えないという道理になるので、結局何も見えていないことになる。囚われる現在とは何か?

日本の民衆は古くは裸を好んだ。(38頁)

この裸体習俗が禁止されるようになったのは幕末の開国以来のことである。とくに明治三十二年、外国との不平等条約が廃止されて平等条約が結ばれ、それまで居留地と称する一定の区域の中に住んでいた外国人が日本全土どこに住んでもよいことになったとき、この習俗は厳しく禁止され、裸形のまま屋外で行動するものはほとんどいなくなった。(38-39頁)

好まれていた習俗を変えた強制力は何だったのか?外の眼というものを無闇に有難がるという別の習俗か?この国では多くのものが外から伝来しているのは事実だろう。生活の基本になるようなものでも例外ではない。稲作とそれに関連した様々なものもが最たるものだろう。しかし、稲作と米食が生活の根幹にまでなったのは何故だろう?米を主食にする文化は日本だけではないが、米の調理方法は他所とは違うし、米の種類もジャポニカ米だ。そして米を大事にすることが、大事なものの扱い方に反映されている、らしい。

生命をつなぐ稲作をあらゆる災害から守るための高倉は、同時に神を守り、神をまつる場としても利用された。日本の神社の神殿のほとんどが高床式になっているのはそれを物語るものであり、伊勢神宮の神殿は高倉をかたどっている。このことは神殿をめぐる神庫と神殿とはほぼ同様の形式で建てられていることによって推定されるのである。高床の神殿の発達につれて、高床の住居も貴族社会に発達していく。(64頁)

たぶん、生産活動の安定化と身分制とか社会の階層化はシンクロするだろう。生産活動を工夫したり、それにまつわる知見を持っていたりする人々は余剰生産物を獲得したり、指導的役割を担ったりして階層上部を形成するようになり、そうでない人々は下層に取り残されるのだ。生産という社会の主流では存在感を発揮できなくても、神事的芸能や周辺にある細々としたことに長けている人々はその方面で活躍できただろう。しかし、それは生産の余剰がそうした周縁を養うに足る規模にあればこそではなかったか。あるいは、そうした唯物論的な見方は現実的ではないのか。

単純に人をあっと言わせるようなことがモノを言ったのかもしれない。職人的な仕事だ。鍛冶、大工、薬剤を扱う人、など。科学技術的なことはやはり大きなことだ。呪術的なことと科学的なこととが未分化な段階から、理屈で説明がついて再現ができることが分かれてくれば、人は納得できるものを重く見るようになるだろう。

尤も、そうした流れの先端には、ハッタリとか怪しげなものも入り込んでいただろう。しかし、想像を超えたものを受容する姿勢がなければ、狩猟採集に毛の生えた程度の生活を超えることはできなかっただろう。きっかけは何でもよいのである。嘘のつもりが本当に化ければ結果オーライだ。理にかなっていても実現しなければペテンと同じだ。

富というものは、清濁混合の中から生まれるものだと思う。理屈は後付けだ。納得しようとしてもできないものである。人の世とはそういうものだと思う。

 

岡田英弘『倭国 東アジア世界の中で』中公新書

学校教育を受けていた頃、何の疑問も抱かずに歴史という科目を勉強していた。歴史に限ったことではないが、今にして思えば私の学校教育というものは実にいい加減なものだった。

史実として遡ることができるのはいつ頃までなのだろうか。史料としては古文書や考古学上の遺跡といったものがあり、それらをつないでいくことで全体像が明らかになる、というのはその通りかもしれない。しかし、そうした断片をつなぐにはある程度はっきりした接合面が必要だろう。接点が十分に見いだせるのはいつ頃までなのだろう?人類の誕生と現在との間を埋めることは、そもそも可能なのだろうか?

本書の書きぶりは歯切れがよい。新書という制約もあるだろうが、論点がきれいに整理されていてわかりやすい。しかし、千男百年も前のことが、そんなにはっきりと語れるものだろうか?

