5月の連休は日帰りではあるけれど普段の週末では出かけにくい程度の距離の場所に出かけるのが恒例になっている。4年前は遠山記念館、3年前は鎌倉、2年前は益子、昨年は成田山新勝寺、という具合である。今日は鹿島神宮と香取神宮に参詣した。
まずは鹿島神宮へ。東京駅から高速バスに乗る。ほぼ満席。お参りの人が大勢いるものだと思ったが、バスが高速を降りて停車する度に数名ずつ客が下車し、鹿島神宮へ着く頃には車内はガラガラだった。東京駅を起点にして公共交通機関を利用すると、鹿島神宮までの所要時間は高速バスが最も短い。潮来で高速を降りてから数か所の停留所を経ても約2時間だ。鉄道だと、接続次第だが、それより30分程度余計にかかる。鉄道の問題点は成田以遠のダイヤだ。とにかく本数が極端に少ない。
神社には「神社」「神宮」「宮」「大社」「社」などの呼称の別がある。鹿島と香取はいずれも「神宮」だ。『日本書紀』で「神宮」の記載があるのは伊勢、石上、出雲(現:出雲大社)の三社、その後に成立した『延喜式神名帳』では伊勢、鹿島、香取の三社のみだそうだ。明治に入り神社神道が国家宗教となり神社が国家の管理下になって神仏分離をはじめとした神社の整理再編が行われたときに、天皇・皇室の祖先神や大和平定に功績があるとされた特定の神を祭神とする神社のなかで勅許を受けたところが「神宮」となった。
皇室祖先神を祭神とする
伊勢神宮(三重県伊勢市)
霧島神宮(鹿児島県霧島市)
鹿児島神宮(鹿児島県霧島市)
鵜戸神宮(宮崎県日南市)
天皇を祭神とする
橿原神宮(奈良県橿原市)
宮崎神宮(宮崎県宮崎市)
氣比神宮(福井県敦賀市)
宇佐神宮(大分県宇佐市)
近江神宮(滋賀県大津市)
白峯神宮(京都府京都市)
平安神宮(京都府京都市)
赤間神宮(山口県下関市)
水無瀬神宮(大阪府三島郡島本町)
吉野神宮(奈良県吉野郡吉野町)
明治神宮(東京都渋谷区)
その他の祭神あるいは御神体
熱田神宮(愛知県名古屋市)
石上神宮(奈良県天理市)
國懸神宮(和歌山県和歌山市)
日前神宮(和歌山県和歌山市)
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)
香取神宮(千葉県香取市)
ほかにかつて日本領であった台湾と朝鮮に台湾神宮、朝鮮神宮があり、日本の実質支配下であった旅順に関東神宮が存在した。戦後、国家管理は廃止されたが、神社本庁においては「神宮」を公式社号とするには所定の由緒を持つものに限られている。神社本庁所属の神社で「神宮」に改称したのが北海道神宮(旧:札幌神社、1964年改称)、伊弉諾神宮(旧:伊弉諾神社、1954年)、英彦山神宮(旧:英彦山神社、1975年)の三社だ。
「神宮」のほかに神社の地位を示すものがあるか、ということだが、結局のところ、格付けとか序列というものは支配する側の指揮命令系統、統治体制と密接に関わる。ここに日本という国家体制の成熟度合と神社の社格が関連してくると見てよいだろう。日本の国家としての体裁が整うのがいつかということについては議論が定まっていないが、聖徳太子が活躍するのが6世紀末から7世紀にかけて、大化の改新が645年、大宝律令の制定が701年といったあたりが学校教育の歴史の教科書に記載されている。『古事記』の編纂が712年、『日本書紀』が720年で、そこには伊勢神宮の記述がある。さらに下って平安時代、延喜年間に律令の施行細則にあたる『延喜式』が編纂される。これは50巻で構成されるが、そのなかの9巻から10巻に「神名帳」があり、政府が運営に関与する官社2,861社が国郡別に列挙されているのだそうだ。ここに入ってる神社が「式内社」と呼ばれ、そのなかでも重要なもの224社が「明神大社」とされる。当初、政府は全国の官社を一元管理しようとしたようだが機能せず、近畿と地方との二系統での管理を目指す。やがて、国家的大事に際し朝廷の奉幣に与る神社が徐々に固定化され、11世紀後半には近畿中心に22社で落ち着く。それは「神宮」であるかないか、また「式内社」とは別の格式だ。
