熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記2017年12月

2017年12月30日 | Weblog

金沢百枝『ロマネスク美術革命』新潮選書

先日、日本民藝館の講演会で聴いた金沢先生の話が面白かったので書かれたものも読んでみようと思って購入した。

「ロマネスク」というのは建築様式の呼称で主に南欧で11-12世紀に建てられたものだそうだ。この前の時代のものにはバジリカ式やビザンツ式があり、この後にはゴシック式がある。この様式というものはその時代が過ぎ去って様式としての評価が定まってから特徴づけられて定義されるものだ。その時々の当事者にとっては自分が作っているものがどのような様式に分類されるのかなど興味もないだろうし意識もしていないだろう。目の前にある仕事をただやっているだけだと思う。

本書で「ロマネスク」に象徴されるのは既成の価値基準から外れた美あるいは美術ということのようだ。美というのは主観であって何を美しいと思うかは人それぞれだ、というのは理屈であって現実ではない。我々は意識するとしないとにかかわらず社会通念という枠の中で思考し生活している。どうやって計測したのか知らないが、人の行動の8割は習慣に拠るものだという話を聞いたことがある。社会とか世間の通年に付き合う義理は無いのかもしれないが、義理を欠くことで世間に迷惑をかけるとなると犯罪として罰せられることになる。美しいと感じるというような内面に限ったことならば、それで世間にどうこうということもないだろう。そういうところは大いに羽を伸ばしたいものである。本書の主張も、既成の枠からの感性の解放のすすめ、といったところにある。所謂「ロマネスク」を美しいと思うか、愛おしいと思うか、はどうでもよいのである。素朴に虚心に自分の好きなものを並べてみたら自分の知らない自分に出会うかもしれない。まずは知らないものを知ること、見たことのないものを見ること、聴いたことのないものを聴くこと、歩いたことのない道を歩いてみること、習慣にないことを敢えてやってみること。そこから生きることが始まるのではないか。人と人以外の生き物を分けるのは、そういうところにあるような気がする。

 

西岡常一/小原二郎『法隆寺を支えた木』NHKブックス

書店でたまたま見つけて購入。初めて見聞きする内容ではないのだが、評論家の話とは違って、自分の頭で考えて自分の手足を動かして生きてきた人の言葉は重みが全然違う。その時々の自分の興味や関心によっても引っ掛かる言葉は違うし、何度読んでも発見があって心に染み入る。自分はこれからどれほどあがいたところで西岡さんのような知性感性を持ちえないのだが、だからといって無為に残りの時間を過ごすのでは、生きているだけ他人様の迷惑になる。自分もいよいよ老齢の域になって思うのだが、世間には迷惑なのが跋扈している。なるべくそうならないように精進するのが真っ当な生き方というものだと思う。

ところで、自分自身は学校に通ってどうこうという年齢ではなくなったし、子供も今年社会人になって学校というものから縁遠くなった。つまり、学歴とか教育というものから距離ができたので思うのかもしれないのだが、学校教育というものに意味はない気がする。これはこうですよ、ああですよ、と言葉や手取り足取りで教えることができるようなことは、その気があれば教えてもらわなくても自分で習得できる。言葉で伝達できることは所詮その程度のことでしかないのである。生きていく上でほんとうに必要なこと大事なことは言葉で表現できるような類のことではない。人であれ物事であれ自分と対峙するものとの関わりのなかで、その関係性の背後にある核心を自分で見つけ出し、自分の立ち居振る舞いを考える。そういうことをどれほど繰り返してきたかというのが、自分というものの価値になる。年齢を重ねる毎にそうした思いが強くなる。

 

佐々木高明『新版 稲作以前』NHKブックス

ここ数年、毎年西日本のどこかを訪ねている。自分は東日本で生まれ育った所為もあり、おそらくこれまで受けた学校教育の所為もあり、琵琶湖=紀伊半島以西はどこを訪れても風景の奥行のようなものが深く感じられる。なにがどうというのではない。自分が余所者であるはずの土地なのに妙な既視感を覚える、というのは言い過ぎだろうか。自分が育った関東は、特に毎日生活している東京は、街が丸ごと根無し草のような感じがする。そういえば「TOKIOは空を飛ぶぅ」なんていう歌があった。

本書で日本列島が照葉樹林帯と落葉広葉樹林帯に色分けされている地図を見たとき、妙な納得感を覚えた。今まで意識してこなかったが、日本列島あるいは本州が弓のような形に曲がっているのは、その歴史・風土・文化を考える上で思いの外大きな要素かもしれない。標高という要素をひとまず置いて、東西南北と気候との関係を単純に考えれば、琵琶湖=紀伊半島以西はほぼ同じ気候帯だ。中国大陸や朝鮮半島から人や文物が渡来した場合、その上陸地点が九州北部とするとその生活圏は比較的容易に近畿あたりまでは東進させられたであろう。標高を勘案しても中国山地は穏やかなので東進に対してそれほど大きな障害にはならなかったのではないか。縄文時代に人がどのように日本列島を往来していたのか想像もつかないが、土着民であろうと渡来人であろうと、目指すことは安住の地を確保するということだったのではないか。安住できるということは、端的には食うに困らないということだ。

縄文時代は紀元前14000年頃から紀元前4世紀頃にかけての時代とされている。この時代に中国は古代王朝が成立し、いくつかの交代もある。ざっくりと言えば夏が成立したのは紀元前2000年頃で紀元前1600年頃に滅亡し、殷、周と続く。中国では王朝が交代すると旧王朝の関係者や権威を示す文物は抹殺される。それを免れるべく逃亡を図る人々は少なくなかったであろうし、なかには海を越えて日本列島にたどり着いた人も当然にいただろう。もちろん、そうした物騒な理由ではなく別の理由で日本列島にやってきた人もいただろう。中国古代王朝は当時の世界にあって最先端の科学技術や知識を備えている。縄文時代の日本がどの程度の文化や文明を持っていたのか知らないが、渡来人にとっては日本上陸後の居住地探しは無人地帯を往くに等しく、自分たちの都合の良い土地に落ち着くことができたのではないか。

自分が経験していない時代のことを想像するのは難しいが、今あること、今当然のことのなかから当時は無かったはずのことを取り除き、ないない尽くしのなかで生きていて一体何を求めるだろうかと考えると、結局は安心して食べることと休むことしか残らないのではないかと考えた。安心するには予見できないといけない。物事を予見するには物事の因果を知らないといけない。つまり、科学というものを知らないといけない。科学を知るには特定の意図をもって経験を繰り返すこと、つまり学習が必要だ。そのきっかけのひとつが農耕や狩猟だったのだろう。そして、農耕や狩猟を始めることで、科学知識が爆発的に蓄積されるようになったのではないだろうか。爆発的に増大した科学知識は農耕や狩猟を超えて活用されるようになる。そこに政治もあれば経済もあっただろう。つまり文明や権力が誕生する。

本書の内容とは関係ないのだが、農耕がどのように始まったのかというようなことを考えながら読んでいたら妄想が膨らんでしまった。