 

南伸坊『おじいさんになったね』大和文庫

たまにこういうなんでもないものを誰かと雑談するような心持で読むとほっとする。本書の場合は、老化に伴う生活上の変化についてわかりやすく書かれているのもよい。眼鏡を忘れやすくなるとか、眩暈のこととか、噎せやすくなることとか、実際的で「そういうものか」と納得して心を平和に保つのに役立ちそうだ。しかし、こういう本はたまに読むからよいのであって、こういうものばかりというのは寂しい気がする。


読書月記2019年10月

2019年10月31日 | Weblog

宮本常一『日本文化の形成』講談社学術文庫

宮本常一『生きていく民俗』河出文庫

本書が発行されたのは1965年2月。「日本の民俗」シリーズのひとつとしてだ。書かれたのはそれ以前のことだが、現象として古びていても背景にある動機のようなものは今とそれほど違わない気がする。もちろん書いたものは書いた人の眼を通して観察され考察され記述されているのでその内容にバイアスがあるのは当然だ。それでも、本書のような見聞の集積はモノを考えるときの貴重な材料になる。文庫版の初版は2012年。こういう本がこうして手軽に手にできるのは、まだ世の中が捨てたものではないということでもある。

それまで自分がいかに何も考えていなかったがよくわかった。根本的な問いは人はいかにして生きるかということだ。それはハウツーではない。物事の根本は案外単純なことが多いものだが、教科書的に単純化するべきではない。農業は「一粒万倍」と言われ何事もなければ効率のよい生産活動だ。しかし、このところの天災にみられるように、「何事もない」年というものはそれほど多くはないし、そもそも「何事」とは自分のほうの都合にとってのことでしかない。温暖化でどうこうだの、環境破壊がどうこうだのと、わかったようなことを言う人が多いのだが、地球が誕生して46億年、人間の歴史など高々数千年でしかないのに、「異常」と「正常」をきっちり分けるほどの定常的な状態の継続というものがあるのだろうか。昨日と似たような今日があるからといって、明日も同じようになると思うのは思う側の都合でしかない。結局、人の営みの歴史はそうした不確実性との付き合いの試行錯誤の歴史だと思う。その経緯のなかで、たまたま今があるというだけのことだ。おそらく類として人間はそういう不確実性を嫌というほど承知している。だからこそ安定的な状況を仮想現実として想定し、「あるべき姿」を追い求めて安心するのである。

 

宮本常一『海に生きる人びと』河出文庫

人ひとりの生活が一所で完結するものだという思い込みが、生活というものをどれほど窮屈にするかを思い知る。確かに、農業となれば田畑を耕して収穫するまで時間がかかるし、その間に日々の手入れも必要だ。木に成るものであれば「桃栗三年柿八年」というような時間軸になる。しかし、誰もがそうした営みに携わるわけではない。

社会が生活に規定される面はあるだろう。例えば、米を主食にする生活を基本に据えるなら、米作のサイクル、米作のための道具類の制作、米作に適合した人の動きや在り方というものが社会の在り様をある程度規定することになる。しかし、人は米だけに頼らずとも生きていけるし、米だけで生きることもできない。

交通や通信といった技術的なことが生活を変えるというのは、その通りだろうが、技術を産むのは生活の必要だ。移動しようという欲求や必要があればこそ、交通や通信が生まれるのである。では、何故移動するのか。何を求めているのか。個人のレベルではいろいろあろうが、類としては生理や脳の構造に何か関係がありそうだ。

海や川を移動路とみれば、人の生活空間は無限に広がる。そこに国だとか民族というようなものを想定することに意味があるのかと思わざるを得ない。ナントカ人とかナントカ民族というのは仮置きの前提で、そもそも存在しないということにすれば解決できる問題というのはけっこうあるのではないかと思った。


不思議解消

2019年10月24日 | Weblog

運転免許証の更新をする。車を手放して12年ほどになるが、どういうわけか免許証がゴールドではなかった。今回、晴れてゴールドになり、車を滅多に運転しないのにゴールドではないという不可思議な現象が解消した。

