熊本熊的日常

日常生活についての雑記

再始動

2013年05月06日 | Weblog

役所の休日窓口に婚姻届を提出。守衛さんのような人が預かってくれるだけなのかと思っていたが、ちゃんと職員が2人もいて、しっかりと書類のチェックをしてくれた。今日は日柄が良いので窓口には長蛇の列ができているかと心配しながらやってきたのだが、そもそも人の気配が希薄だった。もちろん、休日窓口の役割は婚姻届の受け入れだけではないのだが、他に敢えて休日窓口を利用する用事も思い浮かばない。

ポータルサイトや公共の場には必ずと言ってよいほどに婚活や結婚式にまつわる広告が出ているから、さぞかしそういう需要が多いのだろうという錯覚に陥りがちだが、人口の減少に歯止めがかからないという現実がある。卵と鶏の関係かもしれないが、先々の生活に希望を持ちにくい世の中だから、所帯を構えることを躊躇する人が増えるのだろうし、少子高齢化が進むから、それが暮らしの場の雰囲気に閉塞感を与えて漠然とした不安ばかりが大きくなるという面もあるだろう。自分も、もう先が無い年齢になったからこそ、最後ぐらいは楽しく終ろうと思う潜在意識があって、改めて伴侶と生活を共にするという決心がついたのであって、仮に10歳若かったら同じことになったかどうかわからない。

ただ、かなりの確信を持って言えるのは、結婚は一緒に暮らしたいという相手があってこそ決心するものであって、結婚という形式が先にあるのではない。よく買い物リストのようなものを想定し、あれこれ条件を設けて人を見るという考え方を見聞きするが、果たしてそんなふうに人間という不定形のものを見ることができるものなのだろうか。人と人との関係は、多分に相互作用である。自分の身の回りの人間は自分自身のある部分を投影しているはずである。自分自身があるべき姿勢を保持できるなら、必ずそれに呼応した縁が構築されるはずだと思うのである。ありたい自分、好ましい自分というものを意識することができるなら、共に暮らしたい相手、好ましい相手と出会うものだと思うのである。