森美術館で開催中の杉本博司展を観て来た。おもしろくて興奮した。印象深かったのは「Theaters」という作品。世界各地の様々な劇場(映画館)のスクリーンを映画の上映中露光し続けた写真群である。そこに写っているのは白く光るスクリーンと無人の観客席だけ。約2時間の間、そのスクリーンでは物語が展開し、それを多くの観客が観ていたはずである。しかし、その2時間を一瞬に凝縮すると、物語はそれが喜劇であろうが悲劇であろうが、ただの光になってしまう。それを見つめていたはずの観客も幻のように消えてしまう。それはあたかも我々の人生のようだ。楽しいことも悲しいことも辛いこともあるけれど、終わってしまえば、その人が生きたということだけが残される。その人をみつめるたくさんの眼があったはずなのに、それは幻想のように思われる。「Seascapes」は世界各地の海の写真群である。そこには水平線だけが写っている。モノクロなので色はない。光だけが感じられる。そこが日本海であろうが、アドリア海であろうが、スペリオール湖であろうが、水平線だけでは判別不可能である。人は、それぞれの色や匂いの違いで自己主張をしてみたりする。しかし、大海のような大きな風景のなかでは、些細な違いなど見分けることはできない。風景の一部としてそこに漂うだけである。
「モダニズム」あるいは「モダン」という言葉がある。建築の世界では過去の様式や装飾を否定し、合理性を追求する考え方のことである。装飾を否定する、いや、装飾から解放されるということは、権威とか自己顕示、あるいは神という概念から解放されることでもある。杉本博司の世界もモダニズムの世界だ。些細な自我へのこだわりを捨て、もっと大きな世界に眼を向けることができれば、我々はもっと平和で豊かな社会を築くことができるような気がする。
「モダニズム」あるいは「モダン」という言葉がある。建築の世界では過去の様式や装飾を否定し、合理性を追求する考え方のことである。装飾を否定する、いや、装飾から解放されるということは、権威とか自己顕示、あるいは神という概念から解放されることでもある。杉本博司の世界もモダニズムの世界だ。些細な自我へのこだわりを捨て、もっと大きな世界に眼を向けることができれば、我々はもっと平和で豊かな社会を築くことができるような気がする。