よく「いくら自分が気を付けていても事故というのは相手のあることなので、ある確率で起こるものだ」というようなことを耳にする。しかし、ある地方都市在住の私の伯父は毎日通勤で運転し、車なしでは生活に支障をきたすというようななかにあって50年以上に亘って無事故無違反を続けている。私の従兄がその伯父の居住区域を管轄する警察に勤めていることもあって迷惑をかけてはいけないという緊張感もあるだろうし、持って生まれた身体能力の高さもあるだろうが、ほんとうに気を付けていれば事故を回避できるということの生事例といえよう。

翻って私自身だが、身を引き締めて運転してきたとは言えない。特に高速のような信号も歩行者や自転車もいないような道路では不注意なこともままあったのは事実だし、違反を取られた大半の事例は高速道路走行中のものだった。それで、今回の更新へ向けては万全を期した。よく旅行に行くとレンタカーを利用するのだが、今月の奈良では車の運転を控えた。運転しなければ違反のしようがない。

それにしても、我ながら己の小ささに呆れ果ててしまう。


思い立ったが吉日

2019年10月19日 | Weblog

ボランティアとして英国留学フェアの体験者コーナーで、留学を考えている人たちからの質問に答える形で体験談を語ってきた。

12時半のオープンから18時の店じまいまで、殆ど誰かしらの相手をしていた。下は高校2年生から上は40歳過ぎの人まで、若い人たちを相手に言いたい放題語ったら気持ちが良かった。相談に来た人から「こういう話が聞きたかった」などと言われると世辞だとわかっていても嬉しい。ハウツー的なことは今どきネットで検索すればいくらでも事例を集めることができるし、手続きについても然り。こういう場でこういうコーナーにやってきて漠然とした希望とか不安を話すのはやはり個別具体的な人間を相手にしないと考える手がかりのようなものが得られないということだろう。今日話をした人たちのなかで、どれほどの人が実際に留学することになるのかわからないが、普段接することのないような生身の人間と話をすることで何かしら刺激を得るだけでも十分な意味を持ってもらえるのではないかと期待している。なにより私自身も愉快な時間を過ごすことができてありがたいと思った。


訂正 敬称削除

2019年10月07日 | Weblog

奈良というところは穏やかな土地との印象が強いのだが、南都焼討に対して奈良の人々はやはり怒っているようだ。

今日は宿を出て興福寺の境内を通り抜けた後は通行人の殆どいない住宅地の細い通りを歩いた。ビック・ナラという地元スーパーの脇に出たので中を覗いてみる。たまに出かけた先のスーパーを覗くのだが、いかにもその土地らしい商品を見つけて面白がることもあれば、そういうものがなくてがっかりすることもある。奈良ではこれまでにJR奈良駅直下にあるイオン系列のスーパーと近鉄奈良駅近くの小規模な食品スーパーを訪れたことがあるだけだが、醤油など調味料の品揃えに関西らしさが感じられるほかは特にどうというほどのことはなかった。

ビック・ナラを後にして北へ進む。佐保川の橋の向こうに小高い森のようなものがある。地図には若草中学校とあるが、この高いところが多聞城址だ。1560年、松永久秀が築城したが1576年には織田信長によって廃城されてしまう。当時としてはたいへん豪華な造りだったらしいが、建物や内装は京都旧二条城に移築され、石材の多くは筒井城と郡山城に移されたという。多門城築城前は墓地だったそうだ。この高台の西には聖武天皇陵が連なる。南都を見渡すことのできる高台は都の外れの聖なる場所でもあったということだろう。

ここを越えて、旧平城京から外れたところに般若寺がある。創建は629年と伝えられ、それが事実なら平城京よりも古い。創建時期、創立者には諸説あり、正確なところは不明なのだそうだ。旅先で予定に縛られるのは嫌なので、日に1つか2つの目的地しか設けない。今日はごごに東京へ戻ることになっているので、本日の目的はこの般若寺だけである。

般若寺の近くに奈良監獄がある。今は使われていないそうだが、有機臭が漂っている。刑務所での作業のひとつとして家畜を飼っていたのではないかと思ったが、後でそうではないことがわかった。とりあえず、監獄の門の写真を撮って般若寺へ。

