鹿児島最終日は仙厳園で午前中から午後3時頃まで過ごす。仙厳園へは駅前からシティビューという市内の観光スポットを巡る循環バスを利用したので、少し遠回りになったかもしれないが、車窓からそれぞれの場所を見ることができるのは初めての観光客にはありがたい。駅前を出発して最初の停留所は「維新ふるさと館」ここは8月31日に訪れた。次が「西郷どん大河ドラマ館前」。いかにも仮設建築物だが、いつまで営業するつもりだろう。少なくとも放送中はあるのだろうが、営業終了のタイミングに素朴な興味を覚える。次は「天文館」、毎晩食事に訪れた繁華街。次は「西郷銅像前」。東京上野の像とは全く別人のよう。次は「薩摩義士碑前」。ここに祀られている「義士」は徳川幕府から命じられた木曽川・揖斐川・長良川の改修工事で命を落とした犠牲者と予算超過の責任を取って自刀した家老平田靱負。この工事については照國神社の資料館にも展示物がある。酷い話だが、封建社会というのはこういうものなのかもしれない。ここからバスは城山に登る。中腹に「西郷洞窟前」。西郷隆盛が人生最後の5日間を過ごしたという洞窟がある。次が「城山」。ここから市街が一望できるらしい。バスはここから「薩摩義士碑前」まで折り返す。義士碑前を過ぎて日豊本線沿いの道を行く車窓から西郷隆盛終焉の地が見える。西郷も亡くなってから神になる。次の停留所は「西郷南洲顕彰館前」だが、その一画に西郷神社がある。かなり大きなものだ。次が「今和泉島津家本邸跡前」。篤姫が生まれた屋敷跡だ。ここからしばらく停留所が途切れる。途切れて最初の停留所が「異人館前」。仙厳園の一画といってよい場所だ。島津忠義がイギリスから紡績機械を導入して日本初の紡績工場を作った際に招いたイギリス人技師の住居に使われた洋館だ。次が「仙厳園前」ここで下車する。駅前から小一時間だが、タクシーなどでまっすぐ来れば20分程度だろう。
結局、今日は仙厳園で過ごすことになった。園内は広いので、散策するのにもよいし、反射炉跡、水力発電所跡といった「跡」を眺めて何事かを想像するのも楽しい。園内にある飲食店で両棒餅を頂いたり、土産物を眺めたりするのもよい。半日くらいあっという間に経ってしまう。それにしても、殿様の屋敷の一画で当時の最先端の科学技術を駆使した実験場のような工場の類が稼働し、その程度の生産物が歴史を変えるのに大きく寄与した、というのである。もちろん幕末から維新にかけての武器事情はこうした国産よりも列強から買い入れたもののほうが多かっただろうが、武器というのは消耗品なので大量生産ができなければどれほど高性能であったとしても意味をなさない。その「大量」がここに残されているものが示唆する程度の物量であったとすると、時代時代のスケール感というものを意識しないわけにはいかない。そういえば、横須賀に三笠があるが、日露戦争で活躍した当時の最新鋭艦だ。今見ると、こんな小さな船でよくも戦えたものだと感心するし、呉の大和ミュージアムには屋外に大和の甲板の原寸大の広場があるが、それほど大きいとは思えない。スケールというものが物事の展開には大きな意味を持つということが歴史遺産のようなものを目の当たりにすると何となくわかる気がする。それでは、今という時代に歴史を大きく動かすようなスケールはどのようなものなのか、と考えてみるとどうだろう。武器に限ったことではない。自分の毎日の生活のなかで依存の度合が大きなものが持つスケールを見ると、グローバルだの宇宙規模だのということがリアルに感じられるはずだ。そのスケールのなかで人ひとりができることは、と考えると、もはや個人がどうこうという時代ではないことが了解される。今は大物がいない、などと言われるが、人間ひとりのスケールと社会とか時代といったものが動くスケールとが歴史時代とは比較にならないほど乖離してしまったということだろう。
いまどき「歴史に名前を」だの「生きた証を残す」だのと発想することのなんと間抜けなことか。