熊本熊的日常

日常生活についての雑記

バンガロール散策 3日目

1985年02月28日 | Weblog
マハトマ・ガンジー・ロードを中心に歩いてみた。ブリゲイ・ロード周辺には大きなホテルが多く、白人観光客が目立つ。マハトマ・ガンジー・ロード沿いのコーヒー・ハウスへ入ってみた。アラビア風の衣装を身にまとったボーイたちが忙しそうにいったりきたりしていた。店構えも店内もちょっと瀟洒な感じだが、コーヒーの値段は1杯90パイサというごく普通のものだった。近くの郵便局で絵はがきに貼る切手を買った。はがきを見せて、これに貼る切手をくれといっているのに、どうやって貼ったらよいかわからないような大きな切手をよこした。普通サイズの切手があるのに、何故こうなるのだろう。インドでは公務員というのはエライらしいので、外国人といえども彼等に逆らうとろくなことはない。なんとか宛名が隠れないように切手を貼ってみたものの、消印で宛名が見えなくなる可能性もある。そうなったら日本の郵便マンに頑張ってもらおう。

あまりオープンな国とは言えないインドでも、このマハトマ・ガンジー・ロード界隈では日本製品の広告看板が目立つ。マドラスでもバンガロールでも外国製品はあまり見かけないが、それでもオフィス街や市場には「XEROX」とか「ZEROX」といった看板を出したコピー屋がある。でも、そこにある機械はキヤノンやリコーであったりする。注意してみると、カメラ、フィルム、カセットデッキ、カセットテープ、ビデオテープ、乾電池などに日本製品が見られる。でも、日本では見たことがないブランドが多い。例えば、「MITUBISHI」のフィルム、「MAXELL」ではなく「MAXWELL」のカセットテープ、「NIPPO」の乾電池などである。しかし、日用品は殆ど国産であるようだ。インドは非同盟諸国の盟主だが、国産品愛用はそうした国家の独自性の象徴なのかもしれない。

インドは寺院で溢れている。朝夕は寺院にお参りをする人も多く、宗教が人々の心の糧になっているようだ。皆それぞれの思いを胸に一心に祈っている。それでも誰も救われない。少なくとも私にはそう見える。何のために、何を求めて祈るのだろう。死の向こうに何があるというのだろう。今日でインドに来て10日目だが、いったい何十人の乞食の手を見ただろう。何十回あの虚ろな眼を見ただろう。何回あの悲しげな声を聞いたことだろう。指の無い手、手の無い腕、下半身の無い身体、めくら。マドラスの地下道に横たわっていたあの乞食は寝ていたのか死んでいたのか、雑踏のなかで身動き一つしなかった。粗大ゴミのような寝姿。乞食だけではない、観光客相手に金をせびり取ろうとするリクシャーワーラー、彼等とぐるになっているヤクザな警察官。ボロをまとって食堂の床をはいずり回る掃除人。世界は自分を中心に回っていると思っている役人たち。みんな何を祈っているのだろう。でも、他人事ではない。自分も苦境にあるときは、この苦しみを乗り越えれば楽になれるなどと馬鹿なことを考えてみたりする。本当にそうなのだろうか。鴎外の『青年』のなかにこうある。
「一体日本人は生きるということを知っているのだろうか。小学校の門をくぐってからというものは、一生懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にありつくと、その職業を成し遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。そして、その先には生活はないである。」
今日が終われば明日が来ると誰しもが思う。でも、そんな保証はどこにもないのである。今日ももうすぐ日が暮れる。ビル工事の現場で我が物顔に振る舞っている猿たちにとっても、公園の木に住むリスたちにとっても、時々、部屋の窓から飛び込んでくる鳥たちにとっても今日という日が終わろうとしている。そしてたぶん誰にとっても明日は未知の世界なのである。未知の世界を生きるからこそ、我々は強くなければならず、自分の責任で生きてゆけるだけの自立した精神がなくてはならないのだと思う。しかし、現実は人間はあまりに弱く、愚かなので、祈ってみたり、駆け抜けようとしてみたりするのである。我々の存在はあまりに小さく、ひょっとしたら生きることは恐怖以外の何物でもないのかもしれない。そらだからこそ、人間は生きる恐怖を克服しようと、つまり、未知を既知に変えようと、営々と努力してきたのである。それが学問であり科学である。困ったことに科学は希望も絶望も具体化してしまう。科学を宗教のように信仰する者まで現れてしまう。祈りを否定して科学を信仰しても、それは別の祈りでしかない。我々はもっと自分のおかれた不確実性を直視しなければならないと思う。

夕食に街へ出たが、前から気になっていた林檎がどうしても食べたくて、食堂ではなく、果物屋の屋台へ足を向けた。林檎1個とオレンジ2個を買って、4.50ルピーだった。オレンジは1個50パイサだから、林檎は3.5ルピーということになる。高い!

そのままぶらぶらしていると、薬局の前に来た。ちょうど歯磨きがなくなろうとしていたので、コルゲートの歯磨きを買った。7.8ルピーもした。今夜は高い買い物を二つもしてしまったので、夕食はさっき買った林檎とオレンジ、それに街角の屋台で売っているバナナ、ホテルの1階にあるチャイのスタンドでチャイ、以上。ホテルへ戻る途中、停電になり店の明かりも街灯もすべてが消えてしまった。真っ黒い人影の海と屋台のアセチレンの光が混然となって、まるで大地が波打っているように見えた。