上七社
太神宮(伊勢神宮)
石清水(石清水八幡宮)
賀茂(賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社))
松尾(松尾大社)
平埜(平野神社)
稲荷(伏見稲荷大社)
春日(春日大社)
中七社
大原野(大原野神社)
大神(大神神社)
石上(石上神社)
大和(大和神社)
廣瀬(廣瀬大社)
龍田(龍田大社)
住吉(住吉大社)
下八社
日吉(日吉大社)
梅宮(梅宮大社)
吉田(吉田神社)
祇園(八坂神社)
北野(北野天満宮)
丹生(丹生川上神社、丹生川上神社上社、丹生川上神社下社)
貴布禰(貴船神社)
地方においては各地の国司が重視した神社として「一の宮」の格付けを得ていく。「二の宮」「三の宮」というものもあるが、これは国司が担当領域内の神社を巡回する際の順番を表す。これには朝廷からの指定のようなものはなかったので、「一の宮」とされる神社は状況に応じて代わることもある。同じ域内に「一の宮」と称する神社が複数存在することがあるのはこのためである。例えば武蔵一の宮といえば埼玉県さいたま市にある氷川神社を指すことが多いが、ここはもともとは三の宮で、一の宮は東京都多摩市、京王線の聖蹟桜ヶ丘駅の近くにある小野神社だった。
それで鹿島神宮と香取神宮だが、鹿島は常陸一の宮で香取は下総一の宮だ。ここで鹿島や香取の格がどうこう言うつもりはない。そうではなく、神様の世界に社会構造的な格差を持ち込む人間の矮小さに改めて驚くのである。構造を決める尺度は、たまたま支配する側に回ったほうに都合の良いように設定される。そこに付き合う義理などなくても、世間がそれを云々すれば気になるのが人情だ。「聖と俗」などという区分は方便で、時と場合に応じて時の権力に都合の良いように解釈され使いまわされるのは誰しも知るところである。結局のところ、人は経験を超えて発想できないのである。神様の世界が人間社会と変わらないのは、それを空想する主体が人間だからだ。
それにしても、休日に行楽として神社仏閣に参詣するというのもすごいことだと思う。もちろん心に思うことがあって、祈りのため、信心のためにお参りする人はいるだろうが、そういう切羽詰まった感の溢れた人というのはあまり見かけない。楽しそうな様子の人々が多く、心地よい雰囲気なのである。参詣する人の思いはそれぞれだろうが、神仏を拝むということは、目先の損得、表層の善悪、といったものを超えて社会の原理原則的なものがあると暗黙裡に信じているということだろう。そいうものがあることが社会の安定をもたらすのではないか。倫理観と損得勘定とがバランスよく共存するところに社会の安定が成り立ち、社会の安定があってこそ信用創造が円滑に行われ、富の創造と蓄積が進む、ということではないか。そんなことも漠然と思うのである。
ところで、鹿島と香取にはそれぞれに「要石」というものがあり、地震を治めていることになっている。その鹿島の鳥居が2011年3月11日の地震で倒壊した。1968年に竣工した御影石製で、花崗岩の鳥居としては日本一の規模を誇るものだった。再建された鳥居は境内の杉で作られている。この際、日本一とか花崗岩とか言ってはいられない。地震を治める神社の鳥居がいつまでも地震で倒壊したままというのはいかがなものか、と一刻も早い再建を優先した結果の決断だろう。