Bunkamuraで『バンクス花譜集』を観た。形状の調和感とか安定感では自然の造形の右に出るものはない。植物を精緻に描くだけで十分観る者を惹きつける。
というようなことはさておき、本展はキャプテン・クックの一次世界航海に科学班のリーダーとして参加したロンドン王立協会会員ジョセフ・バンクスが企画した花譜集の展示である。興味を覚えたのは、私財を投げ打って冒険探険に出かけるという行為だ。この花譜集のもとになる植物採集を行ったのはクック一回目の世界一周航海。1768年8月26日にプリマスを出航し、大西洋を横断。南米大陸沿いに南下してその南端から太平洋に入る。ポリネシア群島、ニュージーランド、オーストラリア、殊にオーストラリアで花譜集の半分近くを占める植物を採集するがグレートバリアリーフでサンゴ礁に座礁し船底を損傷してしまう。プリマス出航時には約90名だった乗組員はここまでで8名しか失われていなかった。オーストラリアで船の応急処置を施した後、本格修理のために寄稿したジャワでマラリアと赤痢に多くの乗組員が罹患してしまう。花譜の実際の描画を担当したシドニー・パーキンソンはマラリアで亡くなった。パーキンソンをはじめとしてジャワで7名、ジャワから喜望峰に至る間に31名が死亡。航海が無事でもどこでどのような災難に遭うかわからない時代の世界一周なのである。英国に帰国したのは1771年6月12日だった。当時の外洋航海は死と隣り合わせである。
しかも、当時の航海は投資でもあった。船長であるジェームズ・クックはもちろんのこと、航海に参加する乗組員のなかにも自ら航海費用を拠出している者がある。バンクスもそのひとりだ。この航海では、当初の目的のひとつであった金星の太陽面通過の観測、本花譜集のもとになる動植物の観察と採集、ニュージーランドなどの測量や海図の作成、その他多くの成果を携えての帰還を成し遂げた。こうした成果がどれほどのものなのかは知らないが、経済的な損得だけに限れば、余程高額の報酬でなければ割に合わないものであっただろう。
では何故、彼等は航海に出たのだろうか。投資目的だけではなかったような気がする。人の行動動機を損得だけに求めるのはあまりに浅薄だ。個人や集団の行動原理、などと定式化しようとするから行動動機の数量化が必要になり、方便として金銭というものがつかわれているのであって、それが全てであるはずがないのである。ところが人は易きに流れるので、白黒つけるのである。つまらない方程式で世の中の原理原則を語ることができるという幻想を信じたいのである。生きる上で本当に必要なのは、おそらく行きたいと思う欲求だ。行動原理は理屈ではなく、なにかをしたいと思う欲求なのだろう。観たい、知りたい、体験したい、という素朴な思いが人を社会を世界を動かしているのだろう。なぜそう思うのか、というところがおそらく思う本人にもわからないのであろう。自分にもわからないのだから、他人の行動原理などわかるはずがないのである。自分の発想を超えたものはとりあえず「謎」や「神秘」、あるいは「狂気」なのである。そういう整理をしないと人は前には進むことができないのである。古代文明も大航海時代も戦乱も宗教も、結局は狂気のなせるわざのような気がする。