朝6時頃、突然鳴り出した部屋のスピーカーに目を覚ました。どうもコーランの朗唱らしかった。スピーカーのスイッチを切ってベッドへ戻り、7時頃改めて起床する。驚いたことに、部屋の床に"DECCAN HERALD"という英字新聞がころがっていた。昨夜は気付かなかったが、部屋の入り口の上が空いており、そこから投げ込まれたようだった。1泊29ルピーでこんなサービスも受けられるのかと感激してしまった。
8時頃、ホテルを出て駅へ行き、次の目的地までの切符を予約した。最終的には3月17日にカルカッタを発つ飛行機に乗る予定なので、今はデリーへ向かって北上し、デリーからはカルカッタへ向かって東進するという大まかなイメージだけは持っていた。バンガロールの北にあって最も最短で行ける都市はハイデラバードである。従って次の目的地はハイデラバードということになった。日曜日の朝8時過ぎだというのに、駅の出札窓口はかなり混雑していた。ハイデラバードへの列車は3月1日以降でないと空きがなかったので、1日発の2等寝台を予約した。これで、バンガロールに1週間滞在することが決まった。マドラスとちがって居心地は良さそうなので気持ちは楽であった。今日は日曜日だし、次ぎの目的地までの切符も手にしたし、一日のんびり過ごすことにした。ホテルへ戻り、午後2時頃までうとうと横になっていた。
気持ちよいまどろみから抜け出し、朝配られた"DECCAN HERALD"に目を通す。観光地でのしつこい物売りや客引きは外国人だけを相手にしているわけではないらしく、インドの人からこれに対する苦言が寄せられていた。英字紙だが記事の内容はローカルで、あまりおもしろくない。しかし、広告は役に立つ。洗剤など日用品の名前がわかるので、買うときにまごつかなくてすむ。インドでは商品名を知らないと何かと不便なことが多いのである。
午後3時半頃、ぶらっと外出する。ホテルの周りにはたくさんの商店や屋台が並び、とても賑やかである。そんななかで、一際大勢の客を集めていたのは砂糖黍ジュースの店であった。マドラスでも砂糖黍ジュースの屋台はよく目にしたが、こんなに客を集めているのは見たことがなかった。確かに、ここは屋台ではなく、粗末な小屋ではあるが、店であり、ハエも少ないし、屋台よりは衛生的に見える。その大勢の客のなかに割り込んでゆき、カウンターのところにたどり着くと、指を一本立てて2ルピー札を差し出した。すぐに、大きいコップに溢れんばかりに注がれた緑色のジュースと1ルピー硬貨が戻ってきた。インドに来る前から噂に聞いて是非飲んでみたいと思っていた念願のジュースを今、手にしているのである。見た目は青汁のようで食欲をそそらないのだが、恐る恐る飲んでみると、これが実に美味なのであった。爽やかな甘さと、ライムの酸味、それにほのかな砂糖黍の青臭さが絶妙に混じり合って腑に心地よく染み込んでゆく感じがした。
うまいジュースで気分が良くなったところで、バスの行き交う大通りを東へ歩いてみた。マドラスではお目にかかれなかった、街路樹の美しい通りである。交差点には信号の他に、交通整理の警官もおり、交通はかなり秩序だっている。警官の制服姿はイギリスのそれを思わせるものであった。マドラス同様にバンガロールも日中は暑いが、標高900mに位置するせいか、風は爽やかで、朝夕は肌寒さを感じるほどである。また、マドラスに比べると路上生活者と牛の姿が格段に少ない。街もきれいで、普通に歩けるので疲れない。「普通」というのは、足下に転がる牛糞や、あちこちに座り込んでいたり寝ころんでいたりする路上生活者や家畜類に注意しながら歩く必要がないという意味である。どこか日本の地方都市のような印象すら感じられた。
人々の娯楽としては映画が一般的らしく、ホテルの近くの映画館の前には長い列ができていた。ホテルへ戻る途中、スイカの屋台が目にとまったので一切れ食べてみることにした。値段は50パイサと少々高めであった。なんと日本のスイカと同じ味だった。
ホテルに戻って風呂に入る。風呂といっても大きなバケツと蛇口があるだけでシャワーも浴槽もない。蛇口は2つ並んでいて、片方に"HOT"と手書きしてあった。しかし、昼間はどちらの蛇口からも湯が出るし、夜はどちらも水しか出ない。これはマドラスの宿と同じである。
