会食の席を設定することになった。2日連続なのだが、初日は見知った相手だけなので、気楽に決めてしまったのだが、2日目は初対面の人がいるのでどうしたものかと考えた。会食というのは食事の内容も重要であるのは勿論だが、落ち着いて会話ができなければならない。落ち着いているからといって所謂高級店にすれば、それを何とも思わない人ならよいが、余計な気を遣わせてしまうことになっては、とても落ち着いてはいられない。以前にも書いたかもしれないが、安易にネット検索を利用するのは、自分の中身の無さを露呈するようでみっともない。かといって、接待のある仕事から離れて6年にもなると外食店舗についての持ち合わせの情報もセピア色になっている。まだ会食の当日までには時間があるので、実際に候補の店をひとつひとつ訪れてみるという手がないわけではないが、そんなことをすると懐が悲鳴を上げる。
そこで、まず素直に自分が好きな店を挙げてみた。問題となっている2日目が日曜日であるということは思いのほか大きな障害だ。自分が気に入っている店の多くが日曜は営業していない。残されたなかでは、そこに初対面の人を招くのに適切なところがほぼ皆無に近い。さらに障害となるのは、それらの店が今でも営業を続けているかどうか、ということだ。都内の飲食店の回転はなかなかのもので、聞くところによると、フランス料理屋などは平均寿命が3年半ほどだそうだ。この6年間ほど更新がない自分の記憶は役に立ちそうにない。
次に純粋にプライベートではなく、仕事上の付き合いでありながら、仕事と離れて個人的な興味で会食し、しかも費用は経費で落とすことができる、というような距離感の付き合いで利用したことのある店を挙げてみた。そして、今回はそのひとつに決めた。
初対面の人が相手のなかにいるからこそ、自分が訪れた経験のあるところにこだわった。見知った相手なら、一緒に新しいところを試してみるのも楽しみのひとつになるのだが、「客」と意識せざるを得ない相手の場合には、食事にも雰囲気にも満足していただき、さらに大事なことは余計な気を遣わせないということではないかと思うのである。そういう場に自分の知らないところを選択することはあり得ないことだ。
似たような話で、「お勧めのコーヒー豆屋」について最近尋ねられた。自分の生活圏内で暮らす人なら、ハニービーンズをはじめとしていくつか挙げることができるのだが、そういう相手ではないので、少し時間を頂いて、その人の生活圏と思しきところに立地する豆屋をいくつか回ってみようと思っている。コーヒーについては何かと自分の生活とのかかわりが深いので、主に好奇心から普段は疎遠な地域の豆事情を探ってみたいとも思うのである。
生活というもののなかで自分が重要視している要素に関しては、できるだけのことをしてみたいというのが、自分のなかでの近頃のこだわりである。あまり意地に走っても窮屈になって生活は逆に快適さを失うのだが、「こだわり」と「意地」との微妙な境界を彷徨うあたりが一番楽しいのではないかと思っている。
そこで、まず素直に自分が好きな店を挙げてみた。問題となっている2日目が日曜日であるということは思いのほか大きな障害だ。自分が気に入っている店の多くが日曜は営業していない。残されたなかでは、そこに初対面の人を招くのに適切なところがほぼ皆無に近い。さらに障害となるのは、それらの店が今でも営業を続けているかどうか、ということだ。都内の飲食店の回転はなかなかのもので、聞くところによると、フランス料理屋などは平均寿命が3年半ほどだそうだ。この6年間ほど更新がない自分の記憶は役に立ちそうにない。
次に純粋にプライベートではなく、仕事上の付き合いでありながら、仕事と離れて個人的な興味で会食し、しかも費用は経費で落とすことができる、というような距離感の付き合いで利用したことのある店を挙げてみた。そして、今回はそのひとつに決めた。
初対面の人が相手のなかにいるからこそ、自分が訪れた経験のあるところにこだわった。見知った相手なら、一緒に新しいところを試してみるのも楽しみのひとつになるのだが、「客」と意識せざるを得ない相手の場合には、食事にも雰囲気にも満足していただき、さらに大事なことは余計な気を遣わせないということではないかと思うのである。そういう場に自分の知らないところを選択することはあり得ないことだ。
似たような話で、「お勧めのコーヒー豆屋」について最近尋ねられた。自分の生活圏内で暮らす人なら、ハニービーンズをはじめとしていくつか挙げることができるのだが、そういう相手ではないので、少し時間を頂いて、その人の生活圏と思しきところに立地する豆屋をいくつか回ってみようと思っている。コーヒーについては何かと自分の生活とのかかわりが深いので、主に好奇心から普段は疎遠な地域の豆事情を探ってみたいとも思うのである。
生活というもののなかで自分が重要視している要素に関しては、できるだけのことをしてみたいというのが、自分のなかでの近頃のこだわりである。あまり意地に走っても窮屈になって生活は逆に快適さを失うのだが、「こだわり」と「意地」との微妙な境界を彷徨うあたりが一番楽しいのではないかと思っている。