家族の崩壊をリアルに描いた作品だ。かつて脚光を浴びた作家である父、今まさにブレイクしようとしている作家である母、思春期の2人の息子たちが主人公である。作品の根底には「人生の成功とは何か?そのようなものは本当にあるのか?」という意識があるように思う。それは「リトル・ミス・サンシャイン」とも共通している。「成功」とか「失敗」とか、「勝ち」とか「負け」という外部的なるものに価値の基準を置いてしまうと人生は窮屈で矮小なものに成り下がるということであろう。
作品のなかの父は無様だ。何を書いても出版につながらないことへの焦り、世間の注目度が上がっている妻への嫉妬といったものが混ざり合い、その言動や行動が周囲を不快にさせ、それが本人を自己嫌悪に陥れるという閉塞状況が作り出されている。母は、実は夫の才能を信じているようでもあるのだが、かといって夫との関係を再生するつもりは、もはやない。息子たちはそうした両親の関係に当惑するばかり。作家として売れるか否かが所得に反映され、それが生活に直接的な影響を与えることも、売れない作家を精神的にも追いつめている。父は素直に出版社や妻の助言を請うべきなのだろうが、過去に脚光を浴びたという事実があるがゆえに、その成功体験に依存して孤立を深めている。
この父に焦点を当てれば、彼が書こうとしているものは果たして彼が書きたいことなのか、という疑問を感じた。勿論、生活があるので自分のやりたいことだけで日々を過ごすことは不可能だ。しかし、虚栄心や目先の利益だけを追求する生活に人は満足を覚えるものなのだろうか。満足もなく成果もないことを続けることができるものなのだろうか。蜃気楼を追い求めて歩くようなことを続けているからこそ、彼の生活は崩壊したのではないだろうか。
タイトルの「イカとクジラ」だが、原題も”The squid and the whale”。これは、まだ一家が幸せに暮らしていた頃の長男の思い出に関係がある。作品のなかではラストシーンに登場するが、この家族が虚栄や刹那的な成功にまみれる以前の、人間関係として健康であった時代に持っていた価値観を象徴するものだろう。
作品のなかの父は無様だ。何を書いても出版につながらないことへの焦り、世間の注目度が上がっている妻への嫉妬といったものが混ざり合い、その言動や行動が周囲を不快にさせ、それが本人を自己嫌悪に陥れるという閉塞状況が作り出されている。母は、実は夫の才能を信じているようでもあるのだが、かといって夫との関係を再生するつもりは、もはやない。息子たちはそうした両親の関係に当惑するばかり。作家として売れるか否かが所得に反映され、それが生活に直接的な影響を与えることも、売れない作家を精神的にも追いつめている。父は素直に出版社や妻の助言を請うべきなのだろうが、過去に脚光を浴びたという事実があるがゆえに、その成功体験に依存して孤立を深めている。
この父に焦点を当てれば、彼が書こうとしているものは果たして彼が書きたいことなのか、という疑問を感じた。勿論、生活があるので自分のやりたいことだけで日々を過ごすことは不可能だ。しかし、虚栄心や目先の利益だけを追求する生活に人は満足を覚えるものなのだろうか。満足もなく成果もないことを続けることができるものなのだろうか。蜃気楼を追い求めて歩くようなことを続けているからこそ、彼の生活は崩壊したのではないだろうか。
タイトルの「イカとクジラ」だが、原題も”The squid and the whale”。これは、まだ一家が幸せに暮らしていた頃の長男の思い出に関係がある。作品のなかではラストシーンに登場するが、この家族が虚栄や刹那的な成功にまみれる以前の、人間関係として健康であった時代に持っていた価値観を象徴するものだろう。