奈良監獄のある側には旧道があり、そこに面して国宝の楼門がある。が、ここからは境内に入れない。一旦、新道の側に回り、寺の駐車場を突っ切って受付から入るようになっている。境内は一面のコスモス。その間を通って改めて楼門を眺める。立派な楼門に目を奪われがちになるが、コスモスに埋れるように比較的新しい石塔がある。「平重衡 供養塔」とある。よく見ると、「衡」と「供」の間に「公」という文字が彫ってあり、それがセメントのようなもので埋められている。「平重衡公供養塔」の「公」が消されたというのは何故か?

この平重衡が南都焼討の中心人物なのである。河内から奈良へ侵攻する重衡を迎え撃つべく反平家派の興福寺衆徒は防衛線を敷くが、その拠点のひとつが般若寺だった。重衡軍はこの防衛線を突破し、奈良の街に火を放つ。この時、興福寺も東大寺も焼けて大仏も焼失。平家の勢力を象徴するかのような火焔であったろうし、当然、奈良の人々からは恨みをかったことだろう。

その平家の頭領である清盛が、南都焼討からひと月程後に病没。その勢いが強かった所為もあってか、跡目争いで平家は分裂、源氏が反平家の取り纏めのような役まわりで力を増しつつあったこともあって、平家は都落ち。一の谷の戦いで源氏の捕虜となり、斬首。般若寺門前で梟首された。それでこの供養塔になるわけだが、それにしても供養塔は随分と新しい。この辺りの事情には興味をそそられる。

 


元を辿る

2019年10月06日 | Weblog

葛城というところには、その昔、鴨とよばれる部族が住んでいたそうだ。

のちに山背(城)に移って賀茂と書くようになるが、もとはその字のごとく鴨をはじめとして鳥類を捕らえることを生業としたもので、やはり狩猟民であったと思われる。(宮本常一『日本文化の形成』26頁)

御所に鴨都波神社がある。全国の賀茂(鴨)社の根源だそうだ。このあたり一帯は鴨都波遺跡という弥生中期の遺跡で鴨族の農耕生活の跡とされる。もとは狩猟民であったのが、農耕も営むようになったということらしい。


植木屋さん御精が出ますな

2019年10月05日 | Weblog

平城宮跡の広場の一画に裃姿の男性の銅像がある。植木職人だった棚田嘉十郎だ。実は、この銅像の脇を素通りしてしまった。近鉄の新大宮駅を降りて大きな通りをしばらく歩き、途中、長屋王邸宅跡という由緒書に足を止めるなどしながら朱雀門広場までやってきた。その敷地にあるカフェで昼食をとり、遣唐使船を見学したりして、そのまま朱雀門を通り抜けた。進行方向右手に裃姿の銅像があるのは認識していたが、そこに歩み寄ることはしなかった。朱雀門を抜け、近鉄の踏切を渡り、更地になっている平城京址を歩き、南門の復元工事現場を眺め、第一次大極殿へとやってきた。

大極殿に入り展示を眺め始めるとボランティアガイドの人が近付いてきた。あれこれ話をするなかで、棚田のことを聞いたのである。その後、ウィキペディアなどで棚田のことを読んだりもしたのだが、情報が断片的すぎて神がかっているような話にしか思えなかった。奈良で暮らしているのに、他所から来る人に平城京のことを尋ねられて答えることができなかったので、調べてみたらその場所が牧草地になっていて唖然とした、というところまではわかる気がする。それで私財を投げ売って復元に取り組む、というところに至るのがわからない。なぜ、植木屋さんのままでいられなかったのか。確かに、今こうして平城京の復元作業が少しずつではあるけれども続いているそのきっかけのひとつにはなっているのだろう。だから銅像が立っているのである。それにしても、生活丸ごと平城京というのはどういうことなのだろう。人は経験を超えて発想できないというのはこういうことなのである。ぼんやり生きてきた人間には一生懸命何かをした人間のことがわからない。たぶん、これから先もわかるようにはならないと思う。