夜7時半ごろ、夕食を食べるために外へ出る。ホテルの前の通りは人出が多く、どこの食堂も満員である。そのまま歩いていると、食堂街は商店街に変わり、その商店街のはずれに酒屋があった。なかを覗くと様々な種類の小さなボトルが並んでいた。客が一人、店のオヤジと何やら言い合っている。その若い男性客はビールを買いに来たらしい。ところが、店にはビールを置いていないようだ。ないものは仕方がないように思うのだが、その若い男性はなかなか帰ろうとしない。やがて、その男は諦めて店を去った。漸く私が相手をしてもらえる。『地球の歩き方』に「インドでは葡萄が豊富なのにワインを見たことがない」云々と書いてあったのを思いだし、ワインが欲しいと言ってみた。ワインはあった。オヤジは180㏄の小さな瓶に入った赤ワインを出してきた。ラベルには"GOLCONDA"とあり、まさしくインド・ワインであった。店のオヤジには「どこから来た?」とか「学生か?」とか尋ねられたりしたが、私とオヤジとの会話は極めて淡々と無表情に進行した。最後に、お互いに"Thank you"と言った時だけ、二人とも笑顔になった。
酒屋を後にして、ホテルの裏の通りを歩く。ちょうど自分が泊まっているホテルの裏辺りにこぎれいな食堂があった。客は何人かいたが、結構空いていたので入ってみた。メニューの"MEAL"の項目の最初に"DAL FLY"とあったので、それとチャパティを注文した。ガイドブックによれば"DAL"というのは豆のスープだそうだが、私の前に出されたのはいわゆるカレーであった。ダルは主食のカレーほど辛くないものであるようだ。つまり、スープとして食べることができるのである。日本ではカレーライスに福神漬けがつきものだが、ここでは付け合わせに玉葱のスライスとライムが出てきた。食事の後はチャイを飲む。チャイはインドの国民的な飲み物らしいが、マドラスやマドラスからの列車のなかではチャイよりもコーヒーのほうがよく飲まれているようだった。チャイもコーヒーも砂糖とミルクがたっぷり入っていて飲んだ後がさっぱりしない。食堂を出た後、昼間にスイカを食べたところへ行くと、スイカの屋台はまだ営業していた。口直しにスイカを食べた。屋台での買い物も漸く慣れてきた。
ホテルの部屋に戻ってからワインを開けた。日本の千円ワインのような安っぽい味がした。赤なのに甘みが強い。それでも久しぶりのアルコールだったので腑にじわっと熱く染み込むようだった。
8時頃、ホテルを出て駅へ行き、次の目的地までの切符を予約した。最終的には3月17日にカルカッタを発つ飛行機に乗る予定なので、今はデリーへ向かって北上し、デリーからはカルカッタへ向かって東進するという大まかなイメージだけは持っていた。バンガロールの北にあって最も最短で行ける都市はハイデラバードである。従って次の目的地はハイデラバードということになった。日曜日の朝8時過ぎだというのに、駅の出札窓口はかなり混雑していた。ハイデラバードへの列車は3月1日以降でないと空きがなかったので、1日発の2等寝台を予約した。これで、バンガロールに1週間滞在することが決まった。マドラスとちがって居心地は良さそうなので気持ちは楽であった。今日は日曜日だし、次ぎの目的地までの切符も手にしたし、一日のんびり過ごすことにした。ホテルへ戻り、午後2時頃までうとうと横になっていた。
気持ちよいまどろみから抜け出し、朝配られた"DECCAN HERALD"に目を通す。観光地でのしつこい物売りや客引きは外国人だけを相手にしているわけではないらしく、インドの人からこれに対する苦言が寄せられていた。英字紙だが記事の内容はローカルで、あまりおもしろくない。しかし、広告は役に立つ。洗剤など日用品の名前がわかるので、買うときにまごつかなくてすむ。インドでは商品名を知らないと何かと不便なことが多いのである。
午後3時半頃、ぶらっと外出する。ホテルの周りにはたくさんの商店や屋台が並び、とても賑やかである。そんななかで、一際大勢の客を集めていたのは砂糖黍ジュースの店であった。マドラスでも砂糖黍ジュースの屋台はよく目にしたが、こんなに客を集めているのは見たことがなかった。確かに、ここは屋台ではなく、粗末な小屋ではあるが、店であり、ハエも少ないし、屋台よりは衛生的に見える。その大勢の客のなかに割り込んでゆき、カウンターのところにたどり着くと、指を一本立てて2ルピー札を差し出した。すぐに、大きいコップに溢れんばかりに注がれた緑色のジュースと1ルピー硬貨が戻ってきた。インドに来る前から噂に聞いて是非飲んでみたいと思っていた念願のジュースを今、手にしているのである。見た目は青汁のようで食欲をそそらないのだが、恐る恐る飲んでみると、これが実に美味なのであった。爽やかな甘さと、ライムの酸味、それにほのかな砂糖黍の青臭さが絶妙に混じり合って腑に心地よく染み込んでゆく感じがした。