そのボランティアガイドの人とは結局1時間以上もお話をさせていただいた。その話のなかで、平城京址を訪れた理由を尋ねられたので、或る人から「奈良に行ったら平城京から若草山や三笠山を眺めないといけない」と言われたからだと答えたら、「それ、上野先生でしょ」と一発正解。上野先生は余程有名な人だ。上野先生のことが出た後、大極殿のテラスから若草山や三笠山を眺めながらあれこれお話を伺った。三笠山は歌にもよく詠まれる山なのだが、こうして眺めるとよくわからない。今日は土地の人に教えていただいたから稜線がわかったが、そうでなければ背後の山と重なって認識できなかった。ということは、三笠山(表記としては他に御蓋山)が詠まれた歌はこの地で詠まれたものではないようだ。いや、歌というのは本当のことを詠まなければならないというものではないので、このあたりで詠まれたものはやはりたくさんあるのだろう。

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

古今集に収められている阿倍仲麻呂の歌だ。遣唐使として唐に渡り、彼の地で取り立てられて帰国することなく彼の地で生涯を全うした人だ。その阿倍仲麻呂が唐で故国を想い詠んだ歌だというのである。しかし、そうであるとすれば、一体どうやってこの歌が古今集に収まったのだろう?ま、そういうものである。

 


ちはやぶる

2019年10月04日 | Weblog

ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くぐるとは

言わずと知れた百人一首にもある在原業平の歌である。今日は竜田川を見に来た。

業平は竜田川を見たことはあるだろうが、この歌は屏風の絵を見ながら詠んだものだそうだ。まだ紅葉には早いが、近鉄の竜田川駅で下車して、平群へむかってぶらぶらと歩き、途中、平群神社にお参りしたり、長屋王の墓と吉備内親王の墓にお参りした。その前に、生駒の寶山寺に参詣した。今年も奈良にやってきたのである。


読書月記2019年9月

2019年09月30日 | Weblog

池澤夏樹『科学する心』集英社インターナショナル

先日「ほぼ日の学校」のオンラインクラスで池澤夏樹と奥本大三郎の対談を観て、この本を読んでみようと思った。本を手に取って、これは雑誌の連載をまとめたものだと知った。その雑誌のひとつが季刊『考える人』だ。手元にある最終号を開くと、本書の第七章にあたるところが掲載されていた。こんな連載があったなんてちっとも知らなかった。『考える人』を定期的に読んでいたわけではなく、たまたま2006年冬号、2011年夏号、2017年春号(最終号)が手元にあるだけだ。2006年冬号は「一九六二年に帰る」という特集に興味を覚えて購入した。自分が生まれた年を取り上げているのでなんとなく読んでみようと思ったのである。2011年夏号は梅棹忠夫の追悼特集。以前にも書いたかもしれないが、私は梅棹ファンなので、当然のように購入。2017年春号は最終号なので、なんとなく買ってみようと思った、のだろう。最終号にはけっこう付箋が貼ってあるが、池澤のところは何もない。たぶん読んでいないのだ。自分の興味の対象にありながら、微妙なところですり抜けてしまったことや人というのはたくさんあるのだろう。うまく当たればおそらくその後の人生を大きく変えるようなこともあるのだろう。しかし人ひとりの人生というのはささやかなものだ。何を大きいとか小さいとか思うのかは人それぞれだろうが、大きな時間の流れのなかで個人の在りようはうたかたのようなものだと思っている。なにはともあれ、こうして本書を手にした。

学校を出てからずっと金融業界で働いている。その間に転職8回だが今の職場は出戻りなので勤めた会社は8社。職場を転々とし始めて以降は、仕事そのものに大きな違いはないので、自然と自分の世界が狭くなっていることは自覚している。そういう所為で余計に感じるのかもしれないが、金融の外にいる人の金融についてのコメントには岡目八目的なものを感じる。本書の第三章「無限と永遠」の「数というものは、自分の後ろから無限にくっついてくる」などはそういうところだ。先日、「ほぼ日」に掲載されていた養老先生と池谷先生の対談も然り。「価値」とは何かという根本的な問いがないままに、目先の表層の効用を求めて貨幣価値のみを追求するところに人の不幸の根源があるような気がする。第四章「進化と絶滅と哀惜」もそうだ。何が「進む」のか?はっきりしないままに我々は「進化」と口にする。価値の設定の仕方がご都合主義的だ。誰の「都合」なのか?