うまいジュースで気分が良くなったところで、バスの行き交う大通りを東へ歩いてみた。マドラスではお目にかかれなかった、街路樹の美しい通りである。交差点には信号の他に、交通整理の警官もおり、交通はかなり秩序だっている。警官の制服姿はイギリスのそれを思わせるものであった。マドラス同様にバンガロールも日中は暑いが、標高900mに位置するせいか、風は爽やかで、朝夕は肌寒さを感じるほどである。また、マドラスに比べると路上生活者と牛の姿が格段に少ない。街もきれいで、普通に歩けるので疲れない。「普通」というのは、足下に転がる牛糞や、あちこちに座り込んでいたり寝ころんでいたりする路上生活者や家畜類に注意しながら歩く必要がないという意味である。どこか日本の地方都市のような印象すら感じられた。
人々の娯楽としては映画が一般的らしく、ホテルの近くの映画館の前には長い列ができていた。ホテルへ戻る途中、スイカの屋台が目にとまったので一切れ食べてみることにした。値段は50パイサと少々高めであった。なんと日本のスイカと同じ味だった。
ホテルに戻って風呂に入る。風呂といっても大きなバケツと蛇口があるだけでシャワーも浴槽もない。蛇口は2つ並んでいて、片方に"HOT"と手書きしてあった。しかし、昼間はどちらの蛇口からも湯が出るし、夜はどちらも水しか出ない。これはマドラスの宿と同じである。
夜7時半ごろ、夕食を食べるために外へ出る。ホテルの前の通りは人出が多く、どこの食堂も満員である。そのまま歩いていると、食堂街は商店街に変わり、その商店街のはずれに酒屋があった。なかを覗くと様々な種類の小さなボトルが並んでいた。客が一人、店のオヤジと何やら言い合っている。その若い男性客はビールを買いに来たらしい。ところが、店にはビールを置いていないようだ。ないものは仕方がないように思うのだが、その若い男性はなかなか帰ろうとしない。やがて、その男は諦めて店を去った。漸く私が相手をしてもらえる。『地球の歩き方』に「インドでは葡萄が豊富なのにワインを見たことがない」云々と書いてあったのを思いだし、ワインが欲しいと言ってみた。ワインはあった。オヤジは180㏄の小さな瓶に入った赤ワインを出してきた。ラベルには"GOLCONDA"とあり、まさしくインド・ワインであった。店のオヤジには「どこから来た?」とか「学生か?」とか尋ねられたりしたが、私とオヤジとの会話は極めて淡々と無表情に進行した。最後に、お互いに"Thank you"と言った時だけ、二人とも笑顔になった。
酒屋を後にして、ホテルの裏の通りを歩く。ちょうど自分が泊まっているホテルの裏辺りにこぎれいな食堂があった。客は何人かいたが、結構空いていたので入ってみた。メニューの"MEAL"の項目の最初に"DAL FLY"とあったので、それとチャパティを注文した。ガイドブックによれば"DAL"というのは豆のスープだそうだが、私の前に出されたのはいわゆるカレーであった。ダルは主食のカレーほど辛くないものであるようだ。つまり、スープとして食べることができるのである。日本ではカレーライスに福神漬けがつきものだが、ここでは付け合わせに玉葱のスライスとライムが出てきた。食事の後はチャイを飲む。チャイはインドの国民的な飲み物らしいが、マドラスやマドラスからの列車のなかではチャイよりもコーヒーのほうがよく飲まれているようだった。チャイもコーヒーも砂糖とミルクがたっぷり入っていて飲んだ後がさっぱりしない。食堂を出た後、昼間にスイカを食べたところへ行くと、スイカの屋台はまだ営業していた。口直しにスイカを食べた。屋台での買い物も漸く慣れてきた。
ホテルの部屋に戻ってからワインを開けた。日本の千円ワインのような安っぽい味がした。赤なのに甘みが強い。それでも久しぶりのアルコールだったので腑にじわっと熱く染み込むようだった。