「知力」というのもそうとう怪しい。第七章「知力による制覇の得失『サピエンス全史』を巡って」は『考える人』の最終号に掲載されていたものだ。ここにも大いなる一言。「資本主義の基本原理は投資ということだ」今の世界を動かしているのは投資なのだろう。それで得た財の大きさが権力の源泉だ。財力があれば世界を意のままにできると考える人は多いだろう。ただ肝心の「意」が空なのだ。ちょうど台風15号が近付いているが、人の社会も台風のようなものかもしれない。どこからともなく現れては人々を翻弄して消えていく。

 

柳田国男『都市と農村』岩波文庫

本書が発表されたのは1929年。世界恐慌の年だ。小作争議が頻発し、農村の疲弊が社会問題になっていた。そういう状況が戦争につながり、敗戦の結果として民主化の名のもとに富の再配分が行われて一応の解決となる。経済の矛盾を特定のところに押しつければ、全体が破綻する。今の社会は物事を貨幣で決済するようにできているので、権力の無策や失策で問題が生じると、根本的な解決を図ることなく当座の財政でお茶を濁そうとする。その財源がしっかりしていればまだしも、財源に頓着せずに当座を凌ごうとすると、すぐに別の問題に追われることになる。

本書のはじめのほうに次の一節がある。

私の想像では、衣食住の材料を自分の手で作らぬということ、すなわち土の生産から離れたという心細さが、人をにわかに不安にもまた鋭敏にもしたのではないかと思う。(31頁)

生きる実感がないから人は幻想に走るのだと思う。個人から集団に至るまで諍いのもとはこの幻想だろう。

 

柳田国男『婚姻の話』岩波文庫

婚姻というのは社会の単位の生成だ。そこの決め事は社会の成り立ちの原理ともいえる。人と人とがどのように出会い、知り合って、生活を共にするようになるのか。そこには人や社会の生存戦略が反映されているはずだ。環境の変化をみれば、そこに強固な「伝統」とか法則性があろうはずがない。しかし現実には仕来りを気にしたりする者もいる。何故か?

たぶん、婚姻の目的は当事者とは関係のないところにあるからだろう。当事者の方も本当はどうでもいいと思っているからだろう。生活とか生きるとかいうことは、そういうものなのだと思う。

 

『伊丹十三選集 一 日本人よ!』岩波書店

 人生の終わりを前にして、万葉集から日本語、日本人、日本と思考を巡らして、その源があやふやであることに驚いている。当たり前のように「日本」だの「自分」だのと思っていることが、元を辿ると虚空なのである。人類はアフリカ大陸のどこかで生まれ、それが増殖しながら広がったという現実が、「日本」だの「自分」だのというチマチマしたアイデンティティの在り方を全否定している。そんなはっきりしたことを今まで思いもせずに晩年に至っている愚かしさ。もう笑うしかない。


大阪でお彼岸

2019年09月23日 | Weblog

宿は天王寺駅の近くに取った。今までは新大阪駅周辺か民族学博物館の近くで泊まったのだが、どこも今ひとつだった。最大の課題は晩御飯の良いところが周辺にないということだ。料理だけでなく、ものつくりはつくる人がものを言うと思っている。どういう了見で料理を作り店をやっているのか、ひとつひとつの料理に自ずと表れる。極端なことをいえば、味は二の次なのである。そこの世界観と自分の世界とが重なるかどうかが肝心だと思うのである。

今回の大阪は、みんぱく公開座談会に参加するのが目的で、せっかくなので前泊して観光をしようということなのだ。「食倒れ街」と言われながら、これまでの大阪行では食が寂しいことばかりだったので、今回は公開座談会を申し込んですぐに阪口楼を予約した。ここは2015年6月のみんぱく体験講座の会場で、昆布のだしをテーマに料理をいただきながらみんぱくの先生の講義と空堀商店街にある土居の店主による出汁取りの実演を交えた話を伺った。以来、我が家では土居から取り寄せた真昆布で出汁を引くのが当たり前になっている。

今日は荷物を宅配便で宿から自宅へ発送して身軽になり、四天王寺にお参りをしてから阪口楼で昼ごはんをいただき、梅田で公開座談会を聴いて、夕方の新幹線で東京へ帰ってきた。


読書月記2019年8月

2019年08月31日 | Weblog

『宮本常一 伝書鳩のように』平凡社 STANDARD BOOKS

万葉集を起点に、「日本」、網野善彦、宮本常一という流れで『忘れられた日本人』を読んで、宮本の書くものに惹かれた。そこで取り上げられているのは、「あの人は良い人だ」とか「あの人の話を聞くといい」などと会うことを勧められた市井の人々の話。小さな共同体のなかで他人から一目置かれた真面目で信頼される人々の話である。そういうものを読むと心が浄化されるような感覚になる。人というものを通り越して、生き物というのはこうでなくてはいけないという思いになる。自分が長いこと生きてきたからこその感想かもしれないが、若い頃に宮本の書いたものに出会っていたら、もう少しマシな人生になっていたかもしれないとさえ思った。

本書の巻末にやや詳しい著者紹介がある。そのなかに宮本がこんなことを言っていたと書いてある。
「おい、月給というのは怖いぜ。ありゃ寝とっても入る金じゃからな。人を堕落させるぜ」(220頁)

40年近く月給で生活しているからよくわかるが、その通りだと思う。これではいけないと40歳過ぎあたりから漠然と思いつつ何もできないままに今を生きている。否応なく月給生活に終止符が打たれるときが迫っているが、その前にまともな生活というものが一日でもできるようにしないといけないと、まだ思っている。

 

柳田国男『先祖の話』角川ソフィア文庫

谷知子 編『百人一首(全)』角川ソフィア文庫

百人一首の会という催しに出席することになり、慌てて読んだ。結局、読んだというだけで会のほうは末席を汚すというようなものだった。改めて百首の歌とその解説を読んで驚いた。半分以上が藤原姓あるいはその縁戚だ。

 

梯久美子『百年の手紙 日本人が遺したことば』岩波新書

いつも思うことだが、妙に取り繕ったものより何でもない日常的なものの方が面白い。手をかけた料理の旨さと、手をかけた食材の旨さとは比較可能ではない。創作の面白さと、生活の面白さは別物だ。敢えて言うなら、妙な意図が入り込まないもの、価値中立なものの多義性の深さに勝るものはない気がする。

言葉の不思議。書いたものが書き手を離れて一人歩きする不思議。人は当たり前に生活するだけで七変化を繰り返しているかのようだ。

手紙には相手がある。そこへ向けての知略も混じるだろうし、その手紙に到るあれこれがある。そうした文脈を抜きに或る手紙を取りだした時の何とも言えないナマな感じというのものは、ちょっと危険な香りもする。

 

坂口謹一郎『日本の酒』岩波文庫

歳をとってから、小量ながらも自ら酒を飲むようになった。そうなると、瓶のラベルにある意味不明の用語が気になるようになる。そういう時期に読んだので、楽しく読めた。しかし、ラベルの符牒がわかるようになったわけではない。それでも、次に飲むときは前よりも楽しみが増えるかもしれない。

本書の解説は万葉集講座の講師であった小泉武夫先生だが、日本酒を語るときは発酵学者と雖も「万葉集」は避けて通れないらしい。本書でも「万葉集」に多くのページを割いている。酒とはなにかを考えれば、酒を喜ぶ人間とは何かというところに行き着く。多分、酒にまつわる化学反応と、それが体内に摂取されて殊に脳で展開する化学反応に人間というものの心髄があるのだろう。

 

赤瀬川原平『老人力全一冊』ちくま文庫

自分が齢を重ねるなかで、かつて好きだったものがそうでもなくなったり、眼中になかったものが気になりだしたりすることが増えた気がする。赤瀬川の書いたものを読むようになったのもここ数年のことだ。このブログに彼の名前が初めて登場するのは2012年3月2日。この頃は毎日このブログを書いている。失業中で暇を持て余していたのである。

意識するとしないとにかかわらず、生命力の強い時期は欲が強くて前しか見えない。齢を重ねて諸々衰えると視界が開けて、それまで見えなかったものが見えてくるようになるものだ。それにつれて己の位置もはっきりしてくる。そこで生きることの儚さのようなものが自覚されて世界観が安定してくる。世界観が安定すると安心というのか諦観というのか、なんとなく落ち着いた心持になってくる。そうなると諸々それまでよりは落ち着いて対応できるようになり、そういう能力を「老人力」と呼ぶのだろう。尤も、いつまでたっても我欲に執着したまま死んでいく、あるいは死んでいきそうな人、少なくとも傍目にそう見える人は日々の生活のなかでたくさん見かける。ああはなりたくないものだとぼんやり眺めながら、さてこれからどうしようかと思うのである。

以下、備忘録的抜き書き

最近のパソコンとかインターネットとか、ああいう社会的な道具は非常にコセコセしていますね。作業の手順ばかり気にして、間違いのないようにとか、そういう神経ばかり使っている。あれは社会の道具だから仕方ないけど、人間の方は、ああはなりたくないですね。でも道具というのは人間に伝染るんです。(47頁)

というとまるで横井庄一さんのようだけど、あの方も先日亡くなられて本当に残念だった。生前に一度取材でお会いしたことがあるが、初対面のぼくらの正体を見ようとしてちろり、ちろりと動いていた眼差しは一生忘れられない。言葉を交わすまでもなく、あの方の体験の総体がその眼差しから一瞬にしてぼくに浴びせられた。(73頁)

論理的思考の落とし穴ということを書いていたのだ。いまの世の中は脳社会とかいわれて、安いから、得だから、便利だからというような論理だけでものごとが進み、好きとか嫌いは取るに足らぬものとして、どんどんゴミ箱に放り込まれている。(86頁)

最近はお金持ちは多いけど、上品なお金持ちはなかなかいない。だいたいは下品だ。(163頁)

医者というのは信頼だとつくづく思う。(179頁)

若い人たちは情報社会にひたってるんですね。情報社会って、みんなケチになるんです。(195頁)

去年(1997年)いっしょに僕の家を作ってくれたとき、藤森さんも言ってたのね、結局は現場が一番面白いんだって。藤森さんは、まさに現場の天才なんだけど、彼は「現場の面白さを追求すれば、最後に行きつくのは戦争だろう」って言うんです。戦場というのは計算外のことが次々に出てくる場所だから、計算通りのことしかできなかったら、自分のほうがすとんと首を切られて死ぬわけで、現場でとっさの判断を一番発揮できる人間が将軍になっていくわけで、だから、戦争はやっちゃ困るけど、苛酷な体験というのは、どこかで必要だったりするんじゃないですか。のるかそるかの場面に立たされることで、鍛えられていくものがある。宵越しの情報なんか持っていられないって気持がないとね。(200-201頁)

つくづく気品は捨てる潔さから生まれるんだと思いましたよ。それは人間も同じで、お金持ちでもカッコいい人はお金を超えてるし、貧乏人でも気品のある人は貧乏を超えてますもんね。(204頁)

ひところ、田舎といういい方は差別だ、みたいな意見があったが、とんでもないことだ。田舎が蔑称であるとする頭の中は、都市こそは素晴しいとする考えに占領されてるわけで、その考えをたどると、人工管理の極点に到る。(273頁)

いまはとにかく絶対民主主義国家となっていて、人権は問題となっても、人格は問題とならない。人権には異常なほど目を光らせるけど、人格のことは無視である。